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 両親が目の前にいるのに、自分を見てくれなかった。家事をしてくれる祖母も、いちばん大切なのは自分の子どもで、哉菜ではなかった。哉菜は、そんな現実を受け入れたくなくて、ことさら平気な振りをした。近所に住む大人たちが、以前と変わらず学校へ通う哉菜を見て、「まだ人の死が理解できない年だったのが、不幸中の幸いだったかもしれないわね」と囁くのを聞いた。そうではない。ちゃんと理解している。姉はもう戻ってこない。 (焼かれて粉みたいになっちゃったんだもん。もう、何も残ってない。ちゃんとわかってるよ)  言ったところでどうなるものでもないことも、わかっていた。だから、大人たちの想像通りに振舞って、誤解を解こうともしなかった。  家族の前では、姉がいた頃よりも輪をかけて、自分が目の前にいることを見せ付けているつもりだった。  こっちを見て。おねえちゃんじゃなくて、わたしを見て。  あの頃、態度だけでなく、そう言葉に出せていたら、何か変わっていただろうか。でも、そんなことを言える雰囲気ではなかったのだ。子どもがそんな気をまわす必要などなかったのかもしれない。自分の両親や祖父母に対し、遠慮などしなくてもよかったのかもしれない。しかし、染み付いてしまった習性を変えることなど、思いつきもしなかった。  姉の生前から、母親が自分よりも姉の方をかわいがっていることは、薄々わかっていた。  三人でどこかへ出掛けると、いつも、母親は姉の手を繋ぎ、哉菜はもう片方の母親の手ではなく、姉と手を繋がされていた。歩いている最中に手が離れ迷子になったことが何度かあったが、怒られるのは決まって哉菜だった。見つけられた時、第一声に安堵の声を漏らされたことは一度もなかった。「どうして手を離したの!」心細さと不安で泣いていた哉菜に浴びせられたのは叱咤の声だった。手を離したのは自分だけではないのに。その思いを告げようものなら、さらに怒られて、(口答えをするなとか何とか)いつも哉菜一人が泣いていた。大声で泣くとまた怒られるのがわかるようになると、声を出さずに泣くようになった。
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