第3章 猫を抱く女

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 書きたいテーマが決まって文章をひねり出す時が僕にとって一番幸せな時間だ。現実をしばし脇に寄せて、自分の創造した世界に浸り切ることができる。普通だったら口に出せない言葉だって、主人公に吐かせることができる。  僕はとっても口下手なんだ。いつもそれで損をしている。でも、小説の中では自由に喋れる。タガがはずれたみたいに、嘆いたり悲しんだり悪態をついたり、それに優しい言葉だってかけられる。素直になれる。  携帯のタイマーが鳴ったので、我に返った。夜勤に出かける時間だ。その前に隣のミミに餌をやらなければいけない。  奈々子の部屋のドアを開けると、いつもは勇んで顔を出すミミの姿が見えなかった。  キッチンで指定の鶏肉のキャットフードの缶を開けたが、その気配を心待ちにしているはずのミミが相変わらず姿を見せない。水入れに今日も牛乳を注いでやった。  朝は水を、夜はちょっと贅沢に牛乳をやることにした。昨晩試しに牛乳をやったらミミが喜んで威勢良く飲んだからだ。それで少し仲良くなれたと思っていたのに、夕飯に出て来ないとはいったいどうしたことだろう。  ダイニングやリビングにも姿が見えなかったので、僕は意を決してベッドルームへ向かった。覗いてはいけないと言われていたけれど、ミミを探さなくちゃいけないのだから。  はたしてミミは大きなベッドの横に敷いてある小さな布団の上で丸くなっていた。あたりを見廻すと、この部屋も綺麗に整頓されていて、まるでホテルの部屋みたいだ。ぬいぐるみとか人形とか、女の子らしさを感じさせる物が何一つない。  カーテンはベージュの無地で、褐色の木でできた立派なベッドにもやはりベージュのカバーが掛かっており、ゴールドのクッションが三つほど並んでいた。  ふと、彼女のクローゼットに眼が行った。私の部屋とか絶対にのぞかないでね、という彼女の言葉が再び耳の底で響く。 「君がわざわざそんなことを言うからいけないんだよ」  僕は独り言を吐くと、クローゼットを開けた。そして、中に並んでいる服をしばらく唖然として眺めた。  だって、そこにはやたらと華美な服が並んでいたからだ。
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