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涼風至
初子はただ黙って端然と聞いている。また涼やかな風が渡っていき、初子の項で後れ毛が小さくそよぐ。
「すぐに君のところへ行くはずだった。それなのに、こうやって生きている。妻も娶り、子も成した。散華した仲間にも君にも合わせる顔がありません。臆病者と笑ってください」
僕は初子に頭を下げた。
「いいえ。いつもあなたはご立派でしたわ」
初子は皓い歯をみせて笑った。それで健吾は思い当たった。ふと初子の気配を感じることがあった。引揚船の運行。戦後の窮乏。立ち上げた会社が不渡りを出したとき。信頼していた部下たちが引き抜かれ大挙して辞めたとき。そんなとき初子の気配がした。すると健吾は勇気を奮って困難に立ち向かう気力を得た。
「そういうことでしたか」
初子は目の縁を染めて小さな声で言った。
「ずっとあなたをお慕いしておりました」
初子は手を差し出した。健吾はその手を取った。
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