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「この目さえ見えれば、姉さんと一緒に暮らせるし、声や音ばかりの世界から逃れることができるんだ……。 僕は姉さんの顔が見たいし、綺麗な声で囀る小鳥や美しい昆虫の姿が見てみたい」
杜鵑は、呻くように言う。
その言葉と声は、真に何かを切望する力強さとどこか邪なものを感じさせた。
人間が求める願望は何も正しさばかりではない。
誰もが不浄な欲望を持っているのは疑いのない事実であって、その例にもれず、温室の純粋な花を想像させる少年にも邪なる〝モノ〟が潜むのは間違いないだろう。
誰の心にもある正と邪の天秤が、少し傾ぐ方向を違えただけかも知れない。
「そうね、私も杜鵑にこの世界を見せてあげたいわ」
蒼華が、言う。
杜鵑の心には危うさがある……。 蒼華は漠然とした不安を感じるが、それを悟らせることはしなかった。枕元に置かれたオーディオプレーヤーを杜鵑に渡して、飲み終えたティーカップを受け取ると椅子から立ち上がる。
「姉さんは、少し仕事が忙しくなったから、しばらくここには来られないと思うの。だから、ちゃんとお医者様の言うことを聞いて良い子にしているのよ」
蒼華が、病室を後にしようとした時、
「お金なら困っていないんでしょう。姉さん」
杜鵑が幾分、納得がいかない声で言う。
しばしの沈黙。
壁掛け時計の秒針の音が、鼓動のように二人には聞こえた。
「ダメよ……。 人はやるべきことがあって、それを成さないと魂と心を裏切りになるわ。そうなったら、お医者様でも治せないのよ。まずは身体を労りなさいね。杜鵑」
蒼華は、優しさと厳しさを織りまぜて言う。
返事に詰まった杜鵑は、黙って見送るしかなかった。
ベッドや身の回りの物を、簡単に片付けた蒼華は優しく杜鵑の頬に触れる。
杜鵑が、短い声をもらして紅潮した顔を上向きにした。
「そうね…… 。 さっきの白色ってね。きっと貴方の心の色よ」
蒼華が、そっと答えて杜鵑の頬に優しくキスをする。
「ありがとう……。 姉さん。大好きだよ」
杜鵑は、愛らしい微笑みで言う。
「私もよ……。 愛してるわ。杜鵑」
姉弟として、親愛の言葉をかわし合い蒼華は部屋から出て行った。
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