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丈一さんはもう一度、上着のむねに右手をつっこんだ。
「今俺、すごくためになる教訓言ったよ。心のノートにメモしときなさいよ。ま、これも時制の問題だな。おまえに未来があったら、の話だ」
さっき、なんでつるぎ君がぎくりとしたのかがわかった。
上着のむねから出てきたのは、ライターでもたばこでもなくて、ぼんやり灰色に光った。
「初めて見るか? えりす」
丈一さんはうでを上げた。
「ならいい機会だ。覚えといて損はない、使い方を教えてやる」
つるぎ君は見てないし、聞いてない。じゅうたんに手をついて、写しんにかぶさったままだ。
丈一さんはポーズをとって指を動かした。なんだかドラマに出てくる人みたい。
「ここを一回かちっとしてから、こっちをかちっと半分引く。後は、全部かちっとすればいい。ほら、もっかいやるぞ」
かちっ、かちっ、か
気がついたときには、だいだい色のへやにはつるぎ君も丈一さんもいなかった。写しんもなかった。そうじ機がひっくり返っていて、たばこの吸いがらが二本落ちていた。
ゆめだったのかもって思ったけど、そのあとこぞうのつるぎ君を、あたしは一度も見ていない。
たまゑさんのお客さんが上とうなおかしをくれたので、たまゑさんはたいき所にいる女の子みんなに分けてくれた。なみだの形をした和がしだ。しっとりしたくりのあんこの中に、大きいくりがまるまる一個入っている。
おいしいねおいしいねっていいながら、みんなで食べてお茶を飲んだ。
眞知子さんが、
「あの人、たまゑにすっごくマジだよね、目を見たらわかる」
っていったら、たまゑさんが、
「よしてよあんなじじい、冗談じゃない」
っていって、みんな笑った。
でもすぐにぱたりとだまった。
番頭さんが入ってきたからだ。番頭さんはみんなをじろっと見て、
「静江、明日19時にヤマダ様」
ってあたしにいって、かべのボードに書きこんで、
「おまえら、菓子ばーっかり食いやがって、ぶくぶく太るぞ」
っていってからたいき所を出ていった。
そのせ中に向かって、みんないっせいに舌や中指をつき出した。
小百合さんがひそひそ声であたしに、
「静江ちゃん、ヤマダ様ってあれでしょ? むらさきの君」
って聞いたから、あたしは指をくちびるにあてて、
「そういえばいっつもむらさきのレインコートきてますね。あ、ああいう人を雨男っていうの?」
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