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莉央と別れた。
もう四十年も前のことだ。彼女は高校の同級生で、俺が人生で初めて好意を寄せた相手だった。
二年生になり、初めて一緒のクラスになった彼女は、よく後ろの席から俺のノートを覗き込んできたものだ。
「牧野くんって、本当に絵が上手だねえ」
そう言って笑いながら、俺の落書きを褒めるのだった。
初対面の時から、彼女は臆することなく俺に話しかけてきた。毎日一回はシャーペンで俺の背中をつついて、ちょっかいを出してくる。そんな彼女を、俺はずっと訝しんでいた。
陰気で人見知りで、つまらない男。そんな俺に話しかけてくる人など、誰一人いなかったのに。何故彼女は俺に構うのだろうか。
しかし彼女は俺に話しかけ続けた。
今思えば、彼女は単に俺のことを見過ごせなかっただけなのだろう。
彼女は面倒な学級委員を買って出るような、真面目な性格だったから。一人ぼっちの俺を放っておけなかったのだ。
しかし、この多感な時期に女子が男子に話しかけようものなら、からかいの目で見られることもあっただろうに。
それでも彼女は俺に話しかけ続けた。自分の気持ちを貫き通す性格なのだ。真っ直ぐで明るい彼女は、いつしか俺の心を和ませる太陽のような存在となっていた。
暇つぶしで描いていたノートの落書きは、やがて彼女に見せるためのものになった。
陰気で人見知りで、つまらない男。そんな俺でも、絵でなら彼女を笑わせることができた。
美人で有名な国語の先生を、王女様風に描いてみせた。いつも怒っている英語の先生を、怪獣の姿にして描いてみせた。彼女は、似てる、と言っていつも笑ってくれた。
話すことが苦手だった自分が、絵を描くことでなら人を笑顔にできるのだと知った瞬間だった。
それから俺はノートに漫画を描き始めた。
今まで〝物語〟を描いたことはなかったが、勢いのままに考えた、先生たちをモチーフにしたコメディ漫画は好評だった。彼女は笑い上戸で、いつも大げさなくらい笑ってくれた。
その笑顔を、ずっと見ていられたら。
そんな恥ずかしいことを考え始めたのは、いつからだろう。
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