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4 オープンマイハート
その翌日の午後、夏山愛生堂の中央第一営業所で事件が起きた。
「ドアの鍵が開かないだと」
「はい。会議した後、メーカーさんが忘れ物をしたって連絡があったので開けようとしたら開かないんですよ」
風間が指さす中央第一営業所の隣接の会議室の電子キーは、エラーを表す真っ赤に点灯していた。
「ね?」
「ね? じゃないだろう。お前なんかしたんじゃないのか」
「暗証番号を間違えたらこうなったんで、つい無理やり開けようとしたらピーって音が鳴って壊れて」
「壊れたんじゃないだろう? お前が壊したんだろう、まったく」
機械を覗き込む姫野に風間は告げた。
「先輩。今は原因追求している場合じゃないでしょう? まずはここを開けないと!」
「係長お願いします。お説教は後でいいですから、とにかく開けてください。先方は困っているんですから」
「でも、開かないぞ?これは」
三人はドアの前で困惑していたが、姫野が言い出した。
「松田さん。総務に行けば鍵があるんじゃないですか」
「だめでした。新しい機械なので取り付け業者に確認してもらっているのですが、その人は今、稚内にいるそうです」
「無理じゃん。あ?ネットで調べれば開け方がわかるかも」
「載っているとしたらこの鍵は無意味だな。では松田さん。鍵の110番とかは」
「係長、これは電子キーですけれど」
「くそ」
イライラしている姫野に松田はひらめいた顔で手を叩いた。
「そうだわ! 清掃員の人なら開くと思わない?毎日掃除をしているんだもの」
「でも松田さん。無理っすよ、小花ちゃん出入り禁止だし」
「そうか? 全く誰かさんのせいで……」
二人の冷たい視線に、うなった姫野はそっと二人に背を向けた。
「……呼べ」
「誰をですか?係長」
「清掃員だ」
「へえ? いいんですか?」
「この前はだめって言ったくせに」
意地悪く腕を組む風間と松田を、姫野は背を向けたまま答えた。
「いいから呼べ! 俺が謝るから」
「風間君。私が呼んでみるわ。でも、来るかどうかわかりませんけどね」
松田は営業所に戻り内線電話で清掃員を呼び出し、受話器を姫野に渡した。
「ほら係長。ちゃんと謝って下さいね」
「わかっています、あ、もしもし……」
『あの……エラーと言う事ですが、横のリセットボタンを押していただけないでしょうか』
受話器の向こうから聞こえた鈴の音のような可愛い声に、姫野は動揺したが、これを必死で隠した。
「わかった。おい! 風間。横のリセットボタンを押せ!」
「わかんないっすよ? どこだろ」
廊下から叫ぶ風間の声に、姫野は再び小花に訊ねた。
「おい……リセットボタンの場所はどこだ」
『右の上に、隠れてあるんです。突起がありませんか』
「右上だ! 風間、突起を探せ」
「見えませんよ……本当にここにあるのかな」
「係長、時間がありませんよ」
使えない部下に頭を抱えた姫野は、松田が睨みつける中、プライドを捨てて小花に頼んだ。
「申し訳ないが時間がない。君がここに来て鍵を開けてくれないか?」
『でも「顔を出すな」とあなたがおっしゃいました』
サラリと話す彼女に、姫野はつい拳をデスクに叩いた。
「だから謝る。緊急だから頼む!」
これをそばで聞いていた風間は呆れて松田女史を見た。
「先輩のその態度。俺には全っ然、謝っているように見えませんけど」
「そうですよ。何様ですか」
風間と松田のつっこみに、姫野は片耳を塞ぎ小花のか細い声を待った。
『……承知しました。私、これから伺います。中央第一の皆さんは、他所へ避難して下さい。誰もいないのを確認したら、参りますわ』
律義に姫野の約束を守ろうとする小花に、彼のいらだちは限界に達した。
「だから、それもういいから。今すぐ来い!」
ガチャと電話を切ると、風間と松田女史がじっと姫野を見ていた。
「聞いた? 自分が来るなって言い出したくせに……今度は今すぐ来い、だって」
「松田さん。デスノート持ってませんか」
「藁人形ならあるわよ」
「う、うるさい。とにかくここを開けてもらえ」
姫野は不貞腐れて肘を付くと、やがて廊下の奥から足音がした。風間と松田は廊下に顔を出した。
「小花ちゃーん。ありがと……それ、何なの?」
駆けて来た彼女は帽子を目深にかぶりサングラスにマスクを付けていた。
「顔を出すなと言われましたので。極力隠して参りました。ええと」
そう言うと小花は電子キーに手を掛けた。
「あの……はい、開きました」
ピ――――ッという音と供に、小花はドアをサッと開けた。
「どうぞ」
「さすが! あ、あった忘れ物の上着だ」
会議室の椅子に掛けられていた上着を風間は手に取った。
「サンキュー。小花ちゃん!」
