鬼の火 1

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鬼の火 1

父親にとって娘は溺愛すべき対象である。無論、甘やかしはしないが、溺愛する。 そんな源一は居間の座卓で手元にある矢を見ながら困り果てていた。 お客様を全て送り出し、お部屋の準備やなんやらを従業員と一緒に済ませて、ふと一息ついて座ったところである。 「こんにちは、石達磨です!」 玄関口から男の野太い声が聞こえる。温泉街では警察ですとは言って欲しくないので、警察もまたこのあだ名を便利に使っている。 「ようやくきたか・・・」 矢を持って足早に玄関へと向かう。どうしても玄関に急いでしまうのはその商売を始めたからの癖になっていた。 「お待ちしてました、って雅之か」 「おう、矢を打ち込まれたんだってな」 警察官の活動服と防刃衣を着込んだ姿の上から温泉街共通の法被を羽織った白髪混じりの中年のおじさんが手を挙げた。法被は温泉街組合との取り決めで初動の内や小さな揉め事なんかは着ながら対応することになっている。結構気を使ってくれる交番なのだ。 2人は幼馴染で幼馴染が来てくれたことに源一はほっとした。気心知れた仲なら話しやすい。 「で、それかい?」 「ああ、これだよ、外の看板に刺さってたんだ」 「なんか怖いな」 「こっちが怖いよ」 「だよなぁ」 矢を受け取った雅之は後ろにいた若い鑑識服の女性に渡す。石達磨に似合わないほど美人な婦人警官に思わず見とれてしまった。細めながらすっとした目元に泣きぼくろ、鼻筋は通り女優を思わせるような顔つきに制服姿なのにどこか色香が漂っている。 「綺麗だろう、うちの新人だよ」 「綺麗は余計ですよ、中井侍村警部交番に今月から派遣されました、西丸りえ警部補です。よろしくお願いします」 すっとした返事が返ってくる。ますます高得点だ。 「不二子ちゃんの後輩だね」 「はい、不二子先輩には色々教えて頂いてます」  唯一の女性警察官であり老人会のアイドルである峰岸不二子巡査をしのぐ美形が表れていることに驚いた。今年の村内イベントではこの2人を巡って派閥争いが起きそうで今から楽しみだと源一はニヤッと雅之に笑いかけると、気心知れた彼もまた悟ったように笑い返した。 「で、おまえは何やったの?」 その目が細くなり、疑いの眼差しが向けられた。 「何も心当たりがないのだけどね」 困った顔で雅之がじっと見返した。 「心当たりがないのに矢を突き刺されるってことはないだろう、もののけの類じゃあるまし」 「ないものはないんだよ、お客さんと揉めたこともここ最近はないし、ましてやこんなこと初めてだよ」 外で看板と矢の傷を合わせていた石丸がのれんの間から顔を出した。 「雅さん、矢ですけどすごい威力で板の半分まで入り込んでます。指紋とかは採取してみますけど・・・・。これ水洗いしませんでした?」 「あ、朝にいつもの癖で拭いちまった・・」 間が抜けた声を出して源一がいう。 「ばかだねぇ。お前は・・・」  顔に手をやり雅之は呆れ果てたようにため息をついた。 「深夜の巡回でも不審者はいませんでしたし、昨日の立ち番は不二子先輩だから見落とすことはないでしょうし・・・」 「まあ、あと防犯カメラで確認するしかないか・・」 「写ってるかね?」 「気休め程度だろうな、それにおおごとにして問題になるのは嫌だろ?」 「ああ、評判に関わることまではいって欲しくないね」 客商売は口コミやSNSに左右される、ましてや小さな旅館なんぞ、噂一つで風前の灯になりかねない。 「ところでだ、一つ気になるんだけどな」 「なんだ?」 「入り口についてる防犯カメラはハリボテか?」 雅之が親指で玄関口の上を指差した。 「あ、あれか、録画してると思うぞ」 「どこで?」 「ここで」 といって入り口脇のカウンターの下を指差した。 「あのね、源一くん、それには写ってないのかな?」 呆れ果てた顔を再度向けて雅之はじっと源一を見る、のれんから顔を出していた石丸も残念そうな表情でこちらを見ていた。 しばらくして源一自身もまた、顔を真っ赤にして機械のところへ向かった。 「どうして忘れてたんだろう」 「馬鹿だからだな」 雅之が鼻で笑う。 「言い返す言葉もないよ」 「だろうね、看板も水拭きするくらいの奴だからな」 Posレジを操作して防犯カメラの映像に画面を切り替える。旅館前の道路と看板までがしっかりと映し出された。 「写ってるか?」 覗き込むように雅之が見てきたので画面の向きを変えてしっかりと見せる。 「昨日の施錠後から今までを倍速で見せてくれるか?