第1章

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 つるぎ君だって、ちっともあたしなんて見てない。じゅうたんに手をついて、体をやっと支えている。  「オレには仲間がいる。そいつらそろいもそろって樋口、あんたのことが大嫌いだ。オレにもし何かあったら、みんな喜んであんたの大事な奥様につっこんで引き裂くし、三歳児だって容赦しねえし」  丈一さんはやっぱりねむそうな顔だ。うでを組んで立ったまま、じっと見下ろした。  「まあ正攻法、けっこう古典的だな。それで、俺と対等に渡りあってるつもりってのが、いかにも若い」  つるぎ君の声が高くなった。  「対等じゃねえし! オレの勝ちだし!」  丈一さんは上着のむねに右手をつっこんだ。  つるぎ君がとび上がるみたいにぎくりとする。  でも出てきたのはライターだった。新しいたばこをくわえて、ゆっくり火をつけた。  「そう、対等じゃない、俺とおまえとじゃ決定的に違うところがある。それがどこかわかるか、剣」  汗がだくだく流れて、つるぎ君の顔はだいだい色にてらてらして、かみの毛はすっかりとげとげだ。  「はあ? こんなとこでなぞなぞしねえし。実家やばくされたくなかったら、帰れよ、樋口、出てけ! 早く」  声はもう悲鳴だった。  丈一さんは大きくたばこのけむりを吐いた。  「聞く姿勢のない者に、ましてや理解力もなかろう者に説明するのもくたびれるけどさ、教えてやろう。違いは、時制だよ」  つるぎ君はすっかりくたびれちゃったみたい。はあはあかたで息をつき、声も小さくきれぎれになった。  「……意味、わかんねえし……」  「わかんねえ? ごめんごめん、俺大学出てるもんで、ばかのことあんまくわしくないんだよね」  丈一さんはくつくつ笑いだした。  「あのね、時制っつうのは、おまえは未来で俺は過去、つまり、おまえはまだ何もやってねえが、俺はもうとっくにやっちゃったってことだ」  「はあ……」  つるぎ君の声はため息にしか聞こえない。  丈一さんの笑いはすごかった。口が耳までさけてるみたいに、あたしには見えた。  「おまえの頼みのお友だち、さっき『そろいもそろって』っていったのは正真正銘のはったりで、たった一人だ。無職・井上彰夫・19歳は、かわいそうに、もう指一本動かせねえ」  「アキオを……どうしたんだ」  つるぎ君の一生けん命な声は消えそうだ。
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