166 洞爺湖マラソン 1

1/1
6098人が本棚に入れています
本棚に追加
/183ページ

166 洞爺湖マラソン 1

「みち子さん。まだ書いているのね。よくネタがあるわね……」 昼休みにエブリスタを読んでいた小花は作者のみち子に感心していた。 ……あ、字が間違っているわ?大恥をかく前に教えて差し上げないと。 こうして小花はコメントを送っているとメールが着たのでビクとした。 「あれ。何かしら」 「なしたんだい」 「吉田さん。これ読んで下さいますか?」 どれどれと吉田は小花に着たメールを読んだ。 「……要するに。小花ちゃんは、今度開催される洞爺湖マラソンに招待されたってことだね」 「そうか。大通りマラソンで優勝して以来、こういうお誘いが多いんですよ。洞爺湖か。気持ちよさそうですね」 この後小花は大会事務局に電話をして詳細を聞き、参加人数が少ないので是非と頼まれ、楽しそうだな、と気軽に参加すると返事をした。 そして夕刻。中央第一の姫野と風間は、本日は宿直当番なので営業先から早めに会社に戻り、当番に備えていた。 「姫野さん。私、今度開催される洞爺湖マラソンに出る事にしたんですの。でも心配なさらないでね。バスで行って走って、その日に帰って来るから」 「あのな。鈴子よ……」 「はい?」 姫野は疲れ顔で髪をかき上げた。 「そう言う事は事前に相談してくれよ。頼むから……」 仕事よりも彼女が命の姫野に風間は口を尖らせた。 「先輩。参加するのは小花ちゃんの自由でしょ?いいじゃないですか事後報告でも」 「そうよ。束縛したら嫌われるわよ。さ、姫野係長と風間君は当番でしょう?行ってちょうだい。ほら、早く」 松田の声に姫野は深いため息を吐いた。 「風間は先に行け。鈴子よ」 「ごめんなさい相談しないで」 心配そうな彼女に嫌われたくない姫野は、理解力があるような顔を見せた。 「……いいや。怒って無いさ、でもな、俺に協力させてくれ。俺の地元だから」 「応援なら大歓迎ですわ!ほら。もうお時間ですわ。宿直室に行きましょう」 怒っていない姫野にホッとした小花は、彼の背を押して宿直室までやってきた。 「お!小花ちゃん!元気してた?」 「西の松木さん?その節はお世話になりました。あの……姫野さんを宜しくお願いしますね。ほら。挨拶して」 「……わかったから。お前も早く帰れ」 フフフと笑みをこぼして彼女は部屋を出て行き、会社を後にした。 その後様々な出来事が合ったが、あっという間に大会の前々日を迎えた。 「日曜日が本番だから。鈴子には明日の土曜日に俺に実家に泊まってもらう」 「はい。お世話になりますわ」 「風間も来たければ来い。当日はきっと道が混むぞ」 「いいんですか?やった!俺も応援に行きますよ」 「俺はテレビで応援するからな!」 「部長はどうでもいいですけど。今回は私も応援するわね。しかし、姫野係長の実家か、これはいよいよね」 「何がですか?」 きょとんとしている小花に、姫野はおほんと咳払いをした。 「今回はあれだ、その。ホテルが取れなかったし。それに家族もお前に逢いたがっているから、気にしないで泊まってくれ」 「はい!お婆様のお稲荷さん食べたいですわ」 「そうだ!危ない所だったわ」 松田はそういうと背後の紙袋を小花に手渡した。小花が広げるとそこには、サーモンピンクのユニフォームが入っていた。 「私もすっかり忘れていましたわ?左肩には『風間薬局』でしょう。右肩には『手塚運送』。ええと、背中には派遣会社の『ワールド』。よかった!『BOYSビル』も忘れずにちゃんと裾に入っているわ」 彼女のユニフォーには他にも卸センターの会社のロゴがびっしりと入っていた。 