第一節 白色世界

6/15
前へ
/62ページ
次へ
 杜鵑は、扉が開き閉まる音を聞いてから、イヤホンを耳に入れるとオーディオプレーヤーのスイッチを入れる。  そこからは、両親が自分を呼ぶ声、海の波の音、風が雲を移動させる自然が奏でる音楽。  山々で小鳥がさえずる声の録音。  春の季節に、姉が録音してくれたホトトギスという小鳥の鳴き声。  今、香っているのは山桜という花の匂い。  ホトトギスは、春の訪れから夏を教えてくれる小鳥なのよ……。 と、言った姉の言葉を思い出して、杜鵑はベッドに横になると静かに瞳を閉じて自分だけの世界に魂を委ねた。                   †  暗闇を走る人物がいた。  足元は苔むした岩、草、石と樹木の根。  息を切らしながらも必死に、何かから逃げて走り続ける。  陽光を一切拒絶した世界でありながらも、その人物は走り続けていた。  その速度は野生動物のそれに近かった。  不意に逃走している人物が身をかがめる。暗闇で悪魔の指先のように、行く手を遮って広がる枝を避けたのだ。  そればかりではない。人間サイズの巨大な岩を軽々と飛び越える。  木々の隙間を縫って、太い木の枝を踏み台に上空へ跳躍した。  恐ろしく高い。  天空を覆っていた樹木を越えて、月明かりに人物が照らし出される。  短い頭髪に迷彩の戦闘服の人物。腰には拳銃と両腕には短機関銃を持っていた。  好戦的な重武装(スタイル)である。  圧迫される空気と背後からの殺気に、こわばった表情で空中の姿勢を入れ替える。  跳躍が続く最中、地上に向けて短機関銃を撃った。  『クリス・ヴェクター』と、呼ばれる四五口径の弾丸を使用する特殊な銃である。  まだ所有する個人、軍隊は少なく一部の特別な部隊にしか供給されていない。引き金と前部の弾倉の間に設けられた銃口の跳ね上がりを防ぐための、Vシステムと呼ばれる内部構造によって驚異的な集弾率を誇る銃だ。  しかし、銃弾が目標を捉えることはなかった。  そして後悔の念。  ――しまった…… 。 愚策だッ! 場所を教えただけかッ!――  ――クソッ! 気が付かれたかッ!――  終焉を迎える跳躍。  逆らえぬ重力に負けて落下していく人物は、樹頭に着地して枝を踏み台にすると階段を駆け下るように地上へ戻った。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

52人が本棚に入れています
本棚に追加