175 私はセールスマン 後

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175 私はセールスマン 後

「何をすんだよ」 「これは秋のお化け屋敷ですわ」 ここでやはりゾンビに扮した役員がわけがわかっていない石原に説明をした。 「これは秋の肝試しの企画なんですよ」 「じゃ。俺はお化け役か?」 「そうです。お似合いですよ」 やがて商店街のカメラ屋が来て撮影となった。なぜかここで小花がメガホンを持っていた。 「今は明るいですが、写真では背景を夜にします。みなさんは商店街を彷徨う感じですわ」 顔色を悪くメイクした役員と大学生。そして石原は血だらけの表情でポーズをとった。こんな彼に小花は指示を出した。 「石原さん。もっと首をグニャって曲げて!右の人は目を寄り目にして!左の人は口を大きく開けて。そう。そのままですわ」 「は、早く撮って」 「苦しい……」 「首が?」 弱音を吐くゾンビ達にカメラマンは嬉しそうに写真を撮っていた。 「いいね。その表情……苦しそうだよ」 「……オッケーですわ!はい!終わり」 こうして撮り終えたポスターとこの様子の動画を小花は札幌テレビに送った。担当の水沼の力もあったが、その自虐ギャグが酷すぎるとイベント前に全国のニュースで放送されたのだった。 「小花さん。そろそろ帰らないと行けないんじゃないの?」 「汐見さん。最終はまだなので平気ですわ。それよりもお子さんは?」 「あそこよ」 このイベントに小樽レディも遊びに来ていた。シングルマザーの汐見は息子の楽しそう顔に目を細めていた。 「優しそうな息子さんですね」 「外面がいいのよ。うちではひどいのよ」 「甘えているんですわ。いいな、お母さんに甘えて」 石原ゾンビに嬉しそうに水鉄砲をかけている少年。そんな彼をしんみり見ている小花に汐見は詫びた。 「ごめんね」 「な、何がですか」 「あんたのことを誤解していたんだ」 可愛い顔で男を手玉にとる魔性の女だと思っていたと汐見はこぼした。 「でもあんたは親を亡くして。一人で仕事をしながら夜の高校も通っているんだろう?私はまだ、親に助けてもらっているけど、鈴子ちゃんを見ていると弱音なんか吐けないよ」 「汐見さん。あのね」 小花は汐見をじっと見つめた。 「汐見さんは立派ですわ。お医者様のセクハラにも負けないし。配送から営業になったなんて。夏山を代表するど根性お母さんセールスマンですわ」 「小花ちゃん」 「……汐見さん。北海道の女性は日本で一番、男女平等だと思っているってご存知でしたか?」 小花はまた逃げ惑う石原を見た。 「北海道でニシン漁業が盛んな時。人手不足で女の人も男の人と同じ仕事をして、同じお給料をもらったそうですわ。それが元で男女平等の精神なんですって」 「そうなんだ。男女平等は私は当たり前だと思ってたけど」 彼女はフフフと笑った。 「私もです。夏山愛生堂には女セールスマンが少ないって権藤が抜かしていましたが、優秀な人ばかりだわ。全く、お門違いよ。ふふふ」 そこに石原が逃げてきた。 「お姉ちゃん助けてくれ?あの悪魔の少年が俺ばかり狙って」 「待てー!ゾンビ爺!」 「冷て?風邪引くってばよ!」 こうして楽しい、小樽を騒がす秋の肝試しイベントとなったのだった。 このイベントを機会にすっかり小樽に打ち解けた小花は、汐見の意見もあり、一人で営業をするようになっていた。 「おはようございます!」 「自転車で大変でしょう。坂の街なのに」 「アシストですもの。はい。ご注文のお薬ですわ」 鈴子は医薬品を配るだけの営業。この日は時間があるのクリニックの院長が話をしたいと受付女子に小花は言われた。 「ええ?でも私からはお話しすることなんか何もありませんわ。薬の説明はどうか、MRさんに」 「ダメよ。お茶でも飲んで行って。さあ!」 こうして小花は診察室に呼ばれてしまった。 