29 私の彼はへそ曲がり

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29 私の彼はへそ曲がり

「何度も聞いちゃいますけど。先輩ってなんでそんなにゲームが上手なんですか」 「やりこめば誰でもできると思うがな」  ゲーム大戦の翌日の中央第一営業所は風間の興奮した声が響いていた。 「できませんよ!あんなリモコン操作なんて」  ゲームショーを札幌ススキノのパブリックビューで見ていた風間は、目の前の姫野が憧れのチャンピオンである事に興奮し思わず至近距離で写真を撮り、姫野はまぶしい顔にさせた。 そんな彼らに松田女史は届いていたファックスを確認した。 「まさか姫野係長がそんな事ができるなんて意外だわ」 「……ゲームに夢中になっていたのは学生時代ですから。昔の事ですよ。俺、ちょっと財務部に行ってきます」  逃げる様に姫野の去った営業所で、風間はつぶやいた。 「しかし。どうやったらあんなリモコン操作ができるんだろうな」 「失礼します。清掃です」  そこへぞうきんとバケツを持った小花が入ってきた。 「あ!俺テレビ見たよ!小花ちゃんも映っていたよ」 「まあ?私がですか?」  驚いて口にを当てた小花に風間は尋ねた。 「うん。ほんの少しね。ところでさ、なんで一緒に行くことになったの?」 「それは……」  彼女は双子の弟が冒険の旅に誘いに来た事を真に受けて、着いて行く事になったと正直に話した。 「フフフ。小花ちゃん。それを聞いて戦おうとしたのね?」 「はい。あの時は」  モップを握りながら真面目な顔でうなずく彼女に風間と松田は爆笑した。 「わ、笑ってごめんね。あのさ、私も観ていたけれどあの弟さん達はどういう人達なの」 「とても一言でお話しできませんが、皆さんとても仲良しですよ」   そういって、小花はデスクの上をハタキでそうっと撫でていた。風間は小花が掃除しやすいようにそっと書類を持ち上げた。 「そうか。それは後で先輩に聞こうっと。しかしなんであんなゲームが上手なのかな」 「姫野さんは両利きだって、妹さんがお話しいていました。これで失礼します……」  まだ掃除する場所はたくさんあった彼女は早々と退出した。 「両利きってなんだろう」 「姫野さんて右利きだと思うけど」  そこへ石原部長が肩で風を切って入ってきた。 「おはよう。何だ?何か合ったのか」 「別になんでもありませーん」  二人は説明が面倒なので石原には云わないことしよう、とアイコンタクトを一瞬で交わし、仕事の顔に戻った。 「ところで、部長。姫野係長って右利きですよね」 「いや。奴は両刀使いじゃないかな。あ?ちょうど戻って来たじゃないか」 「何の話ですか部長」  部屋に戻った彼は自分の席に座りパソコンに向かった。風間は恐る恐る尋ねた。 「あの。先輩って、右利きですよね」 「なんていうか。まあ、どっちでもいいな」 『どっちでもいいの?』と三名の声が綺麗に揃った。姫野は面倒そうに話し出した。 「左利きでしたが俺の両親は右も使えた方が良いといって。どちらでも使えるようにしたかんじです」 「お前は字は右だよな」 「はい。右で書きますね……詳しくいうと。俺の場合、繊細な作業は左で、力を入れるのは右になります」 「そうか。姫野はゴルフの時、右だもんな」 「歯磨きは?」 風間の問いに姫野は左手を上げた。 「ボールを投げるのは?」 姫野は右手を上げた。 「そのゴミ箱にゴミをほおり投げる時は、右か?」 石原の問いに彼は実際にやってみせた。 「こうやってゴミ箱に近い方の手ですね」 「なんだ?それ!」 「お話し中、すみません。姫野係長、お電話です」   そして姫野の電話中、石原は風間に聞いてきた。 「おい。風間。姫野って本当はどっちだと思う?」 「何がですか?」 新聞を読んだままの石原はキャスターの椅子で風間の隣に来た。 「右か左に決まっているだろう?他に何を調べる気だ?お前、これをちゃんと調べろ」 「どうやってですか」 石原は新聞をバサと下した。 「じゃんけんしろ。じゃんけんの手が利き腕だろう?」 「いいすね!電話が終わったら、俺やってみます」 やがて姫野の電話が終わった。風間はにこにこで彼のデスクにやってきた。 「どうした」 「先輩、じゃんけんしましょう。じゃんけん……ぽ」 「いい加減にしろよ、ほら、得意先に行くぞ」  こうして二人は得意先に行った。 ◇◇◇  仕事帰りのこの夜、余りにも風間が興奮していたため姫野は仕方が無く、狸小路のゲームセンターに一緒にやってきた。 「ねえ。先輩。最高レベルで戦って下さいよ」 「一回だけだぞ」 上着を脱いだ姫野が操るリモコンは、風間が見たことも無い早さと複雑な動きの組み合わせだった。 「すっげーーー。ノーミスで最終ステージだ」 「……このスティックでは……まあ。こんなもんだ……これで終わりかな」 本人はつまらなそうな顔であったが、風間は初めてみた『パーフェクト!』と書かれた画面に興奮して手を叩いた。 「すげえ。でもこれでよくわかりました。これは俺には無理って事が」 「そうか?じゃあ帰るぞ」  感激も無く、何事も無かったような顔の姫野が上着を着る姿が、風間には神に見えた。 「あ?先輩。景品もらっちゃいましたよ」 「なんだ?これは」 「達磨(だるま)だって」 風間は胸に抱いた赤い達磨を姫野は嫌そうに見た。 「俺は要らんぞ」 「俺もです。でもこれ、ゴミ箱とかに捨てたら縁起悪そうですよね」 そういって達磨の頭をなでている風間に姫野は背を向けた。 