165 西へ来ないか 後

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165 西へ来ないか 後

「小花さん。どこ?」 「こっちよ、美咲さん」 札幌中島公園の早朝。ジョギング姿の彼女達は小声で家の前にやってきた。 「これから向うへ行きますの」 「わかった」 こうして二人はそっと走り出した。やがて公園の池の所で二人は男性に挨拶された。 「おっす。小花っち。そっちの人は」 「拳悟さん。隣の家に今だけいる美咲さんです。同じ職場なの」 「おはようございます。河合美咲です」 「よ、よろしく」 小柄でくりくりした大きな瞳で、小柄でありながらグラマラスな美咲に、拳悟は深呼吸で自らを整えた。 「美咲さんも毎朝走っているから。御誘いしたの」 「そっか……」 仲良く走る二人を邪魔しないように拳悟はそっと後を走り、家まで戻ってきた。 「おっす。小花っち。俺部活だからもう行くけど、あのその人は」 「兄貴。この人は、隣に今だけいる河合美咲さんだよ。ほら、挨拶しろよ」 「うるせえ?あの。よろしく」 「こちらこそ!バレーボールですか?背が高いですね」 何も言っていないのに鉄平の正体を見抜いたので、三人は汗をふく美咲を見つめた。 「違うんですか?だって肌が白いから室内競技だろうし、足の筋肉からいってバスケじゃないし。卓球かなと思ったけど、そのバックは違うもの。そもそも背が高いですし」 「……そうですわ。鉄平さんはバレーの選手、じゃあ拳悟さんは?」 「もしかしてボクシング?さっき蚊を避けた動きが機敏だし、その手は独特ですしね。さあ、もう行く所でしょう?」 「あ。俺、行ってきます!じゃ!」 「小花さん。私達も用意しましょう?たぶん今はもう6時15分よ」 時計もないのにそんな事をいう美咲を不思議に思いながら家に入った小花はすぐに時間を確認し、これが合っている事に驚いたが、まずはシャワーを浴びて用意をした。 そして7時に家の前で集合した二人は西営業所に市電で向かった。 ……美咲さんは本当に優秀な方なんだわ。 年は26歳で小花よりも7歳上の彼女。見た目はまだ大学生でもおかしくないくらい若くキュートだった。そんな美咲は隣席の小花の事を感心していた。 ……思いやりが合って、優しいのね。だから黒沼さんは小花さんが好きなんだわ。 少し思っていたイメージと違ったが、小花の優しさは心の底から滲み出てくる本物の愛だと見抜いた美咲はこれに敵わないと思っていた。 そんな二人だったが、小花は美咲を素敵なお姉さんと慕い、美咲は彼女を妹のように可愛らしく思っていた。 そして西営業所に二人の天使がやってきた。これを迎えた社員は嬉々として挨拶をした。 「やったー!本当に今日も来てくれた?ありがとうございます!」 「おはようございます。今日はあの憎き姫野はいないのですね?おーい!今朝は、塩は要らんぞ!」 「夢じゃない?本当に小花さんですよね?ああ。まばたきしたくないよ?」 「美咲さん。おはようございます。昨日のメール嬉しくてまだ開いてないんですよ」 その時、奥から源田所長がやってきた。 「今すぐ開け愚か者!みんな。彼女達に報いるように少しでも経験値を上げてくれ。おはよう河合さん、小花さん」 はい、と返事をした二人は、ただちに二日目の仕事に取り掛かった。 「所長。私、不良債権の回収方法をいくつか考えてみました」 「きかせてくれ」 「今年のインフルエンザのワクチンの提供や、今後の医薬品の提供の有無を渋っても関係が悪化するだけで効果は薄いですね」 「そうなんんだ。関係を切れば今までの債権も払ってもらえない懸念があるんだよ」 すると美咲は所長をじっと見つめた。 