、石丸、見落としがないように一緒に見てくれ」 「はい、今行きます」 道具を片付けた石丸が雅之の隣から画面を覗き込んだ。 「じゃぁ、昨日の22時から再生するぞ」 映像が選択、再生されて流れていく、宿泊客やタクシーなどが0時くらいまでは走っていたが、0時を過ぎた頃から徐々に減り始め1時には誰も通らない映像となった。 「ここからは誰も映らないな」 「本当ですね・・・」 2時くらいまでは人っ子一人映らなかったが、2時16分に1人の人物が走っていく。 「八百屋の倅だな、夜中のランニングだろう」 背中を見ただけで雅之には誰だかわかった。 「こんな時間に走ってるんですか?」 石丸が不思議そうな顔をする。 「ああ、これぐらいの時間にならないと、客がいなくならないからな。前に旅行客とぶつかりそうになって以来、この時間に走ってるんだ。親も知ってるしな」 「なるほど・・・」 走り去って10分後くらいの映像に見慣れない姿の人物が映し出された。白黒で分かりづらいが、着物を着た老人に見える。しかし、旅館などの浴衣などではない。ここに勤めてうん10年、村内の旅館の浴衣などは覚えているのだ。 「あ、矢ですよ!」 老人の右手に棒が握られてた。橋に矢羽のようなものが見て取れる。 「このジジイがうちの看板に・・・」 源一が怒りの声をあげる。 「再生速度を通常に戻してくれ」 早送りから映像が戻る。 「ん?」 老人が店の前に立ちはだかる。店頭の照明が照らしているにも関わらず老人の表情、ましてや顔つきまでもが黒色で分からない。 「気持ち悪いな」 「顔、全く見えませんね」 「ああ、まるで最初からないみたいだ・・・」 老人が矢を持った腕を振り上げる、着物から出た腕は異常なほど細く枯れ木のような腕だ。 「あ、打ち込みますね」 と石丸が言った直後、矢は看板に打ち込まれていた。 「え!?」 3人とも同じように驚き声をあげる。 「巻き戻して!スロー再生にしてみろ」 「おう・・・」 源一が巻き戻してスロー再生を実行する。 「ここだな」 老人が腕を上げた直後、やはり矢が刺さっていた。 「バケモンだ」 「うん、投げつけてもいない、それでいて突き刺さってる」 「まともな人間じゃねぇな、警察ってより和尚に相談したほうがいい。思い出したくなかったが、不二子ちゃんの時と一緒だ。」 警察が警察ってよりと言うのもおかしい気はしたが、確かにこんな人間離れしたことをしでかすような奴は警察ではなく神か仏に頼るべきだろう。 「源ちゃん、まじめに和尚のところに行けよ」 肩に手を置かれて雅之が真剣な顔で源一にいった。 「いや、真顔で冗談言われても・・・」 「本気だよ、おまえ、中居侍村の伝説を覚えてないか?」 「伝説って、村の歴史のか?」 小学校一年生の記憶の中に小冊子で郷土の歴史を学んだような気がする。 「ああ、あのほっそい冊子の教科書の中に「嫁取り」って話が載ってただろう?」 「ああ、あれか、でも伝説だぞ」 「伝説ってのは案外馬鹿にできないぞ、それにあれはどう考えても警察の案件じゃない」 「いや、そうかもしれんが・・」 「娘に何かあったら困るだろ」 「困る!」 一緒に画面を見ていた石丸が困った顔して2人を見ていた。それはそれは心底心配したような表情だ。若い者からすればオカルトのようなことを真剣に話し始めたおっさん2人をどうすべきかと考えあぐねてるのだろう。 「石丸はこういったことは初めてか?」 雅之の言葉にハッとして石丸は表情を引き締める。 「初任地実習では習いましたけど・・・、初めてです」 「なるほどな、いいか、初任地実習で教えてもらったことは100%起こると思っておいた方がいい。笑い話の類もな、でないと痛い目にあうぞ」 雅之が真剣に石丸を見ていう。 山深く谷深い山間地域を抱える警察署にとって、怪異や不可思議現象と言うものは「ある」ということを前提に行動しなければならない。もし、君たちが先輩からこの手の話を真剣に話されたのであれば、それは本当に気をつけなればならないことだよと、実習で言われた言葉を思い出して石丸は体を一瞬震わせて背筋が寒くなった。 これは、それに違いない。 「嫁取りって話だが・・・・」 カウンター横にある中居侍村の観光マップを引っ張り出した雅之は村役場や駅のある本町とは対岸、この子狐旅館のある中町を指でぐるりと円を書いた。 「この辺りだけの伝説なんだけども、旅館や旅籠や民家などの軒先に矢が刺さることがあってな、それが刺さった家では誰か彼かが消えるんだ。家族であったり宿泊客であったり従業員であったりと特に決まりはないらしい、とにかく、誰かが消える」 「嫁取りですから、女性じゃないんですか?」 「ああ、嫁取りっていうけど、消えるのは男女関係ない。