「おはようございます、先生。夏山の配達担当の小花です」 「君が評判のお嬢さんか。どれ、座ってくださいよ」 ベテランの院長は若い小花に笑みを見せた。 「で。どうして君が営業なんかしているの?罰ゲーム?」 「男女雇用なんとかですわ。でもね、先生、お仕事で男女平等は無理って思いませんか?」 小花の話を院長は聞いてくれた。 「男性でも力仕事が不向きな方がいますし、年齢もありますでしょ?仕事は男女関係なく適材適所ですわ」 「はっは。確かにそうだね」 「なので私は向いておりませんの……先生。どうかお薬の詳しい説明は薬剤師の資格を持ったMRさんに聞いてくださいませ」 「……君は今まで何の仕事をしていたの?」 小花は掃除の仕事だと正直に話した。 「それなのに急に営業か。断れば良いのに」 「まあ、こんな私に頼むなんて相当切羽詰まっていると思ったんです。でも、やって良かったですわ」 「何が」 小花はニコッと笑った。 「夏山にいても現場の様子がわからなかったんです。でも、医療関係の皆さん、病気の方のために一所懸命だってわかったので。勉強になりましたわ」 「そうか……」 新人小花をあわよくば食事に誘うと思っていた院長は、あまりにピュアな彼女にこれを止めた。 「お宅で勧めている新薬があると思うけど。うちで使ってみるから」 「何がなんだか知りませんが、ありがとう存じます」 こんな調子で小花は得意先を回っていた。 「先生。お話ししていた食パンですわ」 「これが札幌で流行っているの」 女医はいい匂いのパンに目を閉じていた。 「はい。バターを先に乗せて焼いて食べるのがお勧めですわ」 「へえ。あのね小花さん。サンプルで持ってきたクリーム。あれ良かったから、明日持ってきて頂戴」 そして次の得意先へ向かっていた。 「こんにちは!先生。ススキノお店の予約をしておきまたよ」 「大きな声で言うんじゃない?!って。君も行ってくれるんじゃないの」 医者に小花は行かないと首に振った。 「バニーガールさんがいるお店ですし、私まで行ったらモラハラで先生は訴えられるかも」 「アハハ。冗談だよ。ありがとう。あのさ、予防接種のワクチン、追加ね」 そして自転車で疾走する小花は、道で老人に呼び止められた。 「薬屋の姉ちゃん!」 「あ、おばあさん。元気になったみたいですね」 「頭以外はね」 そんな老婆はホッケをあげると言った。 「小さいシマホッケだよ」 「嬉しい……お代は?」 「要らねえべ!持っていけ」 こんな彼女に鈴子はバッグからあるもの取り出した。 「これ。着物の生地で作った布マスクですの。よければ使ってね」 頂き物の着物生地で作った布マスクに、老婆は寄り目になった。 「上等品じゃないか?いいのかい」 「ええ。たくさんあるんですの。私とお揃いですけど」 「ありがとさん。さあ行け!仕事だろう」 こんな調子で鈴子は小樽の街で楽しく営業をした。そして労働局が視察にやってきた。 これには社長の慎也も顔を出していた。 「ごめんね、小花さん。いきなり営業なんて。俺、小花さんだって全然全く思いもしなくて」 「ホホホ。なんでもおっしゃってくださいませ。さて、お仕事に行きますね」 今回は小花の同行ということで、視察団は勝手に後ろをついて行った。 自転車の鈴子は鼻歌混じりに潮風の坂道を進んでいた。 「おはようございます。今日も街が綺麗ですわ」 「わかってるよー。気をつけて行け」 掃除の老人との挨拶に車の中の視察団は目を細めていた。小花はコンビニの前と通ると、店員がゴミ拾いをしていた。 「おはようございますー。結局おでんはどうなったんですか」 「それがね。店頭ではやらなくて済むんだよ!」 感染予防対策で店頭販売場がなくなったとバイト店員は嬉しそうにホウキを振った。 「あれは扱いが面倒ですもの……やらずに済むなら何よりよ」 「あ。そういえばさ。今日、紹介された歯医者に行くから。先生に痛くしないでって言っておいてくれよ」 「ふふふ。