「源田所長は、支払基金を御存知ですよね」 「支払基金は、診療報酬をチェックする所だよね、それが何か」 一般に医療機関の収入とは、患者が支払った窓口料金以外は患者へ行った医療内容を診療報酬(レセプト)として作成しこれを支払基金に送り、それが適正で認められた物が保険事務所等に送られ、最後は報酬として医療機関に支払われる。 美咲はレセプトをチェックする組織の支払基金の審査官について持論を展開した。 「今は電子化でレセプトも機械でチェックしていると伺っていますが、やはり専門家によるチェックもあると聞いています」 「そうだけど、それがどうしたんだい」 「審査するのは専門家で、例を上げると歯科医の審査員は歯科医です。さらにその審査員は歯科医師会で役員をしているベテランですよね」 美咲の話しに源田はお茶をぐっと飲んだ。 「先日の話ですけど。うちの黒沼さんが新規開業した歯科クリニックの先生と地元の歯科医師会の役員をされている先生の所へ一緒にご挨拶に行ったんです。医師会もそういう派閥があって、無所属だとレセプトを通してもらえないとか何とか」 「……実際の所は分からないが。そう言う事もあるかもな」 美咲の話に所長は頷いた。 「源田所長。審査官をしている医師会の重鎮達が、自分の派閥の医師が、夏山愛生堂に多額の医薬品代を滞納していると知ると、どう思うでしょうか?」 「不快とか?」 美咲は違うと首を横に振った。 「そ、それもありますが。派閥の長の医師にしてみれば、自分達は的確に審査して報酬を支払っているのに、同派閥の医師が夏山に支払っていないとなると、事情を知らない他の医師の中には、その審査官が故意にレセプトを認めていないのではないか、要するに苛めているのではないか、と審査官に疑念を持つ人もいるでしょうね」 「なるほど」 「その結果、評判を落として審査官を止めなくてはならなくなるかもしれません」 「恐ろしい筋書きだね?ドキドキしてきたよ」 「私もです!?ですから」 滞納している医師の事を、審査官をしている重鎮に相談したらどうかと美咲は言った。 「個人情報なので慎重にですね」 「これは私の一存では難しいが、上手く行けば札幌全営業所の債権が減るかもな」 他にも滞納先には金利を請求等、今からすぐに出来る事も提案した美咲は、これで債権問題のアドバイスは終了だと話した。 「後は個々のセールスマンの営業成績をチェックします。私は明日で帰るので」 そう言って彼女はパソコンに向かおうとしたので源田は慌ててアイスコーヒーを出した。 「どうぞ。河合さん。最後に総合研究所のあなた様に聞きたいのです。今度、この西エリアはどうなるのか」 「医療機関についての見解ですか?少子高齢化が進むのはどこも一緒ですが」 美咲は健康増進のための施設が増えると説いた。 「病気になったら病院ですが、今後は病気にならないように、健康的なクリニックを利用するようになるでしょうね」 「健康的なクリニック?」 「はい。定期的に検査をして不足な栄養を薬で補うとかです。そしてアンチエイジングとして増毛や美容にお金を掛けるようになるでしょうね。ここ西のエリアはお金持ちの方が多く住むエリアですから、ITなどで仕事や家事の負担減った人は、空いた時間を健康に費やすと言うわけです」 「健康か」 「私見ですけど。参考までに、ではこっちの仕事やりますね」 そして一心不乱に仕事をする美咲に、源田も覚悟を決めた。 こうして三日目の午前中には小花の派遣会社から仲間がやって来た。 「お待っとうさん!元気してた?小花ちゃん!」 「欽也さん。それに枝里子さんも。今日も素敵な髪形ですわ」 お掃除仲間のワールドの社員の由美にも挨拶し、西営業所の不要な物を廃棄するのを手伝った。 「はい消えた!じゃあな!小花ちゃん!」 「欣也さんもみなさん!ありがとうございました!」 軽トラに大量のゴミを持って行ってくれた仲間に手を振った小花は再び西に戻ってきた。 そして必死に掃除をした。 そしてその夜。美咲と小花に感謝する会が開かれた。 「夏山愛生堂には?」 愛があるーと乾杯で始まった。 