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34 負けないぜ!
「何だって?小花ちゃんがトップ争いをしているだと?」
「ダーリン。こんな所で馬油なんて売っていられないわ!応援に行くわよ」
ミニマラソン時に販売をしにやってきた風間薬局の夫婦は息子、風間諒の切迫した声に押され小花の応援に向かった。テレビ塔の下のテントでの商品販売をほおり出し、京王プラザホテルへ向かった夫婦は沿道に立っていた。
「ハニー。どうだい?彼女はまだかい」
「……見て!?ダーリン。来た、来た、来た……おお」
だんだんこちらに来ると思っていたが、意外と早くこちらに来た女子のトップに風間夫人は興奮した。
「来たわよ、ほら!……ぎゃー!小花ちゃーん!!」
風間夫婦の左手からやってきたテレビ中継の車が、女子のトップを先導し、その後に小花が走って来た。夫人は必死に手を振り声を出した。
「行け―!小花ちゃん!」
「がんばれ!小花ちゃーん!!って。行っちゃった……」
あっという間の出来事に放心状態の夫婦であったが、夫人はすぐに切り替えた。
「もう見えなくなった……ねえ。戻りましょう。ゴールよ。ゴール」
「ああ。戻ろう」
こうして夫婦がまたテレビ塔の下へと移動した。
◇◇◇
「はあ。はあ」
夏山愛生堂の子会社の手塚は、夏山愛生堂のピンクの帽子を被りこのミニマラソンに参加していた。彼は子会社であるが親会社の夏山愛生堂の運動部に所属していた。いつもきょうこうした大会の参加費用を夏山に出してもらっている彼はこの日も宣伝を兼ねて夏山愛生堂の帽子を被って走っていた。
……それに。応援してくれている良子さんに良い所を見せたいし。
最近親しくなった財務部の良子を思いながら彼は走っていた。そんな彼の背後からアナウンスが聞こえて来た。
「女子の先導車です!端に避けてください。女子のランナーが通ります」
……すげえ。男よりも早いじゃないか。
感心していた手塚は、アナウンスに従いコースの左へ寄った。すると彼の横を走り去って行った女子の中に、自分と同じ帽子の女の子がいた。
……あれ?女子で参加がいたのか。
「行け―!小花ちゃん!」
「がんばれ!小花ちゃーん。ぎゃー……」
手塚はこの声援でランナーが小花ではないかと走る様子を見た。
……この声援?そうだやっぱり。今のは小花ちゃんだ!
その時、コースにあったスピーカーから解説が聞こえて来た。
『給水ポイントで先頭の松野は水を取れましたが、夏山愛生堂は取りませんでしたね。増田さん。これは何か作戦なのでしょうか?』
『さあ。もしかしたら、夏山愛生堂はこういう給水をしたことがないのかもしれませんね……』
……確かに。
手塚の前方を走る女子の先頭集団の選手はみなコースの左に設置された給水の水を取りに行ったのに、小花は変わらず走ったままだった。
……大丈夫かよ。
気になった手塚は給水でドリンクを二本受け取ると、一本は飲み干し、一本を持ったまま彼女の背を追った。やはり先頭集団からじりじりと離されて行く彼女に追いついた手塚は、横を走りながら彼女に声を掛けた。
「こ、こはな。これ、飲め」
驚き顔の彼女は、まずこれを受け取った。
「ひとくち、で、いい、から」
彼女は黙って水を飲んだ。
「自分に、かけろ」
指示通りに水を掛ける彼女に手塚は声をかけた。
「いま、のペースは、落ちて、くるから」
うんと彼女は頷いた。手塚は必死に伝えた。
「前に、行って、誰か、抜けたら、君も行け」
うんと彼女は頷いた。
「最後、おおどお、りに戻る、とき、仕掛けるなら、そこだ」
