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『ミサンガ』と、いうらしい。
糸で器用に作られた紐を、上着のポケットから取り出し、眺めてみた。
すっかり夜が更けていたので、街灯に頼りながらその模様を観察する。ジグザグや、ダイヤの形が連なったもの、V字の連続など、計3本手元にある。すべて、塾生に今日貰ったものだ。 作り方は単純だが、1本作るのにかなり時間がかかるらしい。その時間を復習に当てれば点も伸びるのにと思ったから、そのまま口にしたら笑って誤魔化された。
大学四年の冬。有難いことに内定はもらっている。一年の終わり頃から始めた、学習塾の講師のアルバイトが、そのまま就職先になったというわけだ。
人に勉強を教えることは、嫌いじゃない。もっと上手く教えてあげたいとも思う。ただ、塾講師がどうしてもやりたかったかと言われると、首を縦にはふれない。だからと言って、今更就活もしたくない。これでよかったのだと、最近、納得した。
一人暮らしのアパートを外から見る。こんな時間なのでほとんどが消灯しているが、3ヶ所、窓から明かりが漏れていた。その中の1つは、カーテンを閉めていないので中の様子がよく見える。今日も隣人が、真夜中に絵を描いていた。こちらに気づき、筆を軽く降る。右手を挙げて応えた。俺は自販機でミルクティーを2本買い、階段を上がった。
隣人は、市が開催するワークショップで油絵の講師をしている。その傍らでコンテストで賞をとって絵で食っていく事を目標としていた。隣人と俺は、講師繋がりで交流を持ったわけではなく、ベランダでの一服が被る事と、スランプで暴れていた彼を取り押さえた事から、ご近所付き合いが始まった。
ドアを開けると、油絵具の独特な匂いがする。俺はクセになる匂いという評価だが、隣人は慣れるまで時間がかかったらしい。なるべく、匂いのきつくないメーカーの物を使っているそうだ。
「今日もバイト?」
「うん。テキストの準備してたらこんな時間に」
「いつも通りだろ」
俺はミルクティーを手渡す。隣人は、ありがとう、と受け取って直ぐに飲み始めた。
「休憩しようと思ってたんだ」
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