1.恋

3/11
前へ
/216ページ
次へ
   暗い廊下を歩き通用口まで来た紀花は、外を見て茫然とした。先ほどより雨足がかなり強まっている。  バス停まではわずかだが、待ち時間を考えるとずぶ濡れになる。雨の湿気でゆるいウェーブができてきた長い髪を、紀花は手で束ねた。 ――雨の日はうっとうしい……。  傘もなく、ただ外を眺めていた紀花の背中側から、突然声がした。 「紀花」  その声に暗闇で名前を呼ばれた紀花は、声も出せずに、ただ自分の心臓のドクっとした鼓動が全身を揺らした。紀花はゆっくりと振り向いた。 ――立川先生……。  声の主は数学教師の立川史哉だった。  いつもの白シャツに黒いスキニーパンツ。片手をポケットに入れ、もう片方の手で長めの髪をかき上げる。無表情でめったに生徒に声をかけることのない寡黙な立川は、じっと紀花の目を見つめて立っていた。 「どうした? 傘、ないのか?」  珍しく声をかけてきた立川に、紀花はただ首を縦に振った。紅潮しているだろう耳たぶは、この長い髪の毛が隠しているはずだ。 「置き傘貸してやるからこいよ」  
/216ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加