「……営業所にでも置くか。目標を達成したら、目を入れればいいさ」 こうして達磨をもらってしまった二人は翌朝、これを営業所に置いた。そんな朝の石原は姫野の観察に忙しかった。 「ハサミは右。本をめくるのは左か……」 「それ。ストーカーの手前ですよ」 「うるさい!部下を見張るのは俺の仕事だ。引き出しは左で開けるけど、右手で閉めるのか……お前って本当にへそ曲がりだな」 「失礼します、清掃です」  朝の清掃でやって来た小花はいつものように清掃を始めた。が、急に石原を見て動きを止めた。 「え?……あ、すみません」  石原の顔を見て怯えた表情になった小花は、早々と清掃を終え、営業所を出て行った。 「なんだ?一体」 「小花ちゃん。部長の顔を見ておびえていましたよ」 「彼女に何かしたのですか」 「お、俺は何もしてない!」 「部長。それよりも会議のお時間です。会議室に行ってください」 この日はこうして話が終わったが、翌日から小花は中央第一に掃除に来なくなった。彼女は第二営業所を掃除し、代わりにもう一人の清掃員の吉田婆が来ていた。 「今日も吉田さんですか?小花ちゃんはどうして来ないんですか!」 「風間君。私もそろそろ限界だよ」 「吉田さん。こちらにお座り下さい。松田さんはお茶を。風間は」 「はい!腰に張る湿布。顔のほうれい線を消すテープ。脂肪を燃やすサプリです。モップは俺がやります!」 「気が利くようになったじゃないの」   そして吉田の前に姫野は座った。 「で。来ない原因は何ですか?何か不快な思いをさせたとか」 「不快ね……」  そういって吉田はふんぞり返って競馬新聞をみていた石原を見た。 「やはり。うちの部長ですか」 怒りに震える姫野に風間が慌てた。 「ちょっと!部長。新聞読んでる場合じゃないですよ!やっぱり部長のせいだって」 「なんだって?」 「違う違う。そいつじゃないんだよ」   吉田は慌てて、手を振った。 「では誰のせいで?」 「姫野君。小花ちゃんはへそ曲がりだからさ。これを言うと、気が引けてここを辞めるとか言いそうなのさ」 「言ってください。必ず彼女を守りますから。な?」  うんと石原と風間と松田も頷いた。 「実はね……石原部長の」  吉田婆のひそひそ話に四人は顔を見合わせ、ふっと笑った。 「わかりました。では排除します。おい、そいつを摘まみ出せ」 「こらー!小花ちゃんに何すんだよ!」 「本当に迷惑!早く出ていきなさいよ!」 この様子を見た吉田は立ち上がった。 「まあ、彼女には上手く話すからさ。明日からまたよろしく頼むよ」   じゃあ、と手を上げて、吉田は去って行った。 ◇◇◇ 「お、おはようございます」 誰もいない早朝の中央第一営業所に顔を出した小花の胸の鼓動はうるさかった。 ……あっちの方を見なければいいのよ。 彼女はドキドキしながら床のモップ掛けを始めた。今朝の吉田は腰が痛いというのでしぶしぶやってきた小花がいる中央第一に彼もやって来た。 「おはよう。小花」 「おはようございます。姫野さん」 しかし彼女はかるく振り向くだけだった。自分を見てくれない彼女に姫野は微笑みながら机に鞄を置いた。 「小花。済まないが、昨日まで達磨を置いてあった所に埃が溜まっているので。掃除してくれ」 「達磨?って。赤くて怖い顔をしていたものですよね……あれはもう無いんですか?」 やっと自分を見てくれた小花に姫野はほっとした。 「ああ。部長が欲しいって言って持ち帰ったから。ここにはもうないぞ」 「そう、ですか……」  彼女はおそるおそる石原のデスクの背後の棚を見た。 「本当だ……いない。あ、あの、お掃除しますわ」 ホッとした顔の彼女を見て、姫野もホッとした。バケツの水で真っ白いぞうきんを絞り、棚を拭く彼女は嬉しそうだった。 ……達磨がそんなに怖かったとは。悪い事をしたな。 達磨が怖い彼女がとても愛らしい姫野は鞄の中から、なにやら取り出した。 「小花。これだけど、今回ゲームショーに付き合ってくれたお礼だ」 「私、お礼をされるようなことはしていませんけど」 「一緒にいてくれただけで嬉しかったんだ。これは美雪とおそろいだけど、勘弁しろよ」 広げた箱の中から、姫野はネックレスを取り出した。 「ええ?私、このような高価なものを受け取る訳には参りませんわ」 「高価じゃないし、ほら。動くんじゃない」 そういって彼は小花の首にネックレスを付けてやった。ホワイトゴールドのチェーンのトップには華の形をあしらったピンクの宝石が小さな輝きを放っていた。 「うわ。いいのですか?」 「ああ」 彼女の白い胸もとのトップの飾りを姫野は左手でそっと揺らした。 「本当に良いのですか?」 「気に入らないのか」  彼女は首を横に振った。 「嬉しいですわ。ありがとうございます、姫野さん」  そういって彼女はそっとネックレスに触れた。そこに賑やかな声がしてきた。 「おはようございまーす。あ。小花ちゃんだ」 風間の登場に、姫野はすっと眼鏡を上げた。 「風間さん。今日もスーツがお似合いですわ」 「ありがとう。小花ちゃんも元気になって良かった!」 「私はいつでも元気ですよ」  そう言って彼女はモップを握り掃除を始めた。 ……よかった。喜んでくれて…… 営業所には彼女の鼻歌が流れ姫野の心をくすぐっていた。札幌駅の東にある卸センターにはこの日も青空が広がっていた。 「わたしの彼はへそ曲がり」完
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