「『野村スポーツ』って俺は知らんな。これは胸に一番大きく夏山愛生堂って入っているが、これはゼッケンで見えないじゃないか」 姫野のぼやきに松田は笑みを見せた。 「でもこの帽子を被るんでしょう?一番目立つと思うわよ。ほら被ってみて」 そういって松田は彼女の頭に帽子を乗せた。 「まあ?ピンクで可愛いわよ。すごく似合っているわ」 「社長も応援に来たがっていたけど、出張だから来れないってさ」 「さあ、社長はどうでもいい。今夜は早めに切り上げて、明日は早く洞爺に行くぞ」 こうしてこの日は、各自家に帰り決戦に備えたのだった。 翌朝。会社のワンボックスカーを借りた姫野はまず風間を乗せて小花家にやってきた。 「おはようございます。宜しくお願いします」 「あ?ああ。おはよう」 自分を見て驚く姫野に戸惑いながら、彼女は助手席に座った。 「風間さんおはようございます、まあ?寝ているのね」 「そっとしておこう。さあ、シートベルトを」 こうして一行は洞爺目指して進み始めた。 「楽しみです!ねえ。中山峠で買って下さいね」 「お前は本当に揚げイモが好きだな」 「フフフ。良いお天気ですね」 二人は仲良く話をしながら、まずは中山峠の道の駅に立ち寄った。 「どこですの?」 「こっちだ。俺が子供の頃は木造の三角屋根のハイジの家みたいな店構えだったが、今はこんなに綺麗で有名なんだ」 「あった!あそこ」 「人の話を聞け!」 こうして念願の名物の揚げイモをゲットした小花は満面の笑みを浮かべていた。 「熱いうちに食べたい、頂きます。ん?美味しい?」 たぶん塩味に茹でたジャガイモをホットケーキミックスの衣を付けて揚げたイモは団子のように三個割りばしに刺さっていた。 「……気を付けろよ、それは割りばしにただ刺さってるだけで、ほら!」 地面の落としそうになったイモを、姫野は素手でキャッチした。 「俺が食べるか。まあ、昔と変わらないな」 「美味しいです。ねえ。帰りも寄りましょうね」 はいはい、行きましょうと姫野が背を押し、風間が寝ている車へ彼女を連れて出発した。洞爺湖へ進む道は爽やかな風が吹いていた。 「わあ……新緑の中に羊蹄山(ようていざん)が、ほら!」 「今日は一段と綺麗に見えるな」 「カッコいい山ですね。鈴子は北海道の山で一番羊蹄山が好きです」 「そうか?」 自分の名前の由来になった山を誉める彼女に姫野は嬉しくなった。 「はい。利尻山もすごいと思いますが、やっぱり羊蹄山は雄々しくて逞しくて。なんかこう、みんなを守ってくれているみたいなの」 「ほう。わかっているじゃないか」 なぜか上機嫌の彼に、小花は首を傾げながら続けた。 「山にはまだ雪が残っているのね。美しい雪……。それに広い大地が優しくて、澄んだ空には吸い込まれそうだわ」 姫野兄弟の名の由来をすらすらと話す彼女に彼はちょっと感動していた。 「そう言ってくれるとは。兄弟を代表して感謝するよ」 「何がです?」 「フフフ。ほら見えてきた、洞爺湖だ」 「綺麗ね……ドキドキしてきたわ」 こうして彼らは姫野家にやってきた。 「まあ。お婆さま。ご機嫌いかが?」 「ばあちゃんはいつでもお天気だ。すずちゃん!よく来たね。お?それは揚げイモだべさ。ばあちゃんのか?」 「そうですわ。たくさん買いました」 「ばあちゃんはバケツ一杯あっても大丈夫だべ?アハッハハ」 仲良しの二人に呆れた姫野は、荷物を持った。 「鈴子。悪いが祖母と先に家に行ってくれ。おい、風間、着いたぞ」 姫野は先に小花を行かせると荷物を下ろしながら風間を起こした。 「今の声で起きましたよ。すげえ。湖畔は目の前なんですね」 洞爺湖に感動している風間を他所に、姫野は荷物を運んでいた。 