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 ここ何年間か、食卓での主人公はいつも麻衣だ。幼稚園に通い出してからはその日の出来事を逐一聞かされていたし、まだ言葉が覚束ない頃は、食事をさせること自体がメインだった。母親のお腹にいた時ですら、両親はまだ見ぬその子に、期待や夢を膨らませていた。  二人の関心を自分に向けたくて躍起になっていたのはもうずいぶん前のことで、悪あがきのような努力をやめたのは、夕食の席で、その日産婦人科に行っていた母親が、生まれてくる子が女の子だとわかったことを報告して、名前の話になった時だった。 「――『紗絵』にしたいけれど、ダメよね?」 「ダメだよ。生まれてくる子は紗絵じゃないし、――紗絵は、一人だけだ」  もうこの世にいない娘と、まだ生まれてきていない娘に配る「気」はあっても、目の前で生きている娘に遣う「気」はないらしい両親は、その席で、一度も哉菜に話を振ることはなかった。  階段を上がって二つめに哉菜の部屋がある。中学の二、三年と、高校に入ってからは長期休みの間しか使っていない一人部屋だ。女子高生の部屋にしては殺風景な空間になっている。勉強机と本棚、ベッド、姿見。家具といえばそのくらいで、物に至っては、本棚の半分弱を埋めている小説を主とする本類だけ。一年前、入寮が決まった時点で、不要な物はことごとく処分していた。  何の思い入れもない部屋。いくらドアや窓を閉め切っていても聞こえてくる麻衣の笑い声や泣き声。それをあやす母親の声に耳を塞いで耐えていた記憶くらいしかない。自分の家の自分の部屋で、一体何に耐える必要があったというのか、哉菜にもよくわからない。ただ、姉の生前は姉と母親の声。姉がいなくなってからは、母親のすすり泣き。妹が生まれてからは、二人の声が聞こえてくるたび、胸を押し潰されるような、重くてどろどろしたものが、哉菜を蝕むように思えてならなかった。ただの被害妄想だと言われれば、そうかもしれない。しかし、あの頃の哉菜には、――今の哉菜にも、そうと気付かせてくれる存在はいない。
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