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5 勉強会がありきたり
「社長。本日の会議ですが」
「……」
「社長!慎也社長」
「え?ああ、すまない考え事をして」
夏山愛生堂の三階の社長室にいた夏山慎也は、秘書にそう言い訳をした。秘書の野口はそんな彼を心配そうにみつめた。
「熱いコーヒー飲みませんか?それにしても先ほどからその画面を見ていますが」
「そうなんだよ。ちょっと、これを見てよ」
「失礼します。ああ。勉強会ですか」
あごに手を置き考える慎也は背後に立つ野口に説明をした。
「そうなんだ。これは親父の代から定期的にやっている社員向けの勉強会だろう?なんか、こう、ありきたりだなって」
「確かに。マンネリ化してはいますね」
「でしょ?だから、ちょっと違う事をしたいなって思ってさ」
亡き父親の夏山俊也の後継者の慎也はそう溜息をついた。外国留学をしていた彼は父が亡くなり跡を継いだが、まだ若く元々人見知りの彼は社長の職をマイペースで進めていた。
「その違う事とは?」
「それを考えているんだよ……何かないかな」
この時、部屋に彼が入って来た。
「ただいま戻りました!ふう。これ、届けてきました」
「おう!西條。どうだった?」
「それがちょっとやばかったですよ」
「え」
「まずはそのコートを脱いでコーヒーを」
「サンキュっす。あ、それでですね」
西條はコートをバサと脱ぐと話し出した。
「俺はですね。ちゃんと誕生日プレゼントの花だって言ったんですよ。でもなんか勘違いしそうなんで。はっきり仕事でお世話になっているので、って言っておきました」
「勘違いって。なんだよ」
「社長。もしかしてこっちに恋愛感情があると思ったんじゃないですか」
野口の言葉に慎也は驚いた。慎也が届けさせたのは取引先の女社長へのささやかな誕生日のプレゼントだった。慎也ももらったため贈っただけであるが、相手の態度に慎也は寒気がした。
「ないよ、そんなこと!だってあの人は母親の年齢だぞ」
「でも向こうは気にしないのでしょうね。でも西條。君ははっきり断ったんだろう?」
「もちろんっす。こんなことに巻き込まれたら最後ですからね」
「そうか。こっちは仕事なのに勘違いされたのか……そうだ!」
「社長?」
「どうしたんですか」
驚き顔の野口と西條に慎也は微笑んだ。
「ええと……これで決まりだ!どう?」
「『セクハラ防止を学ぶ会』ですか、なるほど」
「いいっすね。やりましょう!」
こうして慎也考案の勉強会が開催されることになった。
◇◇◇
「先輩。これって、罰ゲームか何かですか」
「なぜそう思う」
「だって。このメンバーが」
夏山本社ビルの男性社員が参加対象であるが、営業職は中央第一営業所の三名と、中央第二からは一名だけだった。
「お前は新人だから呼ばれたんだ。後のうちの石原部長と第二の渡部長は代表だろ」
「じゃあ姫野先輩はどうしてここに」
「……暴走を止めるためじゃないか?あ、始まるぞ」
彼らが座る会議室には講師が入って来た。講師はスクリーンに内容を映し説明を始めた。
講師は資料を基に講和を進めていた。
「『男らしい』『女らしい』という考えは固定的な性別役割分担意識に基づいた言動とみなされ、セクシュアルハラスメントの原因や背景になってしまう可能性があるので注意が必要です」
これを聞いた石原は隣の席の姫野にそっと話しかけた。
「おい姫野。『男らしい』っていうのはダメなのか?俺は言われたら嬉しいけどな」
「……仕事を決めつけてしまう考えだからでしょうね。例えば『男のくせにだらしない』もダメですね」
「そうか?俺はいつも言われているけどな」
そんな石原を他所に話は進み、やがて簡単なテストになった。彼らはこれに従って記入した。
「さて。みなさんにチェックしていただきましたが、チェックが入った人はセクハラの考え方をしている人です」
「ええ?俺、全問チェックしたぞ?風間は」
「ないです。ゼロです」
「石原よ。俺も全部チェックになったぞ」
血相を変えた二人を見た講師は、彼ら悪い見本として話し始めた。
「ええ?先生。男に『結婚しないの』って聞くのはダメなのかよ?」
「同性ですぞ」
本気の石原と渡に講師は呆れて話した。
「しつこく聞いた場合ですが同性でもダメです」
すると渡は石原に向かった。
「石原よ。『若い子が淹れてくれたお茶は美味しい』もダメらしいぞ」
「本当の事なのに?だったら、どう言えばいいんだよ」
「お二人はまだわかっていない様ですね。ではここで実験です、お入りください」
「失礼します……」
これを見た二人は思わず顔を見合わせた。
「小花ちゃんだ」
「実験台に呼ばれたのだろう」
驚きの風間に腕を組んだ姫野のひそひそ話を無視し、講師は彼女を前にして説明をした。
「では実際にやってみましょう。では石原さん。それと、そこのあなた」
「自分ですか、はい」
呼ばれた姫野も前に出た。
「ではですね。お二人は彼女が休日に何をしているのか聞いてください」
「わかり申した。ではまず私から、えへん!ああと、そこのお嬢さん」
