30 半分以上、青い

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30 半分以上、青い

「はい。今日の分だよ」 「またですか……」  小花はコップ一杯の青汁をぐっと飲んだ。 「どう?」 「まずいですわ」 夕刻の掃除を終えた彼女は営業所を出て行った。この様子に姫野は眉をひそめた。 「風間。お前、小花に何を飲ませているんだ?」 「そんな怖い顔しないで下さいよ、姫野先輩。うちの薬局で販売している青汁です、あ。俺もう、帰りますね、お疲れ様でーす」 澄まし顔で営業所を出た風間は、自家用車に乗り込んだ。するとスマホが点滅し、着信音の狸小路商店街のメロディが鳴った。 「もしもし。ああ、大丈夫だよ。うん。毎日飲ませているから……。詳しくは後で。じゃ……」 風間は電話を切ると、愛車の白いRXセブンのエンジンを掛けた。 翌朝。 「おはよう小花ちゃん。はい。今日の分、ってあ?」 「貸せ」 グラスを奪った姫野はぐいと緑のジュースを飲みほした。 「……まずいな。究極かもな」 「ダメですよ。小花ちゃんの分なのに」 ぶつぶついいながら風間は営業所の冷蔵庫から紙パックの青汁を取り出し、再びグラスに注いだ。 「はい。どうぞ」 「う」 飲む前から苦い顔をしていた彼女だったが、目を瞑って飲み干した。 「……よし、よし。今日も飲んだ!偉いぞ小花ちゃん」  彼女の苦悶な表情をうかべた彼女を風間は実にうれしそうに見ていた。 「お前。何を企んでいるんだ?」 「別に?何でも無いですよ?」 そう澄ましている風間に姫野は眉をひそめたが、小花は声を掛けてきた。 「あの。すみません。私、派遣会社に出向く日ですので、午後の清掃は致しません。明日の朝に行いますので、お願い申し上げます」 「そうか」 ……小花は派遣社員だったな。 「それもそうだな。報告か何かするのか」 「はい。月に一度、行く決まりです。ではこれで」 彼女はぺこんと頭を下げると、営業所を出て行った。 「フフフフ」 「なんだ風間?突然笑い出して。石原部長みたいだぞ」 「一緒にしないで下さいよ!さ?先輩、リボンちゃんが8時をお知らせしましたよ」 営業所のテレビ画面には、ジュースのキャラクターのCMが流れていた。これを合図にしている二人は今日も得意先の医療機関へ出かけて行った。 ◇◇◇ その日の午後。夏山愛生堂の清掃を終えた小花は、自身の所属する派遣会社『ワールド』に来ていた。 「お待たせしました。小花さん。今の職場はいかがですか」 担当者に小花は報告をした。 「はい。気持ち良くお仕事させていただいております」 「そうですか。うちにもあなたの評判が寄せられていてね。会社がいつも綺麗だって、総務の方から評価をもらっているのよ。こちらとしてもありがたいわ」 ……蘭さんと美紀さんがそう書くっていってくれたもの。ラッキー…… そんな心の小花はいいえと遠慮気味に謙遜した。 「光栄ですわ」 「何か、あなたから夏山さんに申し出たい事は無いかしら?仕事を通じて思った事でいいよの」 「そうですわね……」 彼女は頬に人差し指を指しながら一瞬考え込んだ。 「三階の女子トイレなのですが、お手洗いの鏡がとても大きいのです。私、いつも気にして水を拭いているのですが、一度手を洗っただけで、鏡に水しぶきがどうしても広く飛んでしまうのです。あれを何とかして頂ければ、綺麗を保てるのですが」 「大きな鏡は迷惑よね……」 「そうなのです」 現場の仕事を良く知る担当者は大きくうなづいた。 「わかった!いつものように、掃除が大変な鏡の一部にスモークシートを張ってもらう様にお願いしておくわ。許可が出れば小花さんも張れるでしょ?」 