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第1章 未知との遭遇
その七月末の晩はうだるように暑かった。
今夜も熱帯夜か、とうんざりしながら、僕はスーパーのビニール袋を両手にぶら下げ、夕闇の中を冷房の効いた家へと急いだ。僕の住んでいるマンションは高台に立っており、ここからは結構キツイ坂道を登ることになる。
片方の袋には缶ビールが半ダースと緑茶のボトル、もう片方には烏龍茶のボトル、牛乳のパック、焼きそばが四食分、それに大きなキャベツと白いプラスチック容器に入った豚の細切れ。
歩いているだけで、まるでサウナの中にいるかのように全身から汗がにじみ出てきた。たまには具がたっぷり入った焼きソバでも作ろう、と殊勝な心を起こし、駅の反対側にあるスーパーまで足を伸ばしたのが失敗だった。
せっかくだから、と重たい水モノを買い込んだのも、迂闊だった。スーパーで買ったところで幾らの節約になったと言うのだろう。近くのコンビニでビールと弁当でも買っていれば、今頃はエアコンが涼しい部屋で夕食にありついていられたはずだ。
額から湧き出た汗がしたたり落ちて眼に入った。目薬を差したみたいにやたらと眼が沁みて、ビニール袋を両方とも道の片隅に置き、Tシャツの袖で顔の汗をぬぐう。
その瞬間、己の汗の匂いに混じり、ふと微かな夏の香りがした。何の匂いか判然としないのだけれど、胸をくすぐるような懐かしさを感じさせる。
あたりを見廻すと、すでに公園まで来ていた。街のど真ん中にある狭い公園だから、樹木が鬱蒼と茂っているわけではないが、背の高い樹が敷地を取り囲むように植えられている。夏の香りは、この名前も知らない樹の合間から漂ってきたようだった。
夜店で醤油を塗ったとうもろこしを焼く匂い、いや、ちまちました燃え方をする線香花火の匂いだったろうか? 憶えているはずのものを思い出せず、どうも気になる。
僕は道に突っ立ったまま、眼を瞑って鼻に神経を集中し、曖昧な記憶の底を探った。
とたんに、これは田舎の祖母の家で嗅いだ蚊取り線香の匂いだったことを思い出した。小学校に入る前は、夏になると祖母の家によく泊まりで遊びに行ったものだ。広い庭の裏山では蝉がうるさいほど元気に鳴いており、蚊もたくさんいた。
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