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41 振り返ると彼がいた 月曜日
「結構歩きますね。俺汗かいてきましたよ」
姫野と肩を並べて歩く織田は、苦笑いをした。
「中央区の得意先はビルや地下にあったりするからな。俺はいつも風間とこうして歩いているよ」
「姫野さん!こんにちは。そっちの彼は?」
ドラッグストアの女性店員が声を掛けて来た。
「研修でこちらに来ている者で、織田です」
会釈をした彼に、彼女はサンプルのウェットティッシュをくれた。これをもらい、二人はまた地下街のポールタウンを歩き出した。
「すごいですね。俺、得意先の人から物をもらったのは初めてですよ」
「まあな」
この夏。夏山愛生堂では初の試みで交換社員研修を実施していた。第一回は、仕事の支障が少ないという理由で、新人セールスマンの主席と次席が交換となった。
新人成績のトップは風間、その次は帯広営業所の織田だった。彼らの上司もまたトップ争いをしているライバルである。
現在、風間は帯広におり、織田は札幌の姫野の元、研修をしていた。
「姫野さーん!先日はどうも。良い病院を紹介してもらって助かりましたよ」
彼を見つけた時計屋の主人が、店の中から飛び出してきた。
「やはり耳鼻科でしたか」
「はい。あんなに色んな病院を回って病名がわからなかったのに。姫野さんの言う通りでした」
「目まいといっても色々ありますものね。どうぞご自愛ください」
「ありがとうね!今度、タダで時計修理してあげるから」
先ほどから店の人に声を掛けられる姫野に、織田は思いきって訊ねた。
「ずいぶん慕われているんですね」
「帯広と違って歩いているから話しかけやすいだけだろう?慕われているとは思ったこと無いな」
するとパン屋の店員が、姫野に声を掛けて来た。
「姫野さん。『ちくわパン』持って行ってちょうだいよ」
「ハハハ。買わせていただきますよ」
「何を言っているのよ。怪我をした時にお世話になったんだもの。これくらいさせてよ」
「では遠慮なく。織田、いただくぞ」
「これは、パンの中にウインナーじゃなくて、ちくわですか?いただきます……うま?」
こうして二人は商店街の人に呼び止められながら得意先のクリニックに辿り着いた。
「先生。こちらは帯広から研修にきている織田です」
「お!帯広か。俺は然別湖の温泉に行ったことがあるぞ」
「そうですか」
「……あ。そうだ、よ……」
会話が続かないので、姫野が間に入った。
「先生。先日お願いしたはしかの予防接種の件ですが、ご検討の結果、いかがでしょうか」
「うん。大丈夫だよ。希望日を後で教えてくれ」
「ありがとうございます!では、商店会長に伝えます。今日はこれで」
クリニックを出た姫野に、織田は今の会話の意味を訊ねた。
「さっき通った商店街は、若い店員が多いのだが、はしかの予防接種をしていない世代なんだ。商店会長は、従業員が大量に罹患するのを心配しているんだよ」
「じゃ。あの病院にみんなで接種をしに行くんですか」
「いいや。従業員達は足を運ぶ時間がないんだ。だから先生に往診を頼んだんだよ。費用は商店街が持つし。それにこのような試みはまだないはずだから、地域医療の新しい形として注目されると思うんだ」
「これって。姫野さんが考えたんですか」
「みんな困っていたし。俺は間に入るだけだったしな」
……すげえ。
この足で商店会長に報告した姫野は、地下の駐車場へ戻ってきた。
「さあ。帰ろうか、っとすまん。ちょっと待ってくれ」
姫野は地下街の端にある『花園団子』を買った。
「お土産ですか」
「まあな。営業所に帰るぞ」
二人は地下街のドアを開けて駐車場に向かった。どこか嬉しそうな姫野の横顔を織田はじっと見ていた。
「ただいまです、織田、入れ」
「おつかれさまでした。姫野係長、それと織田君。どうだった初日は?」
「……歩きつかれました。あ、ありがとうございます」
松田女史の淹れてくれた麦茶を、織田はぐっと飲んだ。その時、また誰かが入って来た。
「清掃です。失礼します」
「あ。どうも」
小花をみた織田は驚きで目を見開いた。姫野はため息で紹介をした。
「織田、彼女は清掃員の小花だ。派遣社員だが素晴らしい恋人がいるので一切興味を持つな」
「わかりました。織田です、よろしくお願いします」
「こちらこそ。どうぞよろしく」
彼女は気にせず掃除を始めた。
「ゴミを集めさせていただきます……まあ。石原所長。ゴミ箱にこんなものが入っていましたが?」
「あ!俺のギャラケーだ。ずっと捜していたんだ、それを!」
すると織田が松田女史に囁いた。
「なんですか、ギャラケーって」
「あれはただのガラケーなのに、スマホのギャラクシーが同じ商品だと思いこんでいるのよ。無視していいから?」