「あ、りがとう。てづか、さん」
「行け!」
手塚は彼女の背を叩き、自分はコースの端により、ペースを落として走った。
「はあ、はあ」
……しかし早いな?俺にはあのペースは無理だ。
苦笑いの手塚が見守る仲、必死の小花は見えなくなっていた。
◇◇◇
その頃。ホテルロイトン札幌の前ではポロシャツ軍団が陣を取っていた。
ここで襟を立てた渡が気合を入れていた。
「いいか?野郎ども!今からここにお嬢が通る。我らは全力で応援をするぞ!」
おお!と声を上げたおそろいの白いポロシャツ姿の中央第二の社員達は、一人だけ赤色で襟を立て決めている渡の指示で女子の先頭が来るのを待った。
「まだ時間があるな。よし、誰か応援団の指揮を取れ!お前、前に出ろ」
「はい!」
渡の指示で社員は前に出た。そして大きく息を吸い、身体を後ろに反らせた。
「それでは行きます!三分の三拍子―――!」
「バカ野郎!音楽の時間か?話にならない。お前、やれ!」
「はい!」
今度の社員も前に出た。
「それでは行きます……」
大きく息を吸い、身体を後ろに反らせた。
「アゲアゲホイホイー!」
「バカ野郎!練習したってできないぞ?あのな。三三七拍子をやれ!」
「三三七拍子って?なんですか」
社員の不思議顔に渡はイラっとした。
「『チャッチャッチャッ。チャッチャッチャッ』ってやつだ」
「自分は『おもちゃのチャチャチャ』しか知りませんが」
「誰か姫野を呼べ!これでは応援ができん!」
すると社員は先を指した。
「あ?部長!お嬢がきました」
「なんだと。二位か……くそ」
驚く渡であったが声をそろえる練習をしていなかった社員達は各自で応援を始めた。
「かんばれー」
「小花ちゃーん!」
「行けーー!」
「ううう」
だんだん彼女が近付く中、渡は腹をくくった。
「おい野郎ども!我々の声でお嬢の背中を押すぞ!俺について来い!」
彼はすっと前に出た。
「行け行けお嬢!押せ押せお嬢!」
渡はリズムカルに手を叩き始めた。これに社員達も一緒に続いた。
「行け行けお嬢!押せ押せお嬢!」
「行っけ行けお嬢!押っせ押せお嬢!」
このリフレインを彼女が見えなくなるまで続けた渡は、最後に道路にへたり込んだ。
「ぜーはー」
「大丈夫ですか?渡部長」
「誰か、酸素ボンベを持ってこい。部長が」
「よせ!俺に構うな。お嬢は……お嬢はもっともっと苦しいはずだ」
そして真っ赤になった掌を見つめていた渡に社員が声を張った。
「俺のスマホを見てください!お嬢がトップに躍り出ました!」
「なんだと!貸せ」
いちいち驚く渡は、『ギアが一段あがりました。すごい体力です』と流れた音声にすっと天を見上げた。
「やったな」
「そうですよ……部長。我々の声が届いたんですよ」
「部長!」
「さ。ゴールに行きましょう」
キラキラしている社員達に渡は目細めた。
「ああ。行こう。我らのお嬢の元に……」
そして腰が抜けた渡は社員の肩を借りてゴールへと戻って行った。
◇◇◇
その頃、彼は人波を掻き分けていた。
……小花。
姫野は居てもたっても居られず、沿道の人をかき分け、彼女が来るコースに向かっていた。
……小花。ああ、どうか無理をしないでくれ。
何事も全力投球する彼女の姿勢に改めて感動するとともに、そんな彼女を軽んじた自分を彼は心から恥じていた。
……小花。あんなに無茶して。
心配でたまらない彼は、一目彼女を見ようと、こうしてコースにやってきた。
大通公園の樹木の下、彼は男子のランナーの中、女子の先導車を必死に見ていた。
「あ!女子が来た!」
……あれか?ああ。小花だ!