「まあな。俺達は庭にある離れなんだ。お、美雪。手伝ってくれ。それは鈴子のものなんだ」 「いいよ!それもなの?美雪が持って行くよ。貸して」 そう言って勇ましく運ぶ彼女の後ろ姿を風間は、へえと見ていた。 「……先輩。彼女は?」 「妹だ。俺達はこっちだ。来い」 「ふあい」 風間は自分のバックを持つと、姫野の後を付いて行った。姫野家の庭にある離れはバーベキューができるように用意されていた。 「お。来たか」 「風間。父だ」 「いつも姫野先輩にお世話になっています。風間です」 ペコと挨拶すると、父も頭を垂れた。 「こちらこそ。岳人が世話になっています……」 話すのが苦手な父はそう言うと、母屋の方へ行ってしまった。 「気にするな。口下手だからいつもあんな感じだ」 「わかりました。しかし、似てるな……」 普段と異なる姫野の姿が面白くなってきた風間は、荷物を置くと姫野と供に母屋へ挨拶に出向いた。 「風間君?どうもね。岳人が世話になって」 ポッチャリ叔母さんの姫野母は、料理をするのに手いっぱいのようで、エプロンで手を拭きながら台所から出てきた。 「いいえ。こちらこそ。ところで小花ちゃんは?」 「早速、父さんとマラソンコースを下見に云ったべさ。それよりも風間君はゆっくりしなさい」 あの寡黙そうな姫野父が、可愛い小花と一緒にいる図を勝手に頭に浮かべた風間はすわったソファでクククと笑っていた。 「どうも。お疲れ様です。はい。どーぞ。ハスカップジュースです!」 元気よく出してくれた姫野の妹を、風間はマジマジをと見つめてしまった。 「君が美雪さん?あの空さんと大地さんの下の妹の」 「そです!羊蹄山のおひざ元、洞爺湖名物姫野兄妹、末の妹、美雪です!」 「元気だね……」 黒い瞳の澄んだ目。ショートカットの白い顔。なによりも利発そうな顔が姫野にそっくりだった。その時、部屋に姫野が入ってきた。 「美雪。鈴子は父さんに任せたから、お前にちょっと作戦立てるのを手伝ってもらいたいんだ」 「いいよ。ね。風間さんも、見てよ?」 「は?はい!」 三人はリビングで鈴子のために策を練って行った。 「……ええと。明日の気温は高め、ですね」 スマホを見た風間のふんわりとした調べに美雪の目が光った。 「待って?風速は?気温引く風速が体感温度だよ。それに日差しも計算しないとダメじゃないの。風間さんはそこの所をちゃんと調べて!あとさ。お兄ちゃんはすずちゃんのペース配分を計算したけどさ。私の計算とちょっと違うよ」 「なんだって?じゃあ。美雪の計算はどうなんだ」 いつも夏山愛生堂をトップでぶっちぎっている先輩姫野が妹に突っ込みを入れられている様子に驚きを隠せなかった。 「風間さん。どうだった?」 「あ。まだです」 「何をしてんのよ」 「こら!美雪。なんだその物言いは?空と大地とは違うんだぞ?まったく、すまんな風間」 「いいえ。ボケとしている俺が悪いんです。ほら、美雪ちゃん、これが明日の予報だよ。このウェザー会社は、サッカーの日本代表チームも利用しているから信用性が高いよ」 「なるほど?さすが兄貴の後輩だし!やるじゃん」 「美雪……。済まない、風間。慣れてくれ」 「フフフ。別に何ともないっすよ。刺激があって面白いです」 こんな話をしている時、小花と姫野父が戻ってきた。 「ただ今です!お婆様も一緒にドライブしたんですよ、ね?」 「ハハハ。ばあちゃんが先に走ってみたべさ。したっけ一等賞!」 「風間、慣れてくれ」 「何をですか?おばあさん。やりましたね!俺も行きたかったな」 姫野婆は庭仕事をするといって部屋を出て行き、姫野父もいつ間にかいなかった。 