「はい、慣れていますので」 鏡にシートを貼り面積を狭くする彼女の常とう手段を許可した担当者に小花はこれ以外の掃除が楽になる事を彼女は女上司に提案した。 「わかったわ、ところで小花さんに相談があるの」   話によると、一日だけ店頭販売の仕事をしてみないか、というものだった。 「あなたはうちの会社に来た時、定時制の学校に通っている理由と、掃除の仕事を極めたいっていって、今の業務になっているのだけど。そろそろ他の仕事もチャレンジしてみない?」 「店頭販売。でも私はお金を扱う仕事は苦手ですわ」 不安そうな小花を担当者は励ました。 「いいえ。今回は商品を紹介するだけでOKよ。それにあなた、仕事を始めてしっかりして来たわよ。キャリアを増やすのは、掃除の仕事の充実につながるわ」 「怖がってばかりでは、何もできないままですよね」  小花は勇者、姫野にもらった胸のネックレスを見た。 ……そうか、私も勇気を出さないきゃ。 「やってみます。一日だけですよね」 「よかった。これが資料よ。早速だけど明日お願いね。明日は丁度、夏山さんにはうちの清掃チームが入ってワックス掛けの日だし。あなたはいなくて 大丈夫だからこの現場に行ってね」   こうして翌日。小花は緊張しながら派遣先へと向かった。 ◇◇◇ 「おはようございます!」 「良く来てくれたね。ハニー?小花さんが来たよ」 繋がり眉毛の風間社長は、薬局奥にいる妻を呼んだ。 「そんなに大きな声を出して……まあ?あなたが小花さん?諒が可愛いっていっていたけど。まさかこんな清楚なお嬢さんだなんて」 ポッチャリ体型の風間の母は、ピンクの白衣を着ていた。 「派遣会社から参りました。小花すず、と申します。本日は宜しくお願い申し上げます」 「こちらこそ。どうぞよろしくね。私は諒の母です。早速だけど、こっちに来て」 小花は太い腕に手を取られて、薬局奥の化粧品コーナーの椅子に座らせられた。 「じっとしていてね。今日はあなたに店頭で、青汁を売ってもらうのよ。それには少しだけ御化粧させて頂戴ね」 「わ、わかりました」 彼女はじっと目を瞑った。 「まあ。綺麗な肌ね。どんな化粧品を使っているの」 「……手作りです。母のオリジナルの」 「店泣かせね……お化粧しなくても十分綺麗だけど、さ。できた!」 長い髪を三つ編みにしてもらい小花は風間夫人の用意したエプロンを身につけた。 「君は。ここ一週間。青汁を飲んだだろう?その実績をPRして欲しいんだ」 「……青汁?……あ?」 彼女は風間のいたずらな顔を思い出した。 「あのまずいくて、青臭い、どろどろしたジュース、というか液体ですか?」 「そう。それを売らないとならんのだよ」 すると夫人がにこっと笑った。 「大丈夫よ。この青汁を7日のんだらこうなりましたって言えば。嘘では無いし」 こうして小花の店頭販売が始まった。 「いらっしゃいませ!青汁いかがですか。あ。お客様、お一つどうぞ」  彼女は通りすがりの初老の男性に勧めた。 「それ。美味くないんだろう」 「はい。苦くてまずいですわ」  彼女の顔を見て、男は笑った。 「まずいのに。あんたは売るのかい?」 「確かにこれはまずいのですが。これを飲んだ後、他の物を食べるととても美 味しい事を発見したので、私は一週間飲むことができました」 「どれ?う!本当にまずいな」 「そうして、このウエハースをどうぞ?いかがですか」 「う?うまい」 「その青汁を飲めば、なんでも美味しく頂けますわ」 「うちの奥さんは料理が下手だからな。これ飲んでみるか」 こうしてお買い上げになった。 この他の通行人もこれを飲めば小花のように美しくなれると勝手に思いこみ、商品はどんどん売れて行った。 「よーし。火が付いた。『みんな買うからみんな買う』というゾーンに入ったぞ!」 