「はい」
清掃員の小花を渡はニコニコと微笑んだ。
「あ、あの。日曜日はどこかに行くのですかな」
「はい」
「彼氏と遠出ですかな。最近の若い子はどこにデートに行くのですか」
「そ、それは」
「はいそこまで。では姫野さんですね。お願いします」
姫野は何げなく小花の隣に立った。
「日曜日は晴れの予報だから俺は洗濯をするつもりだが、君は?」
「私もです。そろそろお布団を干したいですもの」
すると彼は彼女を見た。
「布団干しもいいが、一度布団用コインランドリーで洗うといいぞ。怖いくらい綺麗になるから」
「それはやってみたいのです!でも車が無いので運べませんわ」
「私でよければ迎えに行くぞ?それに割引券もあるし」
「お願いしたいですわ」
「はいストップ!」
止めた講師は渡と姫野の違いを話した。
「結論から言いますと。同じように聞かれても相手によって嬉しかったり不快に感じたりするので、言葉掛けは難しいということです」
「え?ではお嬢さん。私のは不快でしたか?」
「ごめんなさい。彼氏とかデートとか嫌でしたわ」
「そんな……」
親しみを込めて尋ねたつもりの渡はショックを受けていた。そんな彼を無視し講師は小花に姫野の感想を尋ねた。
「とても親切だなと思いましたわ。優しいし、紳士的で嬉しいですわ」
「自分はそれが仕事なので」
そう冷たく言い放った姫野を見た彼女は、明るくしていた顔を暗くした。
「仕事……そうでしたね」
「時間が無いのでこれで終わります。後は資料を読んでくださいね」
こうしてセクハラ防止の勉強会が終わった。
部屋を退室する時、風間はしょんぼりしている小花に気が付いた。
「どうしたの?小花ちゃん」
「いえ?あの、なんでもないですわ」
「風間。行くぞ」
「は、はい」
会議室の椅子を片付けている彼女のちょっと寂しい横顔は気になった風間であるが、姫野と仕事に向かっていた。
◇◇◇
「おはよう。小花ちゃん」
「おはようございます」
翌朝。中央第一営業所に掃除に顔を出した元気がない小花に風間は、思わず声を掛けた。
「もしかして、昨日の先輩のこと?」
「いえ?そんなことはありませんわ!私、これで失礼します」
小花が掃除を終え慌てて部屋を出る時、姫野が入って来た。
「おっと」
「きゃあ」
思わず胸にぶつかりそうになった姫野はそっと彼女をかわした。
「すみません!」
「……なんだ?慌てて」
去り行く彼女を見送った姫野は席に着くと、風間はつい言葉をこぼした。
「もしかして小花ちゃん。昨日の先輩の言葉を真に受けたんじゃないですか」
「布団の事か?まさか」
微笑む姫野に風間は目を細めた。
「いいです。俺が聞いてみます、もし行きたいなら俺が連れて行くし」
「……それよりも仕事をしろ」
そんな姫野であったが、やはり彼女の事が気になっていた。そして翌日。風間がまだ来ない時間、朝の掃除に来た小花に尋ねた。
「君。小花君と言ったね。もしかして本当に布団を洗いたいのか」
「あの」
「正直に言いなさい」
「……そうですね。そんなつもりはなかったんですけれど。話を聞いたら今の布団を使うのが急に嫌になってしまって」
……まあ、俺が言い出したことだしな。
「では行ってみるか」
「いえ?いいです。だって姫野さんは勉強会で話しただけですし。それにお仕事で、そう言っただけですものね」
俯く彼女の残念そうな顔に彼は急にすごく悪い事をした気分になった。
「あの。それに今の羽毛布団は小さくなりますよね。だから私、掃除機で吸ってぺっちゃんこにすれば、自転車でもいけると思うんです。だから、その、私の事なんか放っておいて良いですから」
必死の彼女の話に姫野は降参した。
……全く。洗った後はどう運ぶつもりだ?ふふふ。
「雨だぞ。日曜日は」
「え」
「きっと雨だ。それに俺も布団を洗うから、ついでに君も迎えに行くぞ」
「いいのですか?」
「午前中だぞ。用意しておけ」
「はい!」
この会話を口をあんぐりさせて聞いていた石原は、そっと松田に尋ねた。
「これはセクハラじゃないのよ」
「勉強したでしょう?とにかく不快に思わせたらセクハラになりますけど」
石原と松田は待ち合わせの約束をしている姫野と小花を見てつぶやいた。
「まあ。彼女は不快ではないのでしょうね」
「俺や渡だと不快なのに」
「当たり前でしょう?さて、と。あ、セクハラのアンケートでも書いておくか」
こうして勉強会の後、アンケートが回収され慎也に報告された。
「やはりわかってなかったな。危なかったな」
「ええ。でも社長の発案は評判はいいですよ。総務部がこれからもアイディアを出して欲しいそうです」
「オッケー!さて、と」
そして野口が出て行った社長室にて、彼は壁に掲げた亡父の写真を見上げた。
「父さん……やっぱりみんなわかってなかったよ。でも、まだまだこれからだよな」
六月の札幌の空は青空が広がっていた。浮かぶ雲に慎也は微笑んでいた。
勉強会がありきたり」完
ありきたりシリーズ①
資料 厚生労省ホームページ参照
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