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ep4 秘密ノ契約
「…様、次郎様。失礼致します。」
廊下から千代を呼ぶ声がした。
男所帯の小野家には珍しい女の声だった。
しかも若い娘のようだ。
瞼を透かす光から、すでに日は昇っていると分かる。
目を開くと、そこには見慣れぬ天井があった。
そうだった。
昨日ここを訪れたのだ。
「次郎様、お目覚めになられましたか?」
戸に映る影がゆらりと動き、千代に尋ねた。
寝乱れた胸元を直した。
誰の目に触れるわけではないが、習慣というものだ。
昨夜にはなかった痕が胸元にあった。
それに気を取られて返答をせずにいると、
「次郎様?如何なされました?」
僅かな間にも気が付くこの女子は聡い。
「いや、ちょっとぼうっとしてしまっての。寝すぎじゃなぁ~。」
「いえいえ、ゆっくりとお休みになられたようで宜しゅうございました。お身体の具合はいかがにございますか?」
「うむ、お陰様で調子も良い。まるで若返ったようじゃ。」
「それは良うございました。そのご様子ですと、朝餉はお召し上がりになれそうですね。」
「もちろんじゃ!あっいや、一晩泊めていただいた上に朝餉まで馳走になるなんぞ・・・」
ぐぅー
池の蛙の鳴き声かと思うほどの大きな腹の音が部屋に響いた。
口とは裏腹に腹は正直であった。
その音は障子戸越しの女に届いたようで影が小刻みに揺れているのが見えた。
「ふふっ、遠慮はいりませぬ。もうご用意しておりますゆえ、すぐにお持ちいたします。今しばらくお待ちくださりませ。」
と弾むような足取りで去っていった。
そのとき思った。
自分も出家などせず、先ほどのような溌剌とした娘であったならば、今頃はどこぞの家に嫁ぎ、子を産み、女としての人生を全うしていただろうか、と。
本気で叶えたい望みではない。
ただの欲なのだ。
もう子を産むことを許されぬ身だ。
自ら選んだ道なのだから。
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