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111 私を円山に連れてって
「良子が髪を切る~ちょんちょんちょん、と……」
洗面台に向かって良子は前髪を切っていた。
「こんなもんでしょ!」
自分でOKを出した良子は風呂に入った。
小花に作ってもらった入浴剤で今夜もご機嫌だった彼女は、風呂上がりにストレッチをした。
……ええと小花ちゃんはこの後何をするんだっけ?
小花すずの女子力にあやかり、良子はこうして彼女の活動を真似していたのだった。
そんなある日の昼休み。お弁当を食べながら楽しくお喋りしていた良子は、実は小花を観察していた。
「あのさ。小花ちゃんてさ。姫君とデートする以外は何をしているのさ」
「デートをしたことはございませんが、そうですね。先日は登山ですわ」
登山?と休憩室にいた女子はその意外性に声を上げた。
「待ってよ?それは誰と行くの」
「一人です。先日は下山の時だけ大勢でしたが」
北大生と手稲山で過ごした話をした小花は、バナナを食べていた。
「なしてそんなことするの?」
……そうだわ。義堂の事は秘密でしたわ。これは誤魔化さないと。
「……パワースポットだからです。ウフフ」
咄嗟にあの時の北大生の登山目的を説明した彼女は、自分にしては上手い事を言えたな、と自分で自分を褒めていた。
「ねえ!それってどこの山?私も行ってみたい」
手稲山とは言えなかった小花は、ここでまた上手い言い訳を思い付いた。
「無理ですわ。普段から運動していないと」
「最近はちゃんとウォーキングしているのよ!お願い小花ちゃん!私を山に連れてって!」
この後もずっとこれを話してくるので、小花は考えて置くと返事をした。
そして午後の清掃。忙しいはずの姫野が営業所で内勤をしていた。
「まあ。珍しい?この時間にいらっしゃるなんて」
「ちょっとな。やらなきゃいけない事が合って……どうした。何か悩み事か」
「私の事は後回しで結構ですわ。それに大した話しではないですもの」
そういって小花は彼に背を向けて部屋の掃除を始めようとした。
「こら、鈴子……何でも話しなさいって言っただろ」
姫野はモップを掴んでいた彼女の両肩にそっと手を置いた。
「御二人さん。俺もいるのを知ってるよな」
「俺もいます!」
「私もここに」
そんな外野を気にせず、彼は話を続けた。
「気になる事があるんだろう。遠慮せずにいいなさい。この時間が無駄だ」
「……良子部長が私と登山に行きたいっておっしゃるんですけど。藻岩山とか手稲山は無理ですよね。体力的に」
「なぜお前と登山がしたいのか、全く見当がつかないが、登山?」
するとパソコンに向かっていた風間がくるりと二人を向いた。
「小花ちゃん。円山八十八か所って知ってる?札幌では小学生の低学年の子が登る山なんだ。地下鉄で行けるし、確か一時間もあれば頂上だよ」
「そうですか。でも傾斜はきつくないのですか?」
小花は背後に立つ姫野を見上げた。
「ん?……全然きつくないさ、ラクラク登山だよ」
そんなに近付かなくても聞える距離なのに、姫野は彼女の耳元に囁いた。
「アイツは本当に悪い奴だな」
「それ以上です、罪ですよ!」
「はい、これ手錠!」
「ほいきた……あれ?俺がはめられた?」
おもちゃの手錠を姫野にさっと取り上げられた石原は、自分の手に掛けられた手錠に寄り目になっていた。
「まったく冗談が過ぎますよ。ともかく。円山公園の中にあるんだ。ネットで検索していろ」
はいと返事をした彼女は掃除を再開し、彼らも業務に戻った。
後日の休日の午前中。
良子の要望にお応えした小花は、彼女と円山公園にやってきた。
「円山公園なんて久しぶりだわ……あ、入口って書いてあるわ」
「ここにはお地蔵さんがたくさんいるんですってね。さあ、参りましょう」
他の登山というか、遠足気分の親子連れがいる中、二人はゆっくりと登って行った。
「お地蔵さんがいっぱいですわね。あ、見て!良子部長」
「まあ、あのご夫婦はお地蔵さんにお供えをしながら登っているんだわ」
高齢の登山者はお地蔵さんに一円を置き、手を合わせながら、ゆっくり登山しているのを二人は追い越し先へ登って行った。
「お地蔵さんがまだいっぱいですわ。あ、見て!良子部長」
「まあ?あの人はお地蔵さんのお供え物を取りながら下りているんだわ……」
「でも……泥棒じゃないかもしれませんよ。管理をしている人かも」
作業着姿の老人の男性は慣れた様子でカゴにどんどんお供え物を入れていた。
「そういうことにしておこうか。被害額も……八十八円以下でしょうから」
