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第3章 猫を抱く女
奈々子との妙な友達付き合いが始まった。
妙な、と言うのは、いつも彼女が仕掛けてきて僕がそれに従うことになるからだ。奈々子は気が向くとレンタル・ショップに顔を出し、棚から選んできたDVDを差し出して今夜一緒にこれを見ようと提案する。僕は時おりその映画とかドラマはいやだと宣言する。
興味を引き起こされない作品は幾ら彼女の誘いだとはいえ、無理してまで見たくないからだ。すると、彼女はぷいと横を向いてしまう。
機嫌がいい日には彼女は棚に戻って他のDVDを探して来るし、ご機嫌が斜めの日にはそのまま店を立ち去る。いかにも僕がひどい仕打ちをしたみたいな打ちひしがれた様子を肩のあたりに漂わせながら。
僕達は並んで座って映画やドラマを見るだけだ。最初はビールとつまみだったのが、最近はインスタント麺だとかコンビニのお握りとかを一緒に食べるようになった。進歩と言えば進歩だろうか。
彼女は一緒に見たDVDに対する僕の感想を訊きたがる。でも、僕の言ったことが彼女の意見に合わないと猛烈に反論してくる。
「敦君って女の気持ちがまったくわかっていないんじゃないの」というのが彼女の定番の台詞だ。そんなふうに言われて僕がくさると彼女は少し優しくなるし、僕が言い返すといとも嬉しそうに瞳を煌かせ、更に応戦する。
時おり僕は奈々子がわざと喧嘩をしかけている気がする。僕の言葉にうなずいていたくせに、口を開くと僕の感想を糾弾するような意見を吐いて不機嫌な顔を装う。どこに彼女の本心があるかつかめない。彼女はどこか演技しているような気がしないでもない。
そして僕達の会話は映画やドラマの世界のことだけで、彼女は決して自分を語ろうとはしなかった。
或る朝、僕が出勤しようとドアを開けると、隣の奈々子の部屋のドアが開いた。出て来たのは背広を着た男だ。ドアの影から白い手がひらひらと揺れているのが見えた。奈々子がさようならの合図を送っているらしく、男は足早に立ち去った。
一瞬後を追いかけようかと思ったが、金縛りに遭ったごとく足がすくんだ。
斜め後ろからちらりと眺めただけだけれど、男は四十代ぐらいで陽に灼けた精悍な顔をしていた。大人の男だ。一緒にDVDを見終えた僕が家に戻る時には、奈々子は絶対玄関に見送りになんて出て来ない。
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