それは無理ですわ?じゃあ行ってきますー」 こんな彼女は皮膚科にやってきた。背後には視察団がついてきていた。 小花はこれを無視して仕事をしていた。 「おはようございます。失礼します。伝票はこれです」 これを受け取った受付女子は、注文があるというので小花は待合室で立っていた。 これに老婆が声をかけた。 「あんたも座んなさいよ」 「私は患者じゃないんです。平気ですわ」 「ふーん。私は手足が痒くてさ」 海のそば。潮風の乾燥からか、皮膚科を受診する患者が多いと小花は思っていた。 「先生からあんまり風呂で擦るなって」 「もしかして。毎日アカスリでゴシゴシ擦らないと気分がスッキリしない感じですか」 そうだという老婆に小花は首を横にふった。 「私も手足は石鹸でフワフワだけですよ。冬はそれで十分」 「やっぱり」 「汗もかかないですよね。今夜からお試しになってくださいね」 綺麗な小花を見て他の老人達もおうと返事をした。 その時、診察が嫌だと子供が泣き出した。 「あらあら。このシールあげますわ」 「ほら。お姉さんがシールをくれるって」 「要らない。そんな変なの」 「こら?すみません」 「いいんですの。じゃあね。お姉さんに貼って頂戴」 いたずらの許可が出た子供は嬉しそうに小花の足に張り出した。 悪ノリの少年は他の老人にも貼っていたが、誰も咎めなかった。 こんな暖かい待合室を後にした視察団は、慎也に終了を告げた。 「もうですか?」 「ええ、十分です。夏山さんは素晴らしい人材をお持ちだ」 女を増やすために小花を急遽導入した件は彼らも知っていた。どうせいい加減なセールスだろうと思っていた彼らは感動していた。 「夏山さんは販売しているのは医薬品じゃないんですね。人を大切にする心と愛。さすが北海道のエースだ……」 「そうですよ」 慎也はお褒めの言葉をまともに受けていた。 「この女性が活躍する職場は、素晴らしい企業モデルとして紹介させていただきます」 「どうぞ。まあ、うちの小花さんは日本一だと思いますけどね」 あははと笑って終えた小樽の営業。最終日は涙涙で小花は得意先を回った。 「嘘!今日で終わりなの」 「すみません。別れが惜しくて言えませんでしたわ」 「そんな。仲良くなったのに」 今度は札幌で会いましょう、と小花は仲良くなった女医や看護師と別れを告げた。男医者は妻子持ちなので小花はここでさようならをして小樽を後にした。 そして翌朝。本社にやってきた。 「おは」 「「「おはようございます」」」 帰ってきた小花に夜勤だった社員たちは歓迎の挨拶をした。 そんな彼女は着替えて中央第一営業所に向かった。 「おはようございます。あら。いたんですか」 「悪いか。それにしても」 久しぶりに会社で会った姫野は、パソコンを前になぜかむすとしていた。 「どうしたの?」 「……これを見ろ。ここだ」 そこには単月の売り上げデータがあった。 「ここだ。小樽のお前のコードだ」 「そんなに売り上げはないと思うけど」 「何を言うんだ」 売り上げ金額は姫野には劣るが、利益は夏山全社員で一番の成績だった。 「そうなんですか」 「嬉しそうじゃないな」 「だって」 掃除をしながら彼女は呟いた。 「ご病気の人が少ない方が良いもの。あんまり嬉しくないですわ」 「鈴子。こっちにおいで」 姫野は座ったまま彼女を膝に乗せた。 「そうだね。でも、苦しんでいる人に薬が行き渡ったと思えばいい」 「そう……かな」 「あのな。ここに彼女が構ってくれなくて、病気の男がいるんだ。どうにかしてくれないかな」 こんな姫野に小花は微笑んだ。 「あら。私もそうだったのよ。寂しかったわ」 優しい微笑みをした二人に朝日が入っていた。 札幌駅の東。静かな卸センター。夏山愛生堂には今日も愛が溢れていた。 Fin
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