そんな話をしながら彼女達はなんのお供え物がないお地蔵さんを眺めながら登って行った。
「見て!リスよ、リス」
「声が大きすぎますわ。かじられてもしりませんよ」
「そんな事ないわ。ほら……おいで」
まるで掌に毒りんごを差し出す意地悪王女のような言い回しをしながら、良子はリスに餌を差し出した。
「あ、こっちに来た!可愛い!小花ちゃん。ね、写真撮って!早く早く」
「一緒に映るのは無理ですわ。はい」
パシャと撮った写真には可愛いエゾリスが載っていた。
「可愛い!良かった今日ここに来れて」
「そんなに喜んで下さって私も嬉しいですわ。あ、もう山頂ですね」
本当にあっという間にやってきた山頂は岩がごろごろしていた。
「へえ……あのカッターナイフみたいのは?」
「野幌にある開拓記念塔ですね」
「あの白い貝みたいのは?」
「ホワイトドームですわ」
こうして景色を堪能した二人は持参したランチを広げ出した。
「やっぱり山の上はお握りでしょう?いただきまーす!」
座り心地の良さそうな岩を石にして二人はお握りを頬張っていた。
「美味しいですわね。こういう所で食べるのは」
「まったくだわ。ビールを飲んだらもっと美味しいかもね」
この冗談を聞いていた子供は、別の場所に移動してしまったが、良子はそんな事も気にせず、茹で卵を食べていた。
「あのね。小花ちゃん。私さ、片思いをしているんだけどね。向こうもうすうす気がついていると思うんだ。でもね、彼は何にも言ってくれないのはどうしてだと思う?」
「それは手塚さんの事ですか?」
「なして分かったの?」
必死にアプローチをしているのはさすがの小花も分かっていたので、彼女の悩みも理解できた。
「……一度、正直にお話しされてはいかがですか」
「でもさ。振られたら、立ち直れないし、お友達にも戻れないもの」
「そうですよね……でも、手塚さんは人の気持ちを利用するような人では無いですもの。きっと何か、考えがあって今のような関係を望んでいるのではないでしょうか」
「考えって?」
「分かりませんけど。理由があるんじゃないかしら」
「理由ね……」
「それに、良子部長の事がお嫌いなら、はっきりそうおっしゃる人だと思いますよ」
「それもそうね……じゃあ、もう少し女子力磨いて頑張るかな」
こうして食べ終えた二人は下山の用意をした。
「あ?ここはパワースポットでした?」
ネットで噂の『竜の力』なるものの御利にあやかろうと二人は、なんとなく両手を広げて深呼吸をした。
下山は別コースで公園まで戻ってきた二人は、『三角ポプラ』という木木の間にあるパワースポットで深呼吸を決めて、駅まで歩いてきた。
「ねえ、どこかで休んでいかない?あ、あれ、電話だ。もしもし」
電話の主は宅配便だった。
「ごめん小花ちゃん。私にお中元をくれた人がいてさ、お肉を受け取らないといけないから私はこれで帰るわ」
「いいんですよ。お疲れでしょうから、気を付けて帰って下さいね」
「実はね。もう膝が笑っているからタクシーで帰ろうとしているわけなのよ。小花ちゃんも一緒に乗って行こうよ」
しかし。小花はこれを断り、彼女とここで別れた。
そして、時間が出来たら顔を出してみると言っておいた場所にやってきた。
「いらっしゃいませ」
「すみません。あの、ここに姫野さんがいるはずなんですけど。どこにいるかご存知ですか?」
「姫野君は……少しお待ちくださいね。小林さーん。姫野君は?」
受付の菜々子の声に、練習場から小林が小走りにやってきた。
「ようこそ。姫野君ならこちらですよ、どうぞ?」
小花を優しく案内しようとした小林に会釈をしながら、小花は受付にいた菜々子を振り返った。
「ご案内ありがとうございました。お姉さま」
「いえ!こちらこそ?」
天使の微笑みで菜々子の胸をキュンとさせた小花は、ポロシャツの小林と歩いていた。
「失礼ですが、とても素敵なお召し物ですね。キラキラ光る素材ですか?」
「はい。家内のコーディネートで恐縮です」
「もしかしてですけど。今朝テレビで言っていたんです。今日は『花火の日』だって。だからかしら?とてもお似合いですわ」
「嬉しいな。あなたのような美しい方に褒めていただけるとは……さあ、姫野君ですよ」
姫野は上手な人しか自信が無くて立てない鏡のある打席で、一人黙々と練習をしていた。
「鈴子。早かったな」
「けっこう近かったんですもの」
手を休めた姫野に小花がそばにあったタオルを手渡した雰囲気に、小林は思わず笑みをこぼし、退散した。
初めてゴルフ練習場にやってきた小花は、ひとまず椅子に座り、見学をする事にした。
パ――ン!