「ダーリン!こっちに来て」 夫人の声に、所長は店の奥に駆け寄った。 「あの子に美容関係の物をもっと売ってもらいましょう。このクリームと、その美白グッズを店の外に出して!」 「いかがですか?苦くてまずい、青汁はいかがですか」  こうして午前中。小花は店の青汁を完売した。 「おい。ハニー。このまま午後も彼女に店の在庫を片っ端から売ってもらおうな」 「でもダーリン。そろそろお昼にしましょうよ。小花さん!お昼にするわよ」 多くの通行人が飲食店に入るので、小花は風間薬局奥の座敷で昼食となった。 「私の料理で恥ずかしいのだけど」  風間夫人のつくったちらし寿司と、北海道ソウルフードの「グリン麺」が茹でてあった。これに小花は目を輝かせた。 「手作りは何よりのごちそうですわ。いただきます!」 「わあ。嬉しい」  そこへ聞いた事のある声が聞こえていた。 「ただいま!俺もそれ食べる!」  風間は小花の隣にちゃっかり座り、母親に箸を出させた。 「風間さん……どうしてここに?」 「ぶ!」  風間は飲んでいた水を吹きだした。 「親父から聞いてなかったの?ここ俺の実家の薬局だよ」 「まあ?そうだったんですか。社長さんが早口で、おっしゃっている事が半分くらいしかわからなかったものですから。つい適当に相槌を打っていました」 「俺もそうだから別にいいよ。ね?青汁売れたんでしょう」 「はい!おかげさまで。風間さん、私の分の薬味のおネギ、どうぞ。お好きですものね」 「サンキュー」 「ちらし寿司はこれくらいですわね。ガリは、無しっと」  まめまめしく息子の世話を焼く小花を店から隠れてみていた風間夫婦は、すっかり感心していた。 「……優しさでできている、という石原の話は本当のようだな」 「我儘で横柄な諒に、あんなに尽くしてくれるお嬢さんがいるとは。ダーリン。これは逃がせないわね」  夫婦の企みを知ることも無く、小花と風間は楽しい時間を過ごした。 「風間さん。私、思う事がありまして。これから店頭販売するものを選んでもよろしいでしょうか」 「……いいけど。何を売るの」  するとまるで悪戯を思い付いた子供のように、彼女は手を叩いた。 「もちろん!お店の商品ですわ」 「いいよ、好きにしなよ」 「ありがとうございます。では」 こうして小花はどんどん販売を進めていた。 「いかがですか?お腹の脂肪が気になる方にお薦めの商品です。食後に飲む御薬です」  彼女の声に、食事を済ませたサラリーマンが集まってきた。 「それは?」 「こちらは身体に脂肪が付くのを防ぐ御薬ですわ。食後30分が効果的と書いてあります」 「買って行くかな……最近気になっているし」 「レジお願いします。ではせっかくですので。今、お飲みになるとよろしいですわね」  そう言うと、彼女は客に紙コップの水を渡した。 「あ、ありがとう」 「こちらこそ。効果がでるのが楽しみですね」 「俺も……買うかな……」  彼女の満面な笑みを見た他の客も、買うと言い出した。 「ありがとうございます。お水をどうぞ!風間さん。レジをお願いします」 そんな黒山のひとだかりが消えたのは、二時過ぎだった。 「すげえ……。ダイエット関係のクスリが完売だ」  空の棚を見て、風間は驚いた。 「そうだわ!せっかくですので、ぞうきんをお借りします」  彼女は嬉しそうに、普段は掃除ができない箇所を拭いて行った。 「諒よ……彼女は一体何者なんだ」 「だから。天使だって言ったろう」 「お前。小花さんの事、好きなのか」 「もちろん!でも、姫野先輩がな」 「姫野?あいつも参戦しているのか……これは負けるな……」 「親なのになんだよその低評価?」 「これからだぞ!諒」 「ああ。当たり前だよ」 「見て!