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76 チ・カ・ホでフリマ
「いらっしゃいませ。いかがですか?」
塩川夫人は通行人に声を掛けて行った。
「いらっしゃいませ。どうぞお手に取ってご覧くださいませ」
小花の声に年配の女性は立ち止った。
「まあ。可愛い作品ね。あなたの手作りなの?」
「はい!パッチワークが好きなので」
キルトのコインケースを手に取った客は、三百円で購入していった。
「ありがとうございました」
すると塩川夫人が商品を並び直した。
「さっきから売れているのは小花ちゃんのキルトだけね……」
日曜日。
JR札幌駅と大通り駅を結ぶ地下歩道、通称『チ・カ・ホ』で開催されているフリーマーケットに小花と出店していた塩川夫人は椅子に座った。
「奥様のキルトはお高いですもの」
化粧ポーチが三千円。壁にかけるタペストリーは五千円だった。
「これは芸術作品よ。材料費だけで割に合わないもの」
そういって彼女は自作の三万円のベッドカバーを優しく撫でた。
「すみません……見てもいいですか」
「どうぞ!こちらはハワイアンキルトのエコバッグですの」
若い女性は小花の作品を手に取りそして購入していった。
「やったー!また売れましたわ。まあ、奥様?」
自分の作品がちっとも売れない彼女が椅子に座っている様子は、まるであしたのジョーの最終話のように小花には灰色にみえた。
「奥様。フリマはこれからですわ」
「……すみません。こちらはキルトのお店ですか」
「はい!そうですよ」
若い男性客に塩川は立ち上がった。
「ええと一つ欲しいんですが……ここは高級品なんですね」
塩川夫人の魂を込めたベビーキルト五万円の値札を見て男性は驚いた。
「無理して買わなくていいですよ、あ、これは安くしますよ」
夫人お手製のランチマット。二千円と合った。
「今なら特別に五百円でいいわよ」
「じゃあ、それを一つください……あ、自分は」
彼は隣の店の人だった。
「よかったら覗きに来て下さい」
「そう?どれどれ……」
レザー製品を販売している彼の店で塩川夫人は話を聞き入っていた。
その間、フリマショップ『ソルトフラワー』の店は小花が店番をしていた。
「いらっしゃいませ」
「うわ。可愛い。しかもこんなにたくさん?」
小花のデザインはパステルカラーの華やかなもので、若い女性は目を見張った。
「同じようなデザインですが、全部違うんですよ」
「細かく縫って……一つ作るのにどれくらいかかるんですか」
「ええとですね」
彼女の説明では、全作品を同時進行で作ると言った。
「要するに、一から十まで一気に作るのではなく、全商品の一の作業をしてから全商品の二の作業をするんです。この方が手が慣れて作業効率が良いので」
「なるほど。あの。これ三個下さい」
「ありがとうございます!」
こうして小花は自分の作品を順調に販売して行った。そこへ塩川夫人が戻って来た。
「その手にされているのは何ですか?」
「レザー商品よ。やっぱり手作りはいいわ……」
五百円の返しに倍返し以上に買い物をした塩川に、小花は眉をひそめた。
「奥様。もう少し販売に力を入れて下さいまし」
「何を言うの?隣近所の付き合いが大切なのよ。今度はこっちのお隣さんに挨拶してくるわ!」
小花の助言も聞かぬまま、財布のひもを緩めた塩川夫人は隣のガラス工芸の店に行ってしまった。
こんな様子で過ごした午前中。塩川夫人は相変わらず販売よりも買い物に夢中だった。
「いらっしゃいませ」
昼過ぎに若い夫婦がやって来た。
「あのすみません。塩川ですけど。母は?」
「まあ?息子さんですか?奥様は今、フリマの一番端にあるお店にご挨拶中ですわ」
「そうですか……ここで待つか。大丈夫かい、瞳」
塩川の息子の嫁は大きなお腹だった。
これを見た小花は、彼女に椅子を勧めた。
「ありがとうございます。ええと小花さんですよね。母がいつも話をしています」
「こちらこそ。奥様には優しくして頂いておりますわ」
「ええ?それは本当に母の事ですか?」
驚いた息子に嫁はフフフと笑った。
「お義母さんと仲良しなんですね。羨ましいです」
「そんな事ありませんわ。これを見て下さい。奥様が生まれてくる赤ちゃんに作ったベビーキルトですわ」
「でも。販売してますね……」
五万円の値札に息子は呆れていた。
「それはですね。展示品で、本当は売る気は無いのです。だって奥様は赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしているんですもの」
「本当に母の話をしているんですよね?信じられないな」
塩川息子は小花に首を傾げた。
「俺達の結婚には反対だったし。そもそも今日のフリマだって瞳に内緒にしているし」
すると塩川嫁は首を振った。
「いいのよ。お義母さんは私の事嫌っているのがこれではっきりしたわ」
「そんなことありませんわ!!」
勢いで大きな声を出してしまった彼女は顔を赤らめた。
「す、すみません。奥様はお嫁さんと仲良くしたいってお話しされていましので」
「まさか?」
「私はキルト仲間で詳しい事は存じませんが。これをご覧くださいませ……」
小花はベビーキルトを広げた。
「一センチに三針縫ってますでしょう?とても細かい作業ですわ。こんなに丁寧にこしらえているんですもの。奥様はとっても赤ちゃんが生まれるのが楽しみなんですよ」
