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その晩、僕は彼女が探していたテレビドラマの第一巻から第四巻を借りて見た。なんとなく、彼女に再び出逢うためには、このドラマを見ておかなくてはいけないような気がしたのだ。
テレビドラマの一時間はコマーシャルを除くと正味四十五分ほどだから、第一話から第四巻に収められている第八話までで六時間だ。二時までのパートの就業時間を終えて家に帰ってから、便所に行く時間も惜しんでぶっ続けに見て、朝の八時半には第八話までを見終えた。
そのドラマはいわゆる青春物で、大人になりかけた大学四年生達の友情や恋、バイトや就職を描いている。途中で投げ出さないで徹夜してでも全部見終えたのは、陳腐と言えば陳腐なストーリーだが、それなりに面白かったからだ。
懐かしい、という気持ちもある。あの頃の、学生時代の最後を飾る今を享受しないでどうする、という刹那的な盛り上がりやら、そのうちなんとかなるさ、というお気楽な毎日を思い出すと、少し胸が熱くなる。
ドラマに出て来る学生達は皆それなりに就職とか将来を真面目に考えているという設定だったが、僕達の仲間はもっと夢を見ていた。いや、言葉を変えれば、もっといい加減だった。
商学部に入ったのに、文学部連中のサークルに顔を出し、投稿した短編小説がたまたま学内誌に掲載されたこともあり、ものを書くことが病みつきになった。
もともと内弁慶な僕は、面倒臭い友達付き合いに縛られるよりも、自分の部屋でワープロと向かい合っている方が楽しいぐらいだ。生身の人間には気恥ずかしくて熱い言葉なんて吐けないくせに、文字にすると自分を解放できる気がする。自分自身をうまく脚色してさらけ出せる。
就職活動をしなかったわけではないが、小説を書く時間を確保したくなり、残業が常態らしい普通のサラリーマンになる気は起きなかった。
親父は群馬で個人病院を開業しており、地元の医大を卒業した優秀な兄貴が親父の病院を継いでくれることになっている。次男の僕はそのお陰で、親にへたな期待もされずにすんでいるのだった。
作家なんかで食えると思っているのか、と親父に説教されたけれど、生活費はバイトをやって自分で稼ぐからと訴えると、両親はどうやらしばらく様子を見ようとあきらめてくれたらしかった。
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