43 振り返れば彼がいた 水曜日

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43 振り返れば彼がいた 水曜日

「おい。風間早く行くぞ」 「はい。失礼しました……」  黒沼は風間の手を引き、得意先のクリニックを後にした。 「この後は、十勝クリニックの先生とランチをしてから、あずき病院に行って。そして歯科クリニックに、皮膚科。そして三時のお茶会に……おい、風間聞いているのか?」 「ねえ。黒沼さん。俺、もう札幌に帰りたい……」 「何を言っているんだ。まだ水曜日だぞ」 「なんでこんなにハードなの?」 「お前ってやつは」  黒沼は呆れて、助手席の風間を見た。  札幌から来た新人セールスマンは、ススキノプリンスという前評判のせいで、帯広のドクター達からぜひ会いたいとラブコールが掛かっていた。 その多くがススキノの遊び方を知りたいという好奇心だったが、一度風間に逢ったドクターが彼の人の良さとイケメンぶりをネットで拡散してくれたおかげで、風間のスケジュールは一杯だった。 「さ、着いたぞ」 「ふぁい……」 このやる気の無い青年が、夏山の新人でトップの成績とは黒沼には信じられなかった。 「こんにちは。夏山愛生堂です」 「まあ。黒田さん。そちらが札幌の人?」 受付の看護師は風間を見て頬を染めた。 「こんにちは。綺麗な病院ですね」 「……すみません。一緒に写真をお願いしたいんですけど」 「いいですよ?はい!」  彼女のスマホでパシャと取った風間は、黒沼と一緒に院長室に入った。 「先生。こちらが研修で札幌から来ている風間です」 「はじめまして。勉強させていただいます」 「君か。ススキノプリンスというのは」 「ハハハ。実家がススキノにある薬局なので」 「実はね。今度札幌に行くんだが、行ってみたい店が、ごにょごにょ」 「……それでしたら、ここか、ここの店が良いかと」 風間はサインをするように、メモを書き、ドクターに渡した。 「いやあ?助かるよ!」 「そこに限らず、どこの店でも楽しいですよ」 「先生、ではこれで、風間行くぞ」 「そうか。残念だな」 「失礼しました」  風間はペコと頭を下げ、退室した。  帰り際に受付の女の子から帯広土産を受け取った風間は、ようやく車に乗り込んだ。 「全く……セールスマンが手土産をもらうなんて。普通、逆だろう」 「え?受け取らない方が良かったですか?」 「誰もそこまで言ってないだろう!」  はーはーと息を荒くしている黒沼に、風間は目を瞬きさせた。 「なんでそんなに怒っているんですか?」 「……姫野は怒らないのか?」 「だって。姫野先輩ももらってますもん。相手に悪いから」 「どうせ女医や看護師に色目を使っているんだろう」 「……どうしてそんな発想になるのか俺にはわかりませんけど。姫野先輩はそんな人じゃないですよ。むしろ女の人にまとわりつかれて、迷惑していますし」 「ふん。次の得意先に行くぞ」 「ふぁい……」  こうして風間はアイドルのように、得意先に挨拶回りして行った。 そしてドクターとお茶会を済ませた頃、とうとう風間が帰ると言い出した。 「もういいでしょう?これだけ挨拶したんだから」 「お前な?研修なんだぞ?勝手に帰って首になってもいいのか」 「いいです。これで首になるなら、首にしてもらって結構ですから」  風間が首になるのは良いとして、自分の監督不足を危惧した黒沼は、風間の上司に相談することにした。 「風間はそこでマンガでも見てろ……もしもし」 『あ。黒沼さん、どうしたんですか』 「いいから。そこに姫野はいるか?」 『代わりますか?姫野さん、黒沼さんです……もしもし姫野だ』 姫野の声に黒沼はため息をついた。 「おい、風間が帰ると我儘言っているぞ」 『大丈夫だ。代わってくれ』  はい、と黒沼は風間にスマホを渡した。 『風間、どうだ?帯広は』 「先輩、俺もう帰りたい……」 『……もしもし風間さん?』 「え?小花ちゃん?」 彼女の声に風間は声のトーンを上げた。 『お元気でお過ごしですか?風間さんの事だから、皆さんと仲良く過ごされているんでしょうね』 「ま、まあね」 『お寂しいでしょうが、これも勉強ですもの。私も風間さんの机をピカピカに拭いてお待ちしておりますわ』 「……わかった。もう少し頑張る。小花ちゃんにお土産を買って帰るからさ』 『風間さんの成長がなによりのお土産ですわ。どうぞ身体に気を付けてお帰り下さいませ。では姫野さんに代わりますわ……どうだ、風間?』 「俺、最後まで頑張ります!」  風間はそうってスマホを黒沼に渡した。 