42 振り返れば彼がいた 火曜日

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42 振り返れば彼がいた 火曜日

「おはようございます」 「おはよう?早いんだね」  市電の停車場で小花に声を掛けられた織田は、彼女の隣に立った。 「いつも混雑する前に行きますので。織田さん。夕べはよく眠れましたか?」 「おかげ様で。静すぎてで寝過ごす所だったよ」 やがて来た電車に二人は乗り込んだ。ススキノまでは十分程度なので、二人は立ったままだった。 その時、電車内のガラスに映った自分を見た織田はある事に気が付いた。 ……なんか俺。悪い事したかな。  彼は周囲のサラリーマンから、強烈な視線を浴びていたのだった。 ……もしかして。これ彼女のファンとかか?何か誤解されたのか、俺? 「織田さん。もうすぐ降りますよ」 「は、はい」  何も知らない小花に即されて、彼は供に下り、一緒に夏山愛生堂に向かった。 「おはようございます」 「「「おはようございます」」」 「……おはようございます」 玄関脇の宿直室にいた三人の日直達の元気な挨拶にビビりながら、織田も彼女の後に続いた。 「織田さん。私は着替えてから中央第一に行きますね」 「じゃあ。また後で」  階段を上る彼女に手を振った織田が振り向くと、そこには三人の宿直明けの営業マンが立っていた。 「君は、何者だ」 「そうだ。小花嬢と一緒に会社にくるなんて」 「一人で来い、一人で!」 「あの……その……」 「おはようございます。みなさん。彼ははうちに研修に来ている織田です」  姫野はそう言うと、織田にこっちに来いと手招きした。 「織田……?ああ、帯広か。そんな話があったな」 「姫野!こいつに小花嬢についてちゃんと説明しておけよ」 「……すみません。さ。早く入れ」  姫野に慌てて部屋に押し込まれた織田は、まだドキドキが止まらなかった。 「大丈夫か?織田」 「はい。市電の中でも俺、目線で殺されそうになりました」  姫野はブラインドを開け、部屋に朝日を入れた。 「中央第一営業所に来た時点でこういう運命から逃れられないからな」 「風間もそうなんですか?」 「あいつは嫉妬されている事に全然気が付いていない。大した奴だよ」 「……姫野先輩は?仲良くされていますが」 「俺の場合、暗黙で彼女の保護を任されているので、ある程度は容認されているようだ」 「俺はどうしたら?」 「大丈夫だ。今週だけなら俺がお前を守る!それよりも今日の予定だ」  こうして始まった二日目。 テレビに流れるりぼんちゃんの8時のお知らせと同時に、二人は出動した。  二日目も姫野と同行していた織田は、ランチを食べながら、姫野に訊ねた。 「姫野さんって。得意先の先生に薬を買って下さいって、全然お願いしないんですね」 「……お願いしてもな。需要が無いと先生だって必要ないもんな」 「まあ。そうですけど」 「反対に言えば、得意先が繁盛していたら自然と売れるものだ」 「繁盛って言うと」 姫野は語り出した。 「……病院はこの世にたくさんあるし、先生によって治療法や専門分野が多種多様だ。せっかく腕の良いドクターの病院でも、患者はそこの駐車場が停めにくいから行かない、と言う事もあるんだ。俺としては病院と患者さんの両方が満足するような環境を見守れればいいなと考えているんだ」 「それが繁盛に繋がり、結果として薬が売れる、と言う事ですか」 姫野はうなづいた。 「まあ。そうだ。でもな、最近は、投薬だけで病気を治そうとする医学は、どうかと思うんだ」 「あのすみません?俺達は薬屋ですよね」 「ハハハ。医薬品がダメとは言っていないぞ?必要なものだ。俺は言っているのは予防医学とか、リハビリして元の身体に戻す為の投薬とか。そういう一歩進んだ治療をしている先生を見習っているんだ」 キラキラと目を輝かせて語る姫野を織田は感心していた。 ……黒沼さんの話とずいぶん違うな…… 「どうした?織田」 「な、なんでもありません」  この後、織田は姫野とともに得意先を回り、夕刻営業所に戻った。 「お疲れ様でした」  営業所で掃除をしていた小花に、織田は思わずひるんでしまった。 「お、おつかれさまです」 「おい。織田!小花に気を使わせるな」 「ういっす」 「帰ってきたか……織田、ちょっとこっちに来い!」 織田は真剣な石原の眼差しのデスクに歩み寄った。 「な、なんでしょうか」 「どうだ。姫野との研修は」 「はい。勉強になっています」 「そうだよな。ところで?