この会話中、小花が窓を拭くと、窓に何か張ってあった。
「まあ。ここにお金が伸ばして張ってありますわ」
「ああ!忘れる所だった。濡らしたんで干したんだっけ?あぶないあぶない俺の一週間のお小遣いなのに……」
「松田さん。あれ、千円札ですよね?」
「し!織田君、いいの。見ないで!」
しかし小花は掃除を続けた。
「あの。エアコンのリモコンが、なぜか神棚にありましたが?」
「やだわ!ずっと捜していたのよ、それ。部長ですよね。さっき神棚を掃除していましたから」
「グーグー」
「松田さん。すみません。僕、笑っていいですか?」
「いいぞ。織田。遠慮せず、どんどん突っ込みを入れてくれ」
笑う石原に姫野は淡々と続けた。
「織田。これくらいは日常茶飯時だから、断り入れなくていいからな」
パソコンで本日の売り上げをチェックしていた姫野は、淡々と言い放った。
「ところで小花。今日は『花園団子』があるからな。帰る前に寄れ」
「はい。いつもありがとうございます」
「あ。ところで織田君はどこに泊まるの?」
「ええと。ホテルじゃないんですよ。札幌の雰囲気を味わえる中島公園の近くの民泊の家ですね。ここです」
彼はスマホを松田に見せたので、姫野も覗いた。
「どれ、住所は……あ!これって」
「後ろに失礼します。姫野さんどうしたんですか、あれ、この住所」
「あの。ここ知っているんですか」
驚く織田に小花はにっこり微笑んだ。
「はい。私の家の隣ですわ」
姫野は頭を抱えたのだった。
こんな衝撃的な話しの後。姫野達は織田を迎えて居酒屋で歓迎会を開いた。
「夏山愛生堂には?」
愛があるー!といつもの乾杯を決めた石原、姫野、松田と織田は、ビールのジョッキをテーブルに置いた。
「ところで織田よ。どうだ札幌は」
「はい!楽しいです」
すると松田がみんなにサラダを取り分けながら話出した。
「織田君って。噂と違ってずいぶん真面目なのね」
「そ、そうですか?」
「うん。真面目過ぎて面白くないわ。もっとこう、会話が進むように、ボケてもいいんじゃない?」
姫野は珍しく松田をたしなめた。
「松田さん。初対面でそれはいいすぎじゃ」
「いや、いいんですよ」
織田は、ビールを飲んで姫野に向かった。
「姫野さん。実はそれ。よく言われるんです。話をしていて、つまらないって。でも自分はどうすればいいのか分からなくて」
「……真面目なのは良い事だと思うがな」
姫野は焼いたホッケの骨を上手に取りながらつぶやいた。松田は枝豆を食べ名がらうなづいた。
「そうだ!うちにはいいお手本が揃っているから、真似してごらんなさいよ」
「お手本……ですか?ええと、それは石原部長、それとも姫野さんですか」
割り箸を割った織田は、塩辛を食べていた石原とホッケを食べていた姫野を見た。石原は違うと抵抗した。
「おい。松田。言っとくがな。俺はまだボケ取らんぞ」
「松田さん。俺もボケ役じゃないですから」
「ね?面白いでしょう」
「笑ってすみません!そうですね。少し分かりました。挑戦してみます」
明日も仕事なので四人は早目に食事を終え、解散となった。
「織田は地下鉄、市電か?
「はい。路面電車で帰ります。ではまた明日」
織田の乗ったすすきのからの市電車は、繁華街の東本願寺、山鼻9条を通った。そして中島公園通りで彼はSPICAカードでピッと清算し、降りた。
昨日の日曜日から宿泊していた織田は、道を思い出しながら曲がり、自分の借りていた民泊の家に到着した。
この家は二世住宅になっているが、家主は一階に住み、二階を民泊で貸し出している。
ただ民泊といってもまだ始めたばかりの家主は、知らない人に貸すが怖かったので自身の出身地の帯広の人の札幌出張用に貸し出していたのだった。
今夜はもう九時を過ぎており、高齢の家主に気を使った織田は、声を掛けずに外階段から二階へ上がった。
「こんばんは、織田さん」
「あ。小花さん」
声に振り返ると、織田の家の前に小花が通った所だった。
「今お帰りですか?」
「はい。歓迎会をしてもらったんで」
「それはお疲れでしたね。今夜は早く休んで下さいね!お休みなさい……」
「おやすみなさい……」
笑顔で手を振った彼女に織田も小さく手を振った。
彼は虫が入らないようにドアを開け、明りを付け、部屋に入った。
「おやすみなさい、か……」
まだ一泊していない部屋に、なぜかホッとしながら暑い部屋の窓を開けた。
外に見える夜の中島公園は大変美しく、その池は彼の胸を高揚させた。
公園の樹木から漂う夜の風。
奥に見える鴨々川は涼しく流れていた。
彼の楽しみにしていた札幌の研修は、まだ始まったばかりだった。
「振り返れば彼がいた 月曜日」完
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