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綺羅星(きらぼし)の最期
夕方峠(ゆうがたとおげ)から尾張に抜ける裏街道を半里行くと、太鼓大路(たいこおおじ)の辻に出る。郡司屋敷はそこにあった。
裏門にたどり着いたのはもうすっかり日も暮れた頃。
大屋門の屋根は葺き替えられたばかりらしく、卯月の湿った空気に、真新しいカヤが若々しく薫っている。
この前、ここに立ってから確かに7年は経っている。
その時はまだ綺羅星にもカラ元気があったが、今は無理に声を張り、高い声で呼ばわったつもりが、絞り出てきた声は、低くしわがれていた。
「郡司殿の御中(おんちゅう)、御免下さいませ」
それでも下女の足音がすぐに聞えて返事が有った。
「物乞いなら、もう少し夜更けて来よ、余りものを取っておくから」
「物乞いではござりませぬ」
と、ここでまた、大きく息を吸ってとっておきの声を作り
「お殿様の御長寿、祝言申しあげたく立ち寄りました、淡路の綺羅星でございます、皆々様にはご機嫌よろしゅう」
一気に、流れ遊女の決まり口上を見得を切るように申し上げた。
「きらぼし?しばらくお待ちなさい」
とあって下女はひっこんだ。
暫く待つと数人の足音がして木戸が開いた。
立っていたのは夜目にも眩しいような、若く美しい御家人だ。
「きらぼし!きらぼしなのだな!」
言うなり駆け寄って、いかにも汚らしいぼろを纏った綺羅星を、躊躇なくその胸にすっぽりと抱きとった。
「と、殿さま…」と言ったきり、ふらついて綺羅星は声も出ない。
郡司屋敷の殿は、90歳の綺羅星よりは10ほどは若かったはずだが。はて、こんなに若返っているとはどういう仕掛けだろう。夢でも見ているのか、狐か狸に化かされているか。7年前に訪れたおり、病んで床から上がれない老人であったのが今は20歳そこそこの青年なのだ。
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