このロト6なんだけどさ。当たっているか見てくんないか?字も小さいし、俺のギャラケーじゃわかんねんだよ」 「わ、かりました」 「優しい部下で良かったですね。部長!」 「へん。当たっても何―もやんねえからな」 「……三万円……」 「マジかよ?」 「嘘です!」  織田の嘘に石原は見事に椅子から転げ落ちた。 「いいわ。その調子よ、織田君」 「こんな感じでいいですね」 まだ不思議顔の織田は松田からOKをもらった。そんな中、小花は床に倒れている石原を面倒そうに見つめた。 「……石原部長。そこにモップを掛けるので床に寝るのは後にして下さいませ」 「わりい、わりい」 この会話に松田が反応した。 「ほら!聞いた?今の言葉」 「凄いな……」 しかし姫野は話を切った。 「松田さんも織田も。いい加減にして下さい」  すると起き上がった石原は織田の机にやってきた。 「なあ。織田よ。俺、娘にカレー臭がするって言われるんだけど、そんなにカレーの匂いするかな」 「そ、それは?食べ物のカレーじゃない?し、ハハハ」 「突っ込んじゃダメよ。ボケで返しなさい」 松田の声に織田は姿勢を正した。 「じゃあそれは……美味しそうな匂いって事じゃないですか?」 「そうか……そういう意味か……」  窓辺に進んだ部長に織田は胸をなで下ろした。松田がよくやったと手を叩いた。 「お見事!風間君にも負けてないわ」 「ええ?風間もこれをやっているんですか?」 「そうだ。あいつもボケ担当だからな……」  織田からみれば姫野もボケ担当なので、フフと含み笑いをしてしまった。 夕刻。仕事を終えた織田は、一人、仮住まいの家に帰った。 大家が作ってくれた夕飯をありがたく頂戴し、ビールを片手に窓の外を眺めていた。 ……黒沼さんは姫野さんは看護師に色目を使って成績を上げているっていっていたけれど。 姫野のライバルの黒沼の話とまったく様子が違う中央第一に織田は戸惑っていた。 夜八時、外から何やら音が聞こえて来た。 気になった織田は、そっと隣家に行ってみた。 「小花ちゃん……何をしているの」 「何って……二重跳びですわ」 庭では汗でびっしょりになった小花が縄跳びをしていた。 「なんでこんな夜に?」 彼女は肩で息をしながら、水を飲んだ。 「はあ、はあ。私。定時制の学校に通っているのですが。明日、縄跳びの二重跳びの試験なんですよ」 「だからって……そんなになって……」 「だって!何度やっても跳べないんですもの」  もう!と彼女はべそをかいて地面に縄跳びを投げ捨てた。 「サーカスです!この技は」 「どれどれ……貸してごらん」  織田は土の付いた縄跳びを拾いあげた。 「久しぶりだけど。どうかな。よ」 織田はひゅんひゅんと縄を回し、そして跳んで見せた。 「うわ!すごい?出来ていますわ」 「ハハハ。縄が短いからこれしかできないな」 織田は不貞腐れていた彼女に縄をどうぞと手渡した。 「左手で持って。俺は右を持つから。いい?回すよ」 織田はひゅんひゅんと彼女と縄を回し始めた。月灯り、二人だけの夜だった。 「小花ちゃんは跳ばなくていいから。回すのは……こんな感じだよ」 そういって二重跳びの時のスピードで縄を回した。 「ひゅひゅひゅん。ひゅひゅひゅん。ですわね」 「うん。跳ばないで、まずは回す練習が先だよ」  そして縄の長さを何度か調整した織田は、慣れて来た小花にチャレンジさせた。 「できた!今の跳べましたよね?」 「良くできました」 わーいと喜ぶ小花に、織田も笑みがこぼれた。 「……嬉しいです。いつも姫野さんにバカにされていたので、これで堂々と出来ますわ」 「姫野先輩が君をバカにするの?」 「私が赤点を取ったら嬉しそうな顔をするんですよ。失礼ですわ」 「アハハハ」 「織田さんまで……」  口を尖らせる彼女に、織田は違う違うと手を振った。 遅い時刻なので彼女を家に入るように即した織田は、すっかり汗まみれで部屋に戻った。 もう一度シャワーを浴びて着替えると、スマホに帯広の黒沼からメッセージがが来ていた。 『どう?札幌は』 『楽しい!』 『姫野ってどんな奴』 『優秀』 『石原は』 『面白い』 『本社の雰囲気は』 『最高!』 『こっちは風間の我儘で迷惑してる』 『頑張ってください』 『毎日何をしてるんだ?』 『研修頑張ります。お休みなさい』 そう終えた彼は飲みかけのビールを飲んだ。 ぬるかったけれど、美味しかった。 「振り返ると彼がいた 火曜日」完
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