2

10/16

2人が本棚に入れています
本棚に追加
/132ページ
 小さな安堵を見せる彼女に遅れたことを詫びると、「ううん」と応えて電話をカウンターの上に置いてくれる。彼女が問題集に向き直るのを確認すると、渇いている口の中でかき集めた唾液と空気を飲み下し、受話器に手を伸ばす。息を吸い込んで、一瞬、吐き出す言葉を忘れたが、瞬きの間に思い出した。 「もしもし」  出てきたのは妙に遠くで聞こえる自分の声。 「もしもし哉菜?」  聞こえてきたのは、三週間ぶりに聞く母親の声。 「うん」  頷きながら、空間を泳ぎそうになる眼が、個室の中の少女が椅子から立ち上がるのを捉えた。こちらを見てトイレの方を指差す彼女に、声を出さずに首を縦に振って了解の意思を伝える。 「今度のゴールデンウィーク、いつ帰って来られるの?」  寮内のどこか遠くから聞こえる誰かの声が左の耳から入ってきて、右の耳元では、母親の声がする。 「―――六日でしょ?」 「そうだけど、学校はいつがお休みなの?」 「カレンダー通り」 「それなら、五日から帰ってこられるでしょう?」 「――――」  部屋からここまで来る間に、何か用事を考えておけばよかったと思うが、もう遅い。 「――たぶん」  短くいい加減に答える哉菜。 「たぶんって……」  母親は、そんな娘に溜め息を吐く。 「――もし都合が悪くなったら電話する。六日にはちゃんと帰るから」  早口に言って、さっさと電話を終わらせたい哉菜の心中を知らない母親は、もう一度深く息を吐いて言う。 「わかったわ。それじゃあ、学校まで迎えに行くから、電話しなさいね」 「駅まででいいよ」  申し出を断る哉菜に「でも」と相手が続けようとした時、電話の向こう側で、子どもの高い声がした。何を言っているのかまでは聞き取れなかったその声を耳にすると、 「ごめん。友だちが呼んでるから、切るね」  哉菜は焦った風に告げ、 「え? あッ。電話しなさいよ!」  声を上げた母親に「わかってる!」と同じように返し、さよならも言わずに受話器を耳から外した。その直後、 「誰も呼んでないけど?」  予期せぬタイミングで、後ろ、少し離れたところから聞き覚えのある声が、明らかに哉菜に向かって投げられた。
/132ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加