風間さん。こんなに綺麗になりましたわ」  彼女の微笑みに、風間父子は頬笑みを返した。 ◇◇◇ 「石原部長。仕事中にテレビを見ないで下さいよ」 「うるさい。俺は『どさんこテレビ』の『ばあさんじいさん』の占いを見たいんだ」 「全く……風間も消えたし」  その時、テレビはススキノからの中継になった。 『私は今、夕方のススキノに来ています。今の時間、繁華街へ行くサラリーマンが増えて来ました。あ。あそこの薬局に人がたくさん集まっているので、インタビューしてみますね。こんばんはー。店主の方ですか』 『はい。社長の風間です』 『大変賑わっていますね』  この画面を見て、松田女史がつぶやいた。 「ねえ。店の前でエプロン付けているのって。小花ちゃんじゃないかしら。後ろにいるのは風間君でしょう」  姫野は画面を食い入るように見た。 「……すみません。俺、得意先に行ってそのまま直帰します」 「おい。今日は『じいさんばあさん』のコーナーは?」 「これからなんじゃないですか?すみません。定時なので私も帰りますね」 そんな会社を知らない風間の店は、あまりの客にレジが崩壊し始めていた。 「小花ちゃん。販売ストップして。間に合わないよ」 「でも!観光客の方には通じませんわ」 「どけ!レジは俺がやる」 疾風の如くやってきた姫野は、驚愕のスピードで商品を清算していった。 「先輩、どうしてここに」 「いいから風間はカゴを片付けろ!小花は店先で売れ!」 姫野の加勢でレジが進む中、ようやく客が途絶えたのは8時だった。 「はあ。疲れましたわ」 「よくもまあ、こんなに売ったな、さて……」 小花を奥の和室に座らせた姫野は、店の前に風間を呼んだ。 「風間。今夜の仕事は終わりなんだろう?」 「はい。これから小花ちゃんに夕食をごちそうして家まで送ります」 姫野は風間に何げなく話した。 「お前の事だから良い店に連れて行こうとしているんだろうが。あいつは疲れているし。食べるのが遅い。明日の仕事もあるから簡単なもので済ませてやれ」 「簡単なものって」 「ラーメンが好きなんだ。一人で店に入れないからな喜ぶぞ。後な……」 姫野は後輩にアドバイスを与えると、そのまま帰ってしまった。そして風間は小花とラーメン店に行った。そして彼女をススキノに出来たばかりのソフトクリームの店に連れていき、小花ご機嫌にさせた。 そして風間は中島公園近くの彼女の自宅へ送った。 「今日はありがとう。小花ちゃん。さ。家に入って。鍵を掛けたら俺は帰るから」 「はい!お休みなさい」 小花の家に明りが灯り、玄関から施錠の音がカチンとした。それを確認してから車に乗った風間は、車の内部を見て、彼女の忘れ物を確認した。 自宅に帰ると父親の風間社長が風呂から出た所だった。 「お疲れさん!どうだ?彼女に良い所をみせられたんじゃないか?」 「……風呂に入る……」 脱いだ服を叩きつけて、彼は風呂に入った。  ……あんな気配りって。今まで俺は何してたんだ? 小花への必死のアピールをしたかった風間は、姫野の適格なアドバイスに目をつむり湯船にぶくぶくと浸かった。 ……くそ、俺もまだまだ、青いって奴か……でも、楽しかったな…… そして顔を出し、風呂の窓を見上げた。 ……しかも俺にアドバイスなんてしてさ。男として敵わないよ……全く。 風間は湯船のお湯をそっと手ですくい、顔にかけた。 ……でも小花ちゃん、可愛かったな……お嫁さんってあんな感じなのかな…… こうしてススキノプリンス風間諒は湯船に足を延ばして、そっと目を閉じた。 窓の外からはススキノの喧騒は賑やかだった。 「半分以上、青い」完
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