第3章 猫を抱く女

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「いいわ。じゃ、猫の餌とかキッチンのカウンターに用意しておくから、明日の晩から毎日様子見てね。約束よ。敦君のポストにうちの鍵入れておくからさ」  彼女は僕の腕から猫を引き取るとくるりと背を向けた。僕がドアを閉めようとすると、彼女は何かを思い出したように振り返った。 「それと、私の部屋とか、絶対のぞかないでね」  それは彼女にしてはいやにしおらしい言い方で、命令と言うより嘆願に近く、彼女の声音は珍しく緊張を滲ませていた。 「大丈夫だよ。キッチンにしか行かないから」  僕は彼女を安心させたくて精一杯の優しい声を出し、彼女は口許をちょっと緩ませると歩き去った。  あの顔なんだ、とドアを閉めながら僕は思う。あの、怯えた少女が少しはにかむみたいな顔が、僕の脳裏にまとわりついている。それは彼女が見せる様々な表情の中に、時おりプログラミングを間違えたみたいな感じで混じる。  怒った顔とか得意そうな笑顔とかは彼女を綺麗に見せるだけなのに、あのちょっと控えめな微笑は、細い指先でちょっぴり引っ掻かれたみたいに僕の胸を痛ませる。どうしてかわからないけれど。  難しいことを考えるのはやめよう、と思う。奈々子はどこの誰とも知れないやつと旅行に出かけるそうで、それは先日見かけた男かもしれない。綺麗な子だから、彼女に男がいたって不思議でもなんでもなかった。  僕は溜息をついて、シャツに付着した白い猫の毛を手で払い落とした。どうしてあの丸々と太った猫の名前がミミなのか、訊いておくべきだったと後悔した。  翌日、僕が晩に仕事を終えてマンションに戻ると、メールボックスには封筒に入れた鍵が残されていた。ミミに飲ませる水の量だとか、どのキャットフードをいつ与えて欲しいかとか、細かい指示を書いたメモが添えられている。  言葉は悪いくせに案外きちんとした字を書くんだな、と正直言って感心した。習字を少しかじったみたいな女らしい文字だ。  預けられた鍵で彼女の部屋のドアを開けると、例の猫が飛び出して来てうなった。 「おい、そう怒るなよ。餌をやりに来てやったんだから」  指示された通り鰹のキャットフードを与え、飲み水も新しくしてやった。猫が美味しそうに餌を食べ始めたので、ミミちゃん、と呼びかけながら首を擽ってやると、再びうなられた。手を引っ込めながら、思わず呟く。
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