「おい。姫野。風間に何を言った?」 風間の変化が信じられない黒沼に姫野はさらりと答えた。 『俺は別に何も。ところで織田は優秀だな。さすがお前の後輩だ』 「当然だろう?まあ、風間はそう言うわけで預かるからな……」   黒沼が電話を切ると、背後の風間はすっと立ち上がった。 「次!行きましょう。黒沼さん」 「あ、ああ」 「早く早く」 「全くお前は……」  呆れた黒沼は、風間の背を追った。 「ありがとう。助かったよ」 「え?私は何もしておりませんが」 「フフフフ。すみません笑ってしまって」  夕刻の営業所は笑顔で包まれていたが、石原がマジ顔で電話を終えた。 「姫野!今連絡が合って、札幌の営業所の全所長が集まって緊急会議をする事になった。お前は会議室の手配を頼む!」 石原はそう叫ぶと、営業所を飛び出して行った。 「織田。手伝ってくれ」 「はい!」 小花と松田は、二人の背を黙って見送った。 その一時間後。卸センターの会議室では緊急会議が開かれた。 「実は今日の昼に、冬川薬品の倉庫で火災があった」  社長の慎也は、そう口を開いた。 「言うまでも無いが、冬川薬品はうちのライバル会社だ。今回燃えたのは事務所で幸いっだったし、医薬品には被害はないらしい」   何事かと思って集まった所長達は、他社の火事かと思いつつ心配顔を決めてじっと社長を見ていた。 「しかし。消火活動の水のせいで、システムが止まって配送業務に支障が出ている」 慎也はここで椅子に座った。 「システムが直るには時間が掛かるそうだ。まあ同じ医薬品がうちもあるから得意先への供給は問題ないが、うちと全く取引をしていない得意先があるだろう?」 うんと西営業所の所長が手を上げた。 「そうですね。西のエリアは、数は少ないですが」 「うちは結構ありますね」  豊平営業所の所長は、相槌をうちながら応えた。 「全く取引をしていないのは、夏山が嫌いだというのもあるだろうが、債権の問題などでうちの方から距離を置いている得意先もあると聞いているが?」 「……はい。おっしゃる通りです」 「今回の緊急事態だから、もちろん人道的対応するが長引くと面倒だと考えている」 「では。どのような策を」  慎也社長は、立ち上がった。 「うち豊平の倉庫を、冬川さんにまるっと貸そうと思う」 「えー?!何考えてるのアンタ?」 「黙れ渡」 石原が抑えて静まったが、他の所長が続けた。 「ですが。豊平の在庫はどうするんですか?」 「他所に移す」 「無理だ」 「おい!渡!いい加減にしろ」 「すいません……」 すると、白石営業所長が手を上げた。 「うちの倉庫なら空きがあるので。それに豊平に近いです」 すると、豊平が口を開いた。 「うちは耐震工事で手狭でしたので、ちょうど在庫を減らしていました。ですが先週ようやく工事が終ったので、在庫を戻そうとしていましたから、うちの在庫を白石と本社で預かってくれるなら。豊平を空にできます」 「ですが社長。倉庫だけ貸してどうするのですか。業務は?」 白石の問いに慎也は眉間に皺を寄せた。 「ということだ。どうする。姫野?……」 「え」  慎也は部屋のドアの横でパイプに座っていた姫野を見た。 「ここで自分ですか?……」 「他に……いるなら教えてくれよ」  姫野の隣に座る織田は姫野よりも驚きむしろ震えてきた。そんな姫野は黙っていた。 「そうだ姫野、もったいぶらないで何か言え」 「渡の言う通りだ。俺達はお前についていくから」 渡と石原の言葉は全所長はうんと頷いた。 すると姫野はしばらく目をつぶり、やがてはっと目を見開いた。 「冬川さんの薬の配達はうちでやりましょう」 「お前はバカか?う?」   渡は石原の口を慌てて塞いだ。 「もちろん売り上げは冬川さんです。うちは冬川さんから指示を受けたら、冬川さんの在庫から配達するんです」 「姫野。……なしてそんなことするんだ」 「石原部長。これは夏山が敬遠している得意先を避ける為と。その方が、在庫管理が簡単だと思います。ですが倉庫管理は専門外なので。ちょっと相談します……」  姫野は財務部の良子部長に電話でこの旨を相談した。良子は物流関係の手塚に確認を取ってくれた。 「社長。現場もその方が良いそうです。在庫の貸し借りはだけは止めて欲しいと」 「わかった!ではこれから冬川さんに話をしてみる……」  そういって慎也は顔を男前に決めて秘書に電話を掛けさせた。 「はい、では社長の夏山に代わります……社長、冬川さんです」 「もしもし。夏山です。どうも?初めましてですね……。この度は倉庫の火事で、お困りと伺いまして……はい。