「美咲さんはもしかして、今夜帰るんですか?」 「いいえ。明日の朝帰ります。あ、私はそんなに飲めませんよ」 西営業所の成績を嘘みたいに押し上げた美咲に、社員は御酒を注ぎにやってきた。 「美咲さん。本気で西に来ませんか?身体一つでいいですから!」 「まあ。ご冗談を」 小花は仲良くなったスミレと一緒に座っていたが、ここにも男性社員がやってきた。 これらに困っていた二人だったが、ここに例の男がやってきた。 「みんな!お疲れさん!」 「ええ?社長?どうしてここが分かったんですか」 西の社員はこの会を秘密にしていたのでここにやってきた慎也に驚いたと言うか、怖くなった。 「フフフフ。俺の情報網を舐めるなよ?あ。いた美咲さん、それに……小花さんはどこだい……あ、そこか?逢いたかったよ!……」 実の兄が自分を見てほっとしたので、思わず小花も頬笑みを返した。 「美咲さん。帯広からありがとうな。おい、どけ。俺を座らせろ」 そういって慎也は美咲の隣に無理やり割り込み腰を下ろした。 「さてと。あのさ。美咲さんが言っていた話し。うちの「取り乱し役」の常務が上手く進めて見る事になったから」 「そうですか。上手くいくといいですね」 「美咲さん、本当に本社に来ないか?そのままで良いからさ。うちの秘書頼りなくてさ……」 「もしかして俺の事ですか?あ?小花ちゃん!元気だった?」 後からやってきた西條は小花に手を振って挨拶をしたが、やがて周囲の社員に酒をどんどん注いでいた。 「西條さんは頼りになる方じゃないですか。私はあんな社交的にできませんもの」 「まだそんな引っ込んだ事言っているんだね。あのさ。美咲さんはすごーく可愛いよ。頭もいいし、声も綺麗だしさ。自信持ってよ」 「声ですか?ハハハ。嬉しいです!フフッフ」 「やっと笑ったな?ダメだぞ、俺の前で辛気臭い顔をしたら。でも今回は本当に助かった」 「私こそです。慎也社長は凄いと思いました」 「だろう?俺は凄いんだ。アハッハハ。ごめんな。向こうで小花さんに挨拶してくるな」 そう言って慎也は席を立った。 ……なりふり構わず会社のために私のような者に頼むなんて。本当に会社の事を思っているんだわ。 慎也の姿勢に感動した美咲は、彼の背にそっと頭を下げていた。 「小花さん!逢いたかったよ」 「社長。お変わりないですか」 「変わったよ……。俺自分で風呂を洗ったんだよ」 「ええ?ご自分で」 「う?ごほ!」 これを聞いたスミレは飲んでいたビールでむせていた。 「そうでしたか、ご不便かけましたね」 「ああ。でもこれは西営業所の為だし。俺、もう少しだけ頑張るよ」 「社長……」 そういってビールを飲んだ慎也を悲しそうに見つめる小花を見てスミレはすうと息を吐いた。 「小花ちゃん。もうお帰んなさい」 「え。スミレさん」 「あなたは西の清掃員さんですか?」 うんと頷いたスミレは、この二人はやけに似た顔だなと思ったが、はっきり言った。 「美咲ちゃんと小花ちゃんのおかげで、この西は建物だけでなく成績やその心まで綺麗になりましたよ。明日から私ひとりで大丈夫ですよ」 「スミレさん……でも」 「本社に帰りなさい。社長さん。小花ちゃんはお返します……」 「うううう」 友情が芽生えた二人は涙で抱きあった。これを見ていた慎也ももらい泣きをした。 「みなさん。何を泣いているのですか?」 「……せっかくいい感じだったのに。お前、本当に空気を読まない男だな……」 遅れて来た姫野は、泣いている三人に溜息を付いていた。 「そんな事いっても。自分は今着いたばかりなので」 すると小花はスミレから離れ、隣に座っていた慎也に赤い眼を向けた。 「社長。私、明日から戻っていいですか?」 「バカ!当たり前だろう……」 そういって慎也が小花の両肩を掴んだので、周囲は一瞬凍りついた。 「社長?」 慌てる姫野に構わず慎也は熱く語った。 「君は夏山に必要な人なんだ。