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時おり自分の頬を引っ叩いて眼を醒まさせたくなるのはどうしたことだろう。いったい、僕は何を見失ってしまったというのか。
携帯電話が鳴り、由香里からだろうかと応答すると、電話の向こうで不機嫌な声がした。
「敦君、どうせ暇なんでしょう? 迎えに来てよね」
奈々子だった。いつ彼女に携帯の番号を教えただろうかと考えて、あの犬猫病院の帰りに、ミミに何か異変があったら電話してくれ、とつい番号を控えさせたことを思い出した。
二週間ぶりぐらいで聞く彼女の声にちょっと心を躍らせている自分に気づく。しかし、これ以上あの女に振り廻されたくはない。僕には僕の生活があるのだから。
いや、振り廻されると困るほどの生活なんて、僕にあるのか?
「何だよ。突然電話なんかしてきてさ」
「だから言ったでしょう? 迎えに来てって」
「・・いったいどこにいるんだ?」
「六本木よ。住所を言うから、メモして。それと、サングラスかけて来てね。黒いやつ」
どうして僕が彼女を迎えに行く必要があるのか、といぶかりながらも結局その住所とやらをメモした。考える時間を稼ぐために、六本木まで地下鉄で二十分はかかるし・・、と口ごもると、奈々子は金は自分が出すからタクシーで来てくれと付け加えた。
何だかよくわからない話だが、着いたら連絡すると約束させられて電話を終えたのだった。
まったく女に命令されて真夜中に、はいそうですか、と出かけていく自分はばかじゃないか? そう思いながらも急いで仕度をした。
あの子はちょっと変わったところはあるけれど、必要もない時にこちらを振り廻すほどでもない。ミミの時もそうだったけれど、何か切羽詰った事情でもあるのかもしれない。
いや、本当はそんなことはどうでも良かった。声を聴いたとたんに、無性に彼女の顔を見たくなった。逢わずには、いられない。
奈々子にもらった住所をタクシーの運転手に伝えると、下ろされたのは六本木の交差点より数ブロック裏の閑静な一角で、瀟洒な白いビルの前だった。レジデント用には見えないけれど、オフィスとか店のサインが出ているわけでもない。
携帯で奈々子に連絡したところ、しばらくしてから彼女が応答した。白い建物の前にいる、と伝えると、今行くから、と彼女は一方的に短く言って電話を切った。いったいこっちを何だと思っているんだ?
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