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第2章
彼女は僕の顔を見ると、とっさに顔を曇らせた。それは顔に見覚えがあるという彼女なりのサインのようだったけれど、それだったら普通はその偶然に驚くか喜ぶかするものじゃないだろうか。
「何の御用ですか?」
僕が少しむっとした声を出すと、彼女は微笑した。それはこちらの機嫌を取りつくろいたいからではなく、僕のぶっきら棒な態度に満足したという意味の笑顔らしい。
「あの、ちょっと手をお借りできますか?」
彼女が一応丁寧な口をきいたので、僕も少し丁重な受け答えをした。
「どういうご用件でしょうか?」
彼女はあの大きな瞳でこちらを舐めるようにじっくりと眺めると、口を開いた。
「この前レンタル・ショップにいた店員さんでしょ? DVDプレーヤーがうまく繋がらないんだけれど、手伝ってくれる?」
一転してまるで友達みたいな口のきき方をされたのには閉口したが、彼女の綺麗な瞳に撫で廻されていると、いやだとは言えなくなる。それに彼女の唇に浮かんでいる妖艶な微笑は、断れるはずがない、とすでに勝利宣言をしている。
もう一度逢いたいと思っていた子が向こうから飛び込んで来たというのは偶然中の偶然に違いない。確率は十万分の一ぐらいだろうか。
「いいですけど。・・で、プレーヤーはどこにあるんですか?」
僕が前向きに応じると、彼女は背を向けて歩きはじめようとし、それから思い出したように向き直って宣言した。
「私、隣に住んでいる浅生奈々子。」
そう。それは自己紹介と言うより宣言だった。彼女は僕の名も尋ねずに、再び背を向けてすたすたと歩き出したのだから。僕は慌ててスニーカーを引っ掛けて彼女の後に従った。
そう言えば数週間ほど前に隣が引っ越して来たらしいことを思い出す。パートに出る時に隣の部屋のドアが開いており、運送屋のトラックがマンションの前に止まっていた。
でも、この都心ではマンションの隣人が誰かなんて皆気にかけない。わずらわしい近所付き合いなどゴメンこうむりたいからだ。
奈々子は僕が後について来るのか否かも確認せずに、さっさと自分の部屋のドアを開けて姿を消した。
彼女に続いて隣室に入ってみると、そこはダイニングもリビングも僕の部屋より遥かに大きな間取りだった。家具は少なくて、まるでホテルの部屋のようにがらんとしている。
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