いてもらわなきゃ困るんだよ」 「社長……」 実の兄の言葉に純粋に感動していた小花だったが、二人の距離が近かったので見ている人はドキドキしていた。 「小花さん。いつまでもそばに……」 「はいはいーそこまで!社長。近すぎです!姫野君も止めていいから!」 「うわ?離せ!俺は今、大事な話を……」 まだ話しの最中の慎也を西條が連行したので一同はホッとしていた。 「あれは西條さんにしかできないな。おい。鈴子。大丈夫か、鈴子」 「あ?大丈夫です。びっくりしただけ」 この様子にたまげたスミレは退散したので、二人だけで静に座っていた。 「あ、そうだわ。今の話しですけど、鈴子は明日から本社に戻ります」 「それは……慎也社長が言ったからか」 「ううん。西の清掃員さんがそう言ってくれたからよ」 「そうか。ならいいが」 他の酔った社員とふざけあっている慎也を見て、姫野は嫉妬に燃えていた。 「姫野さん。どうなさったの。顔が怖いわ」 「鈴子。お前な。俺の事どう思っているんだ?」 そういって姫野は彼女の手をギュと握った。 「痛い?姫野さん!もう」 「小花ちゃーん。お疲れ!先輩。また焼きもち焼いているんですか」 そういって風間は二人の横に座った。 「顔に出てますよ!ほら、眉間の皺を戻しなさい。それと……手も、離せ!この」 不貞腐れている姫野を強制的に直した風間は、小花に笑顔を見せた。 「明日から戻って来てくれるんでしょう?良かった。先輩機嫌が悪くて俺、辛かったし」 「まあ。あんなにお利口にしてっていったのに。ダメじゃないですか、姫野さん」 「つまらないんだ。毎日が」 「お仕事ですもの。そんな言い訳ダメよ」 「つまらないものはつまらないんだ。お前がいないとまるでやる気が起きないし。生きていても仕方のない気がしてくるんだよ……」 「姫野さん。やる気は起きるものではないの、自分で起こすのよ、あ?」 この隙に姫野は小花の頬にキスをした。 「……うん。これで起きたぞ」 「何が起きただよ?あれ、小花ちゃん。大丈夫?」 真っ赤になった彼女は恥ずかしくて姫野の背後に隠れてしまった。 これに気を良くした姫野は、このまま彼女に他の社員から守りこの酒の席を終わらせた。 そして美咲と小花を家まで送った姫野だったがかなり酔っていたので実際は同じタクシーに乗っていた風間が全て対応していた。 そんな翌朝。 二人を車で迎えに来た彼は、先に美咲を札幌駅まで送りに向かっていた。 「すまない。夕べは悪酔いしてあんまり憶えてないんだ」 「……フフフフ。姫野さんにもそんな事があるんですね」 美咲に笑われた姫野を小花はじっと見ていた。 「ここで降ります。ではこれで帰りますね。姫野さん。小花さん。ありがとう」 「はい!よければまた遊びに来てくださいね」 「美咲君。本当にありがとうな。気を付けて」 こうして慌ただしく札幌駅の北口で美咲を下ろした姫野の営業車はそのまま夏山ビルへと向かっていた。 「美咲さんは、頭が良くて素敵な女性でしたわ。鈴子の作業が遅くてもじっと待って下さったの。あんな人になりたいですわ」 「確かに彼女は聡明だしな。ん。どうした」 「いえ。別に。前をご覧くださいませ」 美咲を褒める姫野に少しイラとした小花はぷいと窓の方を向いていた。 「鈴子さん?今日のおやつは何にしますか?」 「また甘い物で誤魔化そうとして。鈴子は騙されないもの」 「……自分だって慎也社長とベタベタしたくせに」 「ベタベタなんかしていませんわ。姫野さんこそ、美咲さんばかり褒めて。鈴子の事を褒めてくれないんですもの。それに西の人は優しいけど、やっぱり私だって本社の人や姫野さんに逢えないのを我慢していたのよ。それなのに美咲さんばかり」 愛しい彼女が自分に逢えないのを我慢していたと聞いた瞬間。彼の嫉妬は完全にリセットされたので、彼は会社の手前で車を停めた。 「分かった!お前はよくやった!鈴子は偉い」 「……嘘。