1回だけ花嫁が消えたことがあるから嫁取りと名前が付いているだけで、正しくいうなら神隠しだわな」 「神隠し・・・」 「ああ、村のどこ探しても見つからない。山狩りしても見つからない不思議なことなんだけども、しばらくすると全員が同じ場所で見つかるんだ」 「どこなんです?」 雅之の指が地図の一点を示すと石丸の顔が引きつった。 「ここ、石達磨の小池に浮く」 石達磨の小池は交番横にある水位が上下する不思議な池で観光スポットにもなっている場所だ、前日に水を満々と湛えていたかと思えば、翌日には水たまり程度しかなかったりすることもある。 石丸の顔が青ざめてきた。毎日の水位の変化を楽しんでいた池にそんな秘密があったとは知らなかったし、知りたくもなかった。たまに眺めていると雅之がよく[何か浮いてるか?]と声をかけてきた理由も分かり、それが尚更、背筋を凍りつかせた。 「でな、浮いてるから死んでると思うだろう、ところが生きてるんだよ」 「浮いてるのにですか?」 「ああ、顔を空に向けてるから生きてるんだが・・・まったくもってその本人本来の人格がない」 「呆けてしまってるということです?」 よく都市伝説であるような記憶喪失などが起こっているのかと石丸は考えたが、雅之は首を振った。 「いや、それとはちがってな、人格が全く違う。前回、前々回、もっと前に行方不明になった人格が入り込んでるんだ」 「え・・・」 「男女は入れかわらないが、人格が入れ替わる、いや、魂が入れ替わるというべきだな。その当人に色々と聞いてみると、とんでも無いことを言いやがる、やれ、どこそこの旅籠の娘だったとかどこそこの倅だったとか言うんだが、それが、調べてみると、本当にいて嫁取りされているんだな」 「そこまでは冗談ですよね・・・まるで見てきたかのように・・」 「見てきたんだよ、不二子ちゃん、うちの交番に何年いるか知ってるか?」 「先輩は10年くらいい・・・・あ・・・」 10年若い婦警が同じ交番に努めることは普通はありえない。よほどのことがない限り、そこまで転勤がないことはないのだ。 「配属されて1年目の冬に嫁取りにあった」 「え!」 「アパートに矢が刺さっていたらしくてな、それからしばらくして無断欠勤が続いたので俺と岩村警部で見に行ったんだが、思い出せば玄関の端っこにこれが落ちてた」 そう言って雅之は矢を忌々しそうに見つめた。 「警察官が失踪なんて話にならんから、あの当時は山狩りもなんにもしなかった。それに、岩村警部が監察の知り合いに頼んで休職扱いとして幕引いちまったからね。岩村警部はこの件は2回目だからその辺りも心得ていたんだろうな」 「先輩はいつ頃見つかったんですか・・」 「4年前の10月の初旬、老人会で23夜待ちを行ってた最中に池に浮いた」 「23夜待ちってなんです?」 「今はしなくなったけどな、祭りの一つで旧暦の8月23日の月の出から月の入りまで月を愛でながら経を読んで飯食って過ごす祭りだったかな」 「雑破な紹介ですね」 少し呆れたように石丸が言った。 「正確には23夜待ちは供養だったり願いだったりを祈ったりするんだよ。地方によって作法はまちまちだろうけどね」 助け舟を出すように源一が口を挟んだ。 「ああ、そん感じの祭りだ。地味すぎて我々の世代はやらなかったからな。でだ、不二子ちゃんは冬用のコート羽織ってあの朝出勤したままの格好で池に浮いた、ちょうど当番で俺と岩村警部が詰めててな。何気なく池見たら浮いてたのを見つけてな。思わず窓から池に飛び込んで助け出したんだが、第一声で入れ替わっていることがはっきりとわかった」 「なんて言ったんです?」 「岩村警部よりかなり前の殉職した警部の名前を言ったんだ。本人なら知りもしないはずの名前だからぱっとわかったよ」 「不二子ちゃんにそんな秘密があったとは知らなかった・・・」 源一が驚いた表情を見せて、近くの椅子に腰を抜かしたように座る。 「思わず喋っちまった・・、でも、この矢はやっぱりあの時の矢にそっくりだよ。源一、やっぱり和尚のところに行った方がいい、早いうちに対処をしないと同じことになるかもしれないぞ」 雅之は目を合わせて源一をじっくりと見た。この仕草は真剣な話をしている時の彼の癖だ。 「わかった、今からでもいきたいが、旅館のこともあるし、早急に梨花に相談してみる」 「ああ、その方がいい、嫁取りなら1週間で迎えが来るはずだからな」 「そうだな・・・、しかしなんで・・・・うちなんだ」 顔に両手を当てて源一がそんなことをつぶやく。2人はそれにかける言葉がなかった。
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