第1章

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 全そく力でふりむいて、あたしは力のぜんぶを出してしがみついた。  丈一さんはびっくりしたみたいな声で、  「なんで泣いてる」  って聞いた。  ぬれた顔を灰色の上着にぐりぐりおしつけて、あたしは答えなかった。  丈一さんはこしをかがめて、あたしと顔の高さをおんなじにした。今度は笑ってるみたいな声で、  「なんで泣いてる」  って聞いた。ばんそうこうを巻いた指でちくちくあたしの顔をふいてくれた。かみの毛をくしゃくしゃってかきまわしてくれた。  やっと泣きやんで顔を上げたら、丈一さんは目を合わせて、見たことないくらいやさしく笑った。  あたしもいっしょに笑おうとしたとき、丈一さんはすっと笑いをひっこめた。  向こうのなにかに気がついたせいだ。あたしからはなれてまっすぐ立った。  あたしも、ぱたぱた近づく足音に気がついた。  「ひいたーん」  小さい女の子がかけてきて、丈一さんのひざにくっついた。  丈一さんはさっと女の子をだき上げた。すごくなれた手つきだった。鴎さんのひもしばりぐらい、丈一さんは子どものだっこが上手だった。上手に子どもをだっこする丈一さんは、あたしの知らない丈一さんだった。  女の子のおでこに自分のおでこをぶっつけて、  「よお、みずき」  っていった。すごくやさしい声だったけど、やっぱりあたしの知らない丈一さんで、あたしのおなかはなんだかざわざわした。女の子はすごくかわいい。よろこんでけらけら笑った。  その後ろで、  「やっぱり丈一だ」  って声がした。  「こんなところにいるなんて」  知らない女の人が立っていた。  その人を見たとたん、あたしのおなかはざわざわをとおりこしてぐつぐつになって、頭の血がまるごとぜんぶ下がったような気がした。  女の人は、頭がよさそうでやさしそうで服もくつもかみもつめもすてきで、世界じゅうのいいものを集めたみたいにきれいで、にこにこ笑っていた。ただ、なんだかつかれて悲しそうな感じもした。  丈一さんは女の人にも、  「よお」  っていった。やっぱりあたしの知らない、すごくやさしい声だ。それも、ずっと前から何度も使ってるって感じのいい方だった。  「ごぶさた」  って、女の人もずっと前から何度も使ってるいい方でいった。  だっこされた女の子はうれしそうに丈一さんのほっぺにさわったり、耳や白いかみをひっぱったり、かたによじ登ろうとしている。
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