沿道の子供の声に見ると彼女がトップでこちらに向かっていた。これに思わず彼はコースに飛び出し、彼女に並走した。
「……小花!後、少しだ!」
彼の顔をみた彼女は微笑んだように見えた。そして彼女は何も言わず、彼に向かってサングラスを投げた。
「え」
これを受け取った姫野は、立ち止り小花の背を見えなくなるまで見ていた。
◇◇◇
「はあ、はあ」
「お疲れ様」
汗だくの彼は彼女に微笑んだ。
「……いやあ。疲れた!せっかく君にかっこ良いところを見せようと思ったのに」
「なにを言うのよ。かっこ良かったわよ」
そんな彼の肩に良子はタオルをそっと掛けた。
「ほら、アレを見て」
「すげえ。もしかして優勝したの」
「私もびっくりよ!」
二人の見ている先には、インタビューを受けている小花がいた。
顔を見合わせて笑う二人は木蔭で休んだ。
「そうか。あの様子なら最後まで行けるかと思ったけど。本当にすごいな」
「いいな。なんだか私も走ってみたくなったわ」
「いやいや?小花ちゃんみたく走るのは無理だろう。まずはゆっくりウォーキングから始めてくれよ」
「人を年寄り扱いして……」
「ははは。そんな顔するなよ」
そういうと手塚は良子の肩を抱き、木陰にそっと座り、良子の作った大きなおにぎりを頬張った。
◇◇◇
「しかし。君は本当にすごいな」
「……そこまでじゃないですわ」
帰りの車中。しみじみと話す姫野に小花は話した。
「私。道具を使うスポーツは苦手ですが、ただ走るだけでしたら、結構速いんです」
「ただ走るって言うが。君、最後はスパートを掛けたりしただろう」
「はい。だってこれはレースですもの。状況に応じて駆け引きも重要なんですわ」
大通公園の噴水を眺めながら語った。
「トップの松野さんはずっと先頭を走っておいでで相当疲れたと思います。逆に私はずっと日陰でしたし」
「マジかよ」
「ところで姫野さん。どうしてゴールで待ってくれなかったんですか」
「……その話か」
姫野が誤魔化そうとしている中、小花は手を緩めなかった。
「そんなに私が信用できないのですか。風間さんはちゃんと待っていてくれたのに……」
「だってな。じっとしていられないだろう?君があんなに頑張っているのに」
すると、彼女は運転している姫野の顔をじーっと見た。
「なんだ?」
「……いえ。沿道にいた時の姫野さんの必死な顔を思い出して……フフ」
「うるさい!本当に心配だったんだ」
恥ずかしそうな姫野に対し小花は楽しそうに口に手を当て、鈴が鳴るような声で無邪気に笑った。
「何をそんなに心配されているのですか?フフフ。鈴子はちゃんと姫野さんの所に戻ってくるのに?フフフ……」
……ああ、もう敵わないよ。君には。
彼女が無意識に口にした言葉に、赤面した姫野はこれを必死に隠した。
「すまなかった。今度はちゃんとゴールで待っているからな」
「はい!ああ、ほっとしたらお腹が空いたわ」
「仰せのままに」
愛しき彼女の微笑を乗せた彼の愛車は、プラタナスの街路樹の札幌の街を疾走していった。
◇◇◇
「おい!俺を忘れるな!」
「別に。私は忘れていませんでしたが、あ、これ、部長のラジオです」
「返せ。おい、風間はどうした?」
一人でサンプルを配った石原に撤収をした松田は静かに答えた。
「彼女がどうとかで、とっくに帰りました」
「くそ!そうだ?渡はどうした?」
「中央第二のみなさんで打ち上げに行きましたよ」
「どこに?」
必死の石原に松田はやんわりと方向を示した。
「まだ見えるんじゃないですか……ほら!あそこのポロシャツ軍団ですよ」
「サンキュー!おーい渡!待ってくれー俺も行くー」
「今日も、めでたし、めでたし、か。さ!……私はオーロラタウンで買い物して帰ろうっと!」
全員を見送った松田女史は大きな日傘を広げ地下街へと歩き出した。そんな戦いを終えた彼らに初夏の札幌大通り公園の噴水は爽やかに水しぶきを上げていた。
「負けないぜ!」完
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