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障子戸を開けると、月明かりを背にした寝間着姿の千代が立っていた。
いつも髪を覆い隠している白い頭巾は無く、久しぶりに目の当たりにした髪は濡れたように艶めいていた。その姿に思わず息を飲んだ。
不味い。
招いてはならぬ。そんな気がした。
「いかがした?外は寒い。入っても良いか?」
「は、失礼しました。どうぞ中へ。」
戸を開け中へ招き入れた。
おかしい。何を躊躇うことがあるのか。
千代は出家している。
もし部屋に招いたとしても妙な噂などを立てられることはないだろう。
唯一心配なのは、あの男に告げ口されないかどうかだ。
なのだが、何かがおかしい。
さらりと部屋に踏み入れるその瞬間、いつもの千代と何かが違う気がした。
平常心ではないからそう感じるだけなのだ。内心は動揺していたが、顔にはだしてはいけない。必死に乱れる感情を抑え込んでいた。
そんな政次の苦労を知らぬ千代はいつものように微笑って言った。
「すまぬな、このような夜更けに。もう寝ておったであろ?」
肩のあたりで真っ直ぐに切りそろえられた髪が政次の目の前でふわりと揺れ、辺りに甘い香りが舞った。
誘うような甘い香りだった。
「い、いえ、横になってもなかなか眠れぬゆえ起きておりました。かまいませぬ。」
「そうか、それは良かった。」
はにかむように微笑む口元がやけに艶めかしく見えるのは己の心が濁っているからだろうか。
次に続く言葉も見当たらない政次は、茫然と立ちつくした。千代はそんな政次を見て、くすりと嗤うと、ゆっくりと畳を擦りながら近付いてきた。
そして、おもむろに政次の肩にそっと手をかけ、ぴたりと頬を寄せ、耳元で囁いた。
「あぁ、良い匂いじゃ。我はそなたの匂いが好きじゃ。」
政次の耳元ですうっと深く息を吸い込むと、政次の鼻先に触れてしまいそうなくらいぐっと顔寄せ、じっと見つめた。
右足を僅かに動かすだけで、目の前の柔らかそうな唇を吸える。男ならこの状況でそう考えるのが自然だ。いくら抗おうとしても雄の欲望はむくむくと膨れ上がって止められなかった。
この障子戸を開けた時にすでに脆くなっていたのだ。
それが、今、限界にしていた。
冷静になれ。
いくらそう言い聞かせても鼓動も欲もさらに高ぶる一方だ。
もういっそ、このまま己の欲に身を任せてしまえば....
そう思った時、
『そうじゃ。それがよい。政次、犯せ。』
嘲笑う声が政次の頭の中で響き渡った。
あの男の声なのか、
それとも己か。
目の前では桃色に艶めく唇や、白い柔肌がある。
とめどなく溢れる色香が政次の躰に纏わりつき理性を揺さぶってくる。
千代はしきりに目を泳がせている政次の様子を見て、少女のようにふふっと嘲笑った。
無垢な笑い声と歪んだ口元に躰の内側がざわりとした。
この嗤う女を知らない。
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