それでですね。よろしければ、うちの豊平営業所の倉庫を使っていただけないでしょうか?……そうです。これから倉庫は空にしますので……はい。そうですか!お役に立てて何よりです。では、これから担当の者に代わりますので……ほら、豊平の所長!」  こうして夏山愛生堂はライバル会社に倉庫を貸すことになった。 勝手に決めた慎也はこれからの難題を現場に口頭で伝えた。 「いいかな。冬川さんの業務がストップだから、その分が内に注文くるから覚悟してくれ。それは豊平も同じだけど、倉庫を空にしないとな……。これは大変だな」 「バカ?自分で決めたのに?」 「渡さん、そんなに怒らないでくれ、すなない姫野、これも解決してくれ」 姫野はうなづいた。 「では私は豊平のカバーという事で行かせてもらいます。織田も行くぞ」 「え?俺も、はい!」 「以上。解散!」 「はっ」 こうして夏山愛生堂の所長は各営業所へ散った。 豊平営業所へ行った姫野と織田は、まず倉庫を白石に移送し空にする手配に追われた。この作業中にも通常の注文も入るため、全ての在庫を移動させるのが困難に思えた。 しかし、面倒臭がりの姫野は豊平エリアの薬の注文を全て中央第二へ電話回線を切り替えてしまった。 渡所長はこれに怒る事なく、むしろ正義に燃え、自らハンドルを握り普段は行かない得意先へ駆けまわった。 このお蔭で日付が変わる前に、倉庫を空にした姫野と織田は、今度は冬川薬品の在庫を受け入れていた。 「俺は倉庫の管理は知らないからな……決まった配置とかあるのかな」 「姫野さん。俺、豊平の人とやります。あ。点滴や水物は重いのでこっちで!漢方はあっち!」  きびきびと動く織田に任せて、姫野は豊平と冬川の担当社の間に入り、細かい取り決めを勧めて行った。 こうして夜が明ける頃には、用意が整っていた。 駐車場の問題もあるので、一部の冬川社員が豊平の事務で入るが、配達業務はすべて夏山がやることで合意した。 「後はこっちでやるから。姫野、そして織田。助かったよ」 「こちらこそ。所長もお疲れ様でした。行くぞ、織田」 「はい」  日付は木曜日の朝の九時。姫野は織田を載せて本社の中央第一営業所へ向かった。 「おはようございます」 「おう!お疲れだったな」  昨日と同じスーツ姿の石原は、目の下をクマにし疲れた顔で笑った。 「それ。お前達の朝飯だそうだ」 「お口に合えばいいのですが」  松田女史は珍しく頬を染めた。 「ありがとうございます。織田、先に食べてくれ。俺はちょっと行ってくるから」 そういって彼は部屋を出たが、松田は織田にお絞りを渡した。 本当にお腹が減っていたので、美味しく頂いた織田に今度は小花が迎えに来た。 「こちらですわ。どうぞ!」  宿直室の風呂に案内された織田は、言われるまま風呂に入り、小花が用意した服に着替えた。そして少し仮眠を取るように石原に言われたので、彼は宿直室の布団に横になった。 「姫野係長も仮眠を取って下さい」 「ああ……これが終ったら……」   松田の声に休もうとしない姫野に、石原は立ち上がった。 「いい加減にしろ!体調管理も仕事のうちだ。これからもっと大変な事が起こるかもしれないのに。お前がいないと俺が困る……あ?そうだ?」  そういって石原は内線で何処かへ連絡をした。やがて彼女がやってきた。 「参りましたわ。あの、ボロボロになっているものが有ると伺いましたが」 「あ、姉ちゃん。そいつなんだよ。ボロボロだろう?」 「……石原部長……」 「まあ。姫野さん。まだお休みになっていなかったんですか?私、お布団を敷いておきましたのに」 「今行くよ」 「ほら早く!お風呂もどうぞ、ダメです、迷惑ですわ!」  小花に腕を引かれて立ち上がる姫野に石原はウィンクをした。 「御風呂上がりにこれを飲んで下さいね」 「ああ」 「お着替えはそちらですわ」 「はいはい」 「御風呂から出る頃、また来ますね。お掃除は私がするので、お湯だけ抜いて下さい」 「ふああ……」 「御風呂で寝ないで下さいね」 「……」 「どうしたのですか?早く御風呂に入って下さいませ」 「お前がいると、服が脱げない」 「そ、それは……失礼しました!」   顔を真っ赤にして逃げ出した彼女に、姫野はハハハと笑った。 風呂場に入ると、彼女の香りがした。 彼女の手作りの入浴剤入りのぬるいお湯に身を浸した。 ……まあ疲れたが。いい事もあったかな。 心身ともに疲労はピークだったが、彼の心は満たされていた。 木曜日につづく
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