ニヤニヤして笑っているもの」 「愛してるよ。鈴子」 「そうやってすぐ告白して。姫野さんは本当に意地悪です。鈴子の心を弄んで」 「良いから機嫌を直せ。直さないと本当にキスするぞ」 「ええ?それは……困るわ。分かりました」 話を聞いただけで真っ赤になった彼女を、彼は本社まで連れて来た。 「お嬢!お帰りなさいませ。なんとご無事で……」 「渡さん。ご心配掛けました。あの、この泥は」 「あ。しまった!私のせいです。ただ今この身を持って拭きますゆえ」 「いいんです。これは私のお仕事ですもの。掃除をさせてくださいね」 さあさあと小花は渡を営業所に追いやると5階で着替えて清掃を始めた。 その頃。 美咲のスマホには彼から何度もメールが着ていた。 ……今はトマム。あと一時間で着きます。っと。 彼から帯広駅まで迎えに行くと返事が着たので返事を送った。 『いいです。自力で帰ります』 『絶対行く』 『仕事は?』 『お前の方が大事』 美咲は彼の優しさが嬉しかったが、今回彼の憧れている美少女小花に逢い、その心の美しさを知り、彼女には逆立ちしても敵わないと思っていた。 ……たぶんこれは水前寺所長に言われて迎えに来るだけだもの。 『ありがとうございます。駅で待っています』 そう送信すると彼女はスマホのカバーを閉じて、窓から見える緑の景色を眺めた。 一面に広がる蕎麦の素朴な白い花が、夏の日差しに揺れていた。 ……いつまでもくよくよしても仕方ないか。 そう自分に言い聞かせた美咲は、まるで自分を気持ちを窓から飛ばして行くように、ずっとずっと草原を眺めていた。 「よ!どうだった向うは」 帯広の彼は笑顔で美咲の荷物を持ちあげた。 「何ていうか。皆さん。元気でしたよ」 「お前は元気ねえな。無理し過ぎじゃねえか」 黒沼は心配そうに美咲の顔を覗き込んで来たので彼女はドキとした。 「人に疲れただけです。それよりも黒沼さんの方は?」 「俺、有給で休んでいたんだ」 「え。冗談でしょう」 「日暮れの公園で白いギターを弾いてだな。お前を想っていたんだよ」 「黒沼さんはギター何か持っていないでしょう?」 「心のギターだよ?あのな……お前さ。俺はどれだけ心配したのか分かって無いみたいだな」 黒沼の車まで歩く美咲は、帯広の空気を大きく吸った。 ……やっぱり故郷が一番いいな。 「おい、美咲。こういうのな。今回限りにしてくれよ……」 「そうですね。私が出向いてもそんなに変わらないと思うし、え?」 黒沼は黙って彼女の手を握った。 「黒沼さん?」 「帰るぞ」 彼の真剣な顔は美咲には怖いくらいだった。 そんな彼の気持ちも分からないまま、美咲は彼の車に乗った。 車窓からは帯広の平原が光って見えた。 ……西に来ないか、って言われたけど……彼女になるのも無理だけど。 「ところでさ。西営業所ってどんな感じ?」 「熱血な所長さんで、みなさん元サッカー選手なんですって。クールビスの時はコンサドーレ札幌のユニフォームを着るみたいです。街も素敵でしたよ。三角山があって」 「三角山?なんだそれ?お菓子の名前か」 黒沼の真顔に美咲は思わず声を上げて笑った。 「アハハハ!それとですね。風間さんは伝言はないって伝言です」 「ひでえ?おい、美咲。笑いすぎだろう?」 そう言って隣の彼女に肩をぶつけてきた。 ……やっぱりここがいいな。仕事仲間のままでいいから。 「フフフ。すみません。ほら、ちゃんと前を見て」 「バカにすんなよ。あとで何をしてきたかぜーんぶ聞かせてもらうからな」 夏の日差しの中、二人の車は広い空港を飛び出していた。 青い空。 白い雲。 緑の香りが濃い平原の風。 南の太陽。 そんな眩しい真夏に押されるように、彼らはヒマワリの咲く道をひたすら駆け抜けて行った。 「西に来ないか 後編」 完
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