「でも……結婚も反対されたから」
「瞳!もうそれは」
「私は学歴も無いし、家もお金持ちじゃないから。お義母さんは私が気に入らないのは仕方ないわ」
「瞳……」
こんな時に塩川夫人が大量に買い物をして戻って来た。
「まあ?アンタ達、来たの?」
「ああ。瞳が来たいって言ってたから」
「お義母さん。こんにちは」
「まあ。びっくりしたわ。来るなら来るって言ってくれないと……」
少し意地悪風に嫁に背を向けた塩川夫人に小花は違和感を持った。が、
「……母さん。そのベビーキルト売ってくれないか」
「は?お前、何を言っているんだい」
「だって母さんが生まれてくる俺達の子供のために作ってくれたんだろう。だったら父親の俺に買わせてくれよ」
「バカだね、お前は。これは売りたくないからこんな高額にしているだけで」
「いいんだよ。瞳が生む赤ちゃんを、母さん、本当は楽しみにしているんだろう?」
「え?」
「俺が悪かった。自信が無くて交際しているのを秘密にして。その結果、瞳も母さんも傷付けてしまって。でもわかって欲しい。俺は二人とも大切なんだ……」
「洋平……」
嫁の涙に塩川夫人の動きが止まった。
「バカだよ。お前は。本当にお父さんのダメな所ばかり似てさ」
「母さん……」
「洋平。お前が大切にしないといけないのは、瞳さんと赤ちゃんだよ。母さんは父さんに養ってもらうから大丈夫だよ……」
そういって眼がしらにハンカチを当てた。
「瞳さん……。こんな息子だけどよろしくね……」
「お義母さん……。こちらこそ、よろしくお願いします」
全員目を真っ赤にしていた時、お客がやって来た。
「い、いらっしゃいませ。あの奥様。これを……」
もらい泣きの小花はベビーキルトを展示から外し、塩川夫人に渡した。
「ひ、瞳さん。よかったらこれ、赤ちゃんに使ってくれないかしら」
「ぐす……はい。お義母さん、あの」
「なに?」
「今度私も作ってみたいです。教えていただけますか?」
嫁の声に固まった夫人を小花は肘で突いた。
「も、もちろんよ」
すると、他にも客がやって来た。
感動の涙の小花は塩川息子に店番を頼み、自分はトイレに向かった。
「あれ?君どうしたの?慰めてあげようか」
いつの間にか三人の男に囲まれた小花は、逃げようと後ずさりした。
でも手を掴まれてしまった。
「離して下さい!誰か」
その時。男達の背後から何者かが彼らを倒して行った。
「小花さん。こっちに!」
彼に助けられた小花は、ひとまず塩川一家の所に戻った。
「どうしたの、小花ちゃん」
「はあはあ、不良に絡まれたんですが、知り合いに助けてもらいました」
「大丈夫?小花さん。僕はちょうど塾の帰りだったから」
心配そうに伊吹は小花の顔をのぞいた。
そんな二人をみた塩川息子は小花にこのまま帰るように云った。
小花の商品は完売だった事と、塩川一家の絆に、彼女は本日は甘えることにした。
「小花さん。少し休んでから帰りましょう」
「心配かけてごめんなさい」
チ・カ・ホの片隅で伊吹は彼女を休ませた。
「事情は僕も聞きましたけど。どうして小花さんまでそんなに」
しくしく泣く小花の隣に伊吹はそっと寄り添った。
「亡くなった母も……私のせいで周囲の方に結婚を認めて頂けなかったので。つい……」
そんな彼女を伊吹は肩に寄せた。
「母が可哀想で……私は何もしてあげられなくて」
声を殺して泣く小花を伊吹は背で隠していた。
「……もうそんなに泣かないで。お母さんが悲しみますよ」
「伊吹君……」
伊吹は小花が落ち着くまで側にいた。
「ありがとう。もう大丈夫です」
彼の腕から離れた彼女は、ハンカチで目を押さえた。
「小花さん、ちょっとこっちに来て下さい」
伊吹は彼女を立たせると、フリマの店に進んだ。
「二つ下さい。はい。これは小花さんの分です」
伊吹はそういって小花にソフトクリームを渡した。
「あ、ありがとう」
「ほら。とけるから早く食べて下さい」
「う、うん」
スプーンで食べていた彼女の目からはまた涙がポロとこぼれた。
「まだ気になりますか?」
すると彼女は首を振った。
「違うの。伊吹君が優しいから……つい」
「小花さん……お願いだからもう泣かないで?じゃないと僕、小花さんの分も食べますよ」
伊吹はそう言って彼女の頭に自分の頭をこつんとぶつけた。
「嫌です。食べます!……美味しい」
「良かった……」
こうして二人はしばらくくっついてソフトクリームを食べていた。
「さて。食べ終わりましたね。帰りましょう」
「私は大丈夫ですわ。それよりも伊吹君をお家まで送ります」
「ハハハ。大丈夫ですよ。いつももっと遅い時間に一人で帰ってますし」
「そうですか。では駅までご一緒しましょう」
そう言って彼女は歩き出した。
「……小花さん。手、つなぎましょう」
「伊吹君」
「だからそんなに悲しまないで。僕が傍にいますから」
中学生の言葉に彼女はふっと笑った。
「ありがとう……」
チ・カ・ホのフリーマーケットは店じまいの後片付けの人達でどこかさびしかった。何もない空間には様々な思いが流れているが、何も存在していなかった。
……そうよね。また明日から頑張ろう。
二人が歩く札幌の地下空間の風の中は、どこか優しかった。
完
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