綺羅星の最期

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男が通ってこなくなって半月程、 鎌倉殿が後白河を打つために 侍をそろえて京に上ると聞きつけ 綺羅星はもしや、と その隊列が街道を通るのを見にいった。 隊列に、例の男を見つけると 綺羅星は思わずその名を呼びながら 一町は、隊列を追いかけて行った。 いつか草履も脱げて、 裸足でこけつまろびつ追いかけるのが 綺羅星だと気付いたらしく 若い男は恥ずかしそうにちらと目をくれて 笠ですぐ目を隠し、 口元が困ったようにちょっと笑った。 そしてそのまま、振り返りもせず 出兵していってしまった。 口角の上がった、 若いというよりは幼いような口元である。 そのちょっとした微笑みが いっそう綺羅星を苦しめた。 宿に帰っても綺羅星は沈み、酒に溺れ 他の客は一切取らなくなって 数日は部屋でもだえ苦しんだ。 宿の主に 「忘れようとするから苦しいのだ 忘れなくてもいい、と 自分に言ってやるほうが楽だよ」 と言われたが 涙も枯れて、苦し紛れに明け方に宿を走り出た。 足は自然に寺の門をくぐっている。 悩み事が有ると来る近くの寺だった。 扉の閉まった堂の前で泣き崩れ、 門に立ちはだかった二不動像の足に取りすがった。 「お不動さま! どうぞこの苦しみからお助け下さいませ あの男を忘れさせてくださいませ! そして、どうか…あの人に 槍や矢が当たりませんように」 と指を這わせた不動の 石のふくらはぎはひんやり冷たいのだが 盛り上がった筋肉の凹凸が、 例の男の ガニ股気味に開いた生身の脛を思い出させ かえって下腹が掴まれるような 恋しさ切なさがこみ上げてくるのが なんとも情けないのだった。 90になった今、 思い出そうとしても 「下腹の切なさ」など全く思いだせない。 あの、命の炎というべきものは 綺羅星の身体の中には、奇麗さっぱり無くなっている。 それもまた可笑しく 苦しい息の下少し笑い 目の前の不動に震える手を合わせた。 「あの時はお不動様の脛までも煩悩の種だった なんと申し訳ないことでした。 お許しくださいませ、それにしても… 男に泣きもしましたが、 男はみな可愛く、親切なものでした」
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