「簡単そうです」
「やってみるか?」
「まだ見ています!いいから続けて……」
道具を扱うスポーツを苦手としている彼女は、やってみたいけど、失敗したら笑われるからどうしようというジレンマに陥っていた。
「姫野君。彼女は見ているだけなの?」
「そう言うわけではありませんが、な?」
奈々子の登場に姫野は手を止めた。小花は姫野をみつめた。
「私、やってみたいのですが、姫野さんが無理だっておっしゃるの」
「そうではありませんよ、菜々子先生。彼女は全くの初心者なのにゴルフ場に行きたいっていうもんですから」
「確かに、いきなりのグリーンは難しいですよ。自分は下手でもいいかもしれないけれど、どこへ飛ぶか分からないなんて、危険でしょう?」
「それもそうですね。私もここに来てそれがわかりました」
少しがっかりした小花の隣に椅子にさっと座った姫野は、彼女の頭を優しく撫でた。
「でもせっかく来たのだから、少しやってみませんか?ほら、私のクラブを貸しますので」
「私にできるかしら。姫野さん」
彼の膝に手を置いた彼女の手を、彼は優しく握った。
「練習すれば大丈夫さ。それに俺よりも菜々子先生に教わってごらん?」
おずおずと菜々子に向かった小花は、姫野が練習する隣で、まずは超基本的な事を30分程教わった。
そして休憩を交えて……打ってみた。
スパーーーーン!
「当たったわ?見た?姫野さん」
「ああ。まぐれかもしれないから、もう一度やれ」
スパー―――――ン!
「さっきよりも飛んだわ?ね?」
「……菜々子先生、彼女にどんな魔法を掛けたんですか?」
「まあ、失礼ね?教え方が上手なのと、彼女は素直なだけよ、ね?小花さん」
「そうですわ。鈴子は姫野さんとゴルフがしたいのに」
「おっと!これはこれは……」
姫野は人目もはばからず長い両手を広げて彼女をそっと抱きしめた。
「申し訳ありませんでした、鈴子さん」
「まあ?姫野君も彼女には形無しなのね」
この様子に小林もやってきた。
「驚きましたよ、とても初めてとは思えませんね」
「お恥ずかしいですわ」
姫野の腕から逃れた彼女は、恥ずかしそうに彼の背に隠れた。
「フフフ。ところで姫野君。この可愛らしい御令嬢を紹介していただけないでしょうか?」
「これは失礼しました。彼女は私の大切な女性です、おいで鈴子」
「皆様、申し遅れました。私、小花すずと申します」
「こちらこそ。私はここの管理をしている小林で、あなたのコーチをしたのは」
「星野菜々子です。よろしくね」
「あの、私は菜々子お姉さまと呼んでいいですか?先生は……好きじゃないの」
これに一同は爆笑したが、菜々子は宜しくと握手をしてくれた。
この後、もう少し菜々子からレッスンを受けている小花を姫野と一緒に眺めていた小林は、彼に溜息を付いた。
「姫野君は仕事一筋だと心配していましたが、杞憂でしたね」
「そんなに仕事熱心に見えますか、心外ですよ?ハハハ」
仕事なんか大嫌いな姫野の声に小林も同じなので笑った。
「ハハハ。しかし、安心しましたよ。それにさすが君の選んだ女性だ。初見で私のポロシャツを面と向かって褒めてくれる人はなかなかいないんですよ?大物の相がありますね」
「それは少し違います。小林さん。私が選んだのではないのです。私は彼女に選んでもらえるように毎日必死なんですよ?」
「ほう?これは本物だ……結婚式には呼んで下さいね」
「ぜひ」
そんな二人は小花のショットを見ていた。
「お姉さま。これでいい?」
「少し腰を落として……そう、打って!……よし!完璧よ」
しかし。このショットに彼女は首を振っていた。
「姫野さんはもっと飛んでいましたわ」
「小花さんはまだ初日でしょう?それに男の人と比べても」
「……飛ばしたい、飛ばしたい!ね、お姉さま。最後にドライバーを振ってみたいの」
この甘え方が誰かに似ているな、と思ったが、菜々子は彼女の我儘を聞きいれた。
「これで本当に最後よ……息を整えて……いいわよ」
……フォツ!
「ナイスショット!」
「大したものだ。お前には敵わないよ」
姫野の誉め言葉に彼女は微笑んだ。
「ウフフフ。お姉さま、小林さん。楽しいひと時をありがとうございました」
「こちらこそ。またお越しくださいね」
「今度は姫野君がいなくても来てね」
「嬉しい!ぜひ」
「おい、鈴子。お前は勉強があるだろう。そんな時間はないぞ」
「だって、お姉さまが誘って下さったのに」
「そうではない。勉強が終わったらまた連れてきてやるから、な?」
うんと頷いて円満解決したカップルは、ゴルフ場を後にした。
「鈴子。まだ夕方だし。お前、登山して疲れているんだから、何か食べて帰ろうか」
「スースー」
さすがに疲れた小花は姫野の肩に寄りそいながら眠っていた。
信号待ちの間、彼は彼女の寝顔を見つめていた。
顔にかかっていた髪を避けていた時、シグナルは青になった。
彼はゆっくりと発車した。
愛しい彼女のために、姫野は目的地を一時間後に到着する店にした。
札幌の郊外の円山公園は、緑濃く、恋人たちに素敵なひと時をもたらしていた。
完
*連れてってシリーズ①
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