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後ろで声がして、あたしは頭をふるのをやめた。
「はっきり言ってやればいい。あんな畜生、好きでもなんでもないって、そんなことはお互い百も承知ですよって」
へやの空気がぎっしりの氷水に変わった。
すだれをまくって入ったとたん、丈一さんはくわえていたたばこをじゅうたんに落としてふんづけた。
「少女マンガみたいなこと言って、ガキが頭ん中にお星様ちりばめてんじゃねえぞって、言ってやればいい」
つるぎ君の茶色いかみがぶわっとさか立った。
「樋口ぃ……」
顔をななめにして、丈一さんをにらみつけた。ほっぺがぴくぴくして、ゆがんだ口からとがった歯が見えた。じゅうたんの上にしゃがんでいたけど、今にもとびかかりそうだ。
丈一さんはねむそうな白い目でつるぎ君を見下ろした。
「おまえの目的がその売女だとは、腰くだけだ。狙いはもっと高尚なところにあるのかと思った。この淫売に、それだけのリスクを冒す価値があるとは到底思えないんだがな、えーと」
「静江さんを侮辱するな」
かみつくみたいにつるぎ君はさけんだけど、丈一さんはうでを組んで考え事をしているみたいだった。
ぱっと顔を上げた。
「あ、羅門剣か。すばらしく強そうな名前だねえ、羅門剣君。ご実家の教育方針が推察されるってもんだ」
「あんたのはったりなんて通じねえし、樋口」
つるぎ君は口のはしっこをつり上げた。でも、笑ってるようには見えなかった。
「自慢のチャカで、今ここで、オレにおとしまえ付けるってか? けど樋口、そうなるとあんたの親族がやっべーぞ。オレだって細工してきた……これははったりじゃねえ。あんたのお気に入りの人妻とかわいい姪っ子はどうなんのかな」
丈一さんはぴくりとも動かない。
つるぎ君は顔じゅうがてかてかしてきて、あごからたれる汗を手でふいた。
「静江さん、こいつ、外じゃ狂犬だなんだ呼ばれてるらしっけど、実家じゃずいぶんキャラ違うんすよ。特に弟のヨメの前じゃ、かわいいワンコで、尻尾振って腹向けてごろごろのたうちまわってるんすよ。その女のためだったら、こいつ、なんでもするんですよ。オレ、調べてとっくに全部知ってるんすよ、でも、静江さんが、もしこいつのこと好きだったらショック受けるかと思って黙ってたんすよ」
まつ毛の先までかちかちにこおりついていたから、あたしはとても返事なんてできなかった。
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