「今は正午を過ぎた頃か……どうする鈴子」 「下見をしましたが、少し走ってみたいですね」 そして姫野母の作った遅い昼食を食べた彼らは、話し合いをし、小花に少し走ってもらうことにした。 「風間はどうする?一緒に来るか」 「そうだな……」 「お兄ちゃん。風間さんは一緒に行っても意味が無いよ。それよりも風間さんは美雪と一緒に来て!コースで気になる所があるの」 「美雪。風間はお前の兄さんじゃないんだぞ?迷惑だから部屋で座禅を組んでいろ」 「ひどい?」 兄の言葉に膨れた美雪に風間は微笑んだ。 「先輩。大丈夫っすよ。俺、何でも手伝います」 「風間さん。お手数掛けますね。せっかくのお休みに付き合って下さって」 「いいんだよ?小花ちゃん!俺は、小花ちゃんの走る姿が好きなんだ」 「嬉しいですわ。私、風間さんの思いを背負って、全身全霊を掛けて走ります」 「俺も!誠心誠意想いを込めて応援するよ!」 「風間さん!いつもありがとう」 「こっちこそ。後で一緒に花火しようねー」 このラブラブ会話を聞いた美雪は兄の脇を突いた。 「いいの?あれ」 「ああ、いいんだ。風間は鈴子の、なんというか、俺よりも理解者なんだ」 「兄貴は彼氏なんでしょう?風間さんよりも理解しなよ」 「そう努力しているがな、風間は、俺の事も理解してくれるんだ」 「ふーん。美雪には理解できないな……」 そして小花と姫野は実際のコースへ。風間は美雪の指摘するコースにやってきた。 「ここ。ここだけアスファルトが荒れているから危ないでしょ」 「そだね。ここは頭に入れておいた方がいいな」 「後は向こう!登り坂なのに、ここだけ下っているのよ」 「確かに。でもね。小花ちゃんに細かいアドバイスは難しいんだよな……」 そういって風間はこの道を軽く走りだした。 「美雪ちゃーん。見てよ。こっちに来て」 「何さ」 風間が言うには、走っているとちょうど赤い屋根の家が見えると言う。 「小花ちゃんにはさ。赤い屋根が見えたら、気を付けてっていえば分かると思うんだ」 「なるほど。スマホにメモしておこ」 「あとはね」 風間なりに気が付いた事をどんどん指摘していった。これを美雪は必死にメモをしていた。 「ざっとこんなもんかな。ん?疲れたのかい」 「別に?平気だよ」 しかしまだ高校生の美雪が心配になった風間は彼女を車に乗せた。 「ほら。水飲もう?」 「あ、ありがとうございます」 「行くよ。ええとこっちの方角だよね。美雪ちゃんちは」 そういって風間ウインカーを出し、車を発進させた。 「そです……車は来てないよ。行って!」 「ハハハ。オッケー」 「何がそんなにおかしいの」 元気で明るい彼女は面白くて風間はつい笑ってしまった。 「イヤ別に?やっぱり先輩の妹さんだなって」 「どうせ、すずちゃんみたいに可愛くないですよ」 「いいからさ!どこだっけ?曲がる所」 「過ぎました」 「そう?じゃあせっかくだからドライブに付き合ってもらおうかな。俺さ、さっき見かけたアイス屋さんに行きたいんだよ」 「ええ?結構距離あるよ」 「良いじゃん、別に時間はあるし。それに美雪ちゃん暇そうだし」 「ひどい?」 アハハハと笑う風間の横で、美雪はブスとしていたが、だんだんおかしくなって笑いだした。 姫野父の軽自動車は煙草の匂いがしたので、風間は窓を全開にして洞爺湖畔をドライブしていた。 狭い車に風が入り二人の髪は見事にグシャグシャになりそれも笑顔の材料になった。 すぐ右手には静かな洞爺湖が二人を包むようにそこに存在していた。 太陽は西に傾き、湖面には白波が出来ていた。 それは出会ったばかりの若い二人の心にも、出来ていた。 洞爺湖マラソン2に続く。
/183ページ

最初のコメントを投稿しよう!