「ど、どういたしまして……」
すると彼女はすっとドアの後ろに隠れた。
「……どうか私の姿はご覧にならないで」
この様子に松田は動いた。
「係長。早く彼女に謝って下さいよ。ほら!」
松田女史に背を押されてやってきた姫野は、渋々彼女が隠れたドアの前に立った。
「小花君と言ったな。あの、今回は非常に助かった」
「それはいいですので。どうかわたしを独りにしてください」
「おい」
「きゃああ」
突然ドアを開き彼女を見つめた姫野に小花は驚きで悲鳴を上げた。姫野はじっと見ていた。
「悲鳴を上げないでくれ。あの、その。君には感謝している」
「いいえ? そんな事よりも、私はこれで失礼を」
……くそ、律儀に俺の話を守りやがって。
姫野に姿を見せるなと言われた彼女は本気で見せないように努めている。姫野は理不尽なことを言ってしまった自分を殴りたい気分であったが、謝る機会が欲しい。そんな姫野の気持ちを知らずに小花はぶんぶんと首を横に振り後ずさりをしたが、姫野はその腕を掴んだ。
「きゃ」
「だから、その……私が悪かった! もう姿を隠さなくていい」
この言葉に小花は動きを止めた。
「でも、私は部外者だから。あなたは情報が漏洩すると言いましたわ」
「……言い過ぎた。すまない」
「私を泥棒扱いしたくせに……う。ぐす」
……ああ、どうしよう。泣きそうだ。
鼻声の彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいの姫野は、彼女の両腕を掴み必死に首を横に振った。
「すまない。この通りだ。どうか泣かないでくれ」
「う、うう……ごめんなさい、つらくてもう」
そう言ってサングラスを外した彼女の目が真っ赤だった。姫野はもう耐えれらなかった。
「ああ、悪かった。俺が全部悪かった」
「え」
気が付かば姫野は彼女を抱きしめていた。
「すまない。この通りだ」
「……は、はっくしょん!」
「はあ?」
「すびばぜん。ティッシュをください」
「小花ちゃん、これ」
松田から受け取った彼女は鼻をかんだ。
「はあ。なかなか鼻かぜが治らなくて」
涙の理由が想像と違った姫野は、そっと彼女から離れた。風間は心配顔で見つめた。
「小花ちゃん。大丈夫? 内科に行こうか」
風間が案じているが姫野はじっと小花を見つめる。
「風間。それを言うなら耳鼻科だろう? 彼女は花粉症だ」
「え? 北海道に花粉症はないですよね」
風間の言葉に姫野は髪をかきあげた。
「それは杉とかだろう。彼女はシラカバ花粉だろ」
「え? 私は花粉症なのですか? 朝がむずむずして、くしゃみが出るって感じですけれど」
「自覚なしか……こっちに来なさい」
そういうと姫野は彼女の手を引き自分の机まで連れてきた。
「手が熱いな、少し熱があるようだな」
「そうなのです。微熱っぽくって、これも花粉症なのですか」
「……どれ、顔を見せてごらん。ああ。頬も痒そうだね」
……『人でなし』さんじゃなかったみたいだわ。
優しく彼女の事を気にしている姫野に対し、小花は少しだけ好感を持った。そんな医薬品に精通している彼は市販薬のサンプルを選び出した。
「これはサンプル品だか、君の症状に効くはずだ。それと、この目薬と飴も使ってくれ」
「良いのですか。いただいても」
「ああ」
そんな姫野を彼女はじっと見つめた。
「あの、お掃除ですけれど。姿は見せても近寄らなければOKと言う事ですか」
「あのな………」
苛立つ姫野は目深にかぶっていた彼女の帽子をさっと取った。すると黒髪がくるんと流れ出た。
「お嬢さん。これからは普通の社員と同じ待遇で頼む……これでお分かりか?」
怒りを押し殺し優しく囁いた姫野の声に、小花は目をぱちくりさせた。
「はい。ではそのように!」
ぱっと蕾が開いたような笑顔に、姫野は思わず息を飲んだ。
……なんだ。急に笑顔で。
今までと異なる彼女の笑みに彼の胸はどきとした。そんな嬉しそうな彼女に風間は、駆け寄った。
「良かった。これで堂々と話ができるね、小花ちゃん」
「私も混ぜてよ風間君。あのね、ごめんなさい。うちの係長はコンクリート頭なのよ。はいこれ、試供品のコラーゲンドリンク。一緒に飲んで綺麗になりましょう。私は事務の松田。よろしくね」
ヒールを穿いた松田は、小花の頭を撫で真っ赤なルージュで微笑んだ。
「こちらこそ宜しくお願い致します。これからも私にできる事がありましたら遠慮なくおっしゃって下さいね」
「もちろんだよ。小花ちゃん!」
「楽しくやりましょうね」
「はい」
小花は風間と松田女史で手を繋ぎ、嬉しそうにブンブンと振った。そんな仲良し三人組を姫野はを苦々しく見ていたのが、その口角は上がっていた。
完
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