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【昔話わんだーらんど】
ほどなくして青木が戻ってきた。
青木「いま注文してきた。少し時間かかるかもしれんけど我慢しとってね」
佐々木「いえ、ありがとうございます」
理香「ところで青木さん、この家って最初から演奏会ありきで設計したんですか?」
理香が青木に尋ねた。青木が元教師だからかきちんと敬語を使っている。「先生」には敵わないと思っているようだ。
青木「いや、そこまでは考えとらんやったね。採光性と断熱性を重視した結果こげんなったとですよ」
瑠奈「といいますと?」
青木「前の家は窓が少なかったけん暗かったんよ。昼でも明かりが必要でね。断熱材も少ししか入っとらんやったけん冬は寒かったっちゃん」
佐々木「たしかに冬は昼間も暖房が欠かせないぐらい底冷えしてましたもんね」
青木「そうやろう?それで建て替えるときにできるだけ外光が入るごとして断熱材も多めに入れたんです。そしたら自然と演奏会向きの家になった。偶然の産物やね」
佐々木「思い出した!『雑餉に何かひとつ新しい風を吹き込みたい』と先生から相談を受けて“先生のお宅で演奏会をやるのはどうでしょうか?”って私が提案したのがそもそものきっかけでしたね」
青木「そうやったそうやった。人には『そんなの絶対流行りませんよ』って言われたけどね」
この発言に麻耶と梨香が驚いた。
麻耶「えっ、流行らない!?」
理香「どうして!?」
青木「というのも雑餉は大阪でいうミナミと同じかそれ以上の“下町”なんですよ。その証拠に俺らぐらいの世代の女子はみんな何かしら楽器を習ったもんやけど、雑餉育ちで『子どものころ楽器を習ってました』って人には未だかつて出会ったことがない(笑)」
麻耶「へ、へえ…」
青木「それどころか俺がガキの頃はしょっちゅう酔っ払いの音痴な歌声があちこちからしよった。雑餉は昔からそげな街やったとですたい。流行らんっていうのは『そんな異質な街に洗練された都会の文化が根付くわけないじゃないですか』って意味なんよね」
里穂「でも青木さんは理知的というか文化人って感じですけど…?」
里穂が首を傾げた。
青木「いやいや、それは俺が文化人寄りなだけ(笑) “むぎの”の店主なんかすごいよ。垢抜けないというか…とにかく『雑餉』を見事に体現しとうけん。あの人こそ典型的な雑餉人やね」
佐々木「分かります!キャラが強烈なんですよね」
芽琉「へえ…」
そのとき、玄関から声がした。
?『ごめーん、手が離せんけん門ば開けちゃらん?』
青木「噂をすればなんとやら…。来んしゃったごたあね」
青木は立ち上がり、財布を持って玄関へと向かった。
青木『あっちゃん、ありがとうございます』
あっちゃん『寛治ちゃん、なんか今あんたの教え子が来とっちゃろ?苛めとらんね?』
玄関から声が聞こえる。“むぎの”の店主は「あっちゃん」と呼ばれているらしい。
青木『苛めるわけなかろうもん!ちょっと話しばしよっただけたい』
あっちゃん『ならよかけど。あいにく手が2つしかついとらんけんお盆ごと渡してよか?』
青木『はいはい』
このやり取りを聞いていた佐々木が皆に声をかけた。
佐々木「ねえ、私たちも行こっか」
里穂「そうですね」
6人は玄関に向かった。
青木の向こう側にエプロン姿の女性ーーーあっちゃんーーーが立っている。青木より5歳は上だろうか。年齢を感じさせない不思議な雰囲気があった。
佐々木「あっちゃん、ご無沙汰してます」
まず顔なじみの佐々木が挨拶する。
あっちゃん「あら、春香ちゃんやない。後ろにおるとは子分ね?」
あっちゃんはすぐ、佐々木の背後に控える虹色パレットのメンバー(以下“虹色メンバー”)に気づいた。
佐々木「あはは…。子分というか昔の教え子とその仲間ですよ」
紹介された5人は「どうも」という感じで頭を下げた。
あっちゃん「分かった!あんたアレやろ、寛治ちゃんと組んで悪巧みしよっちゃろう!?」
佐々木「滅相もない!そんなことしたらあっちゃんになんと言われるか…」
佐々木がそう言うとあっちゃんはニヤリと笑った。
青木「実はくさ、今度からこの子たちも不定期ばってん演奏会に来てくれるごとなったとよ。あっちゃんも暇があったら聴きに来んですか?」
あっちゃん「そら行ってもよかばってん、私はバイオリンやらいっちょん分からんっちゃけん行ったっちゃつまらんめえもん」
あっちゃんは早口でまくし立てた。
『そりゃあ行ってもいいけど、私はバイオリンなんて全く分からないんだから(私が)行っても面白くないんじゃないの?』
という意味である。
青木「ただボーッと聴くだけでよかとよ。感動するけんいっぺん聴いてんない!」
佐々木「そうそう、本当にすごいんですから!聴かなきゃ人生の3分の2は損しますよ!」
青木と佐々木がここぞとばかりに力説する。
あっちゃん「ああもうせからしかねえ!分かった分かった、そげん言うなら聴いちゃる!! 次はいつあるとね?」
青木「来週の水曜日。たしか店は休みやったろ?」
あっちゃん「休みやね」
佐々木「是非とも聴きにいらして下さい!退屈させませんから」
あっちゃん「うん、分かった。差し入れ持って行くけん練習頑張りんしゃいよ」
佐々木「いいんですか!? ありがとうございます!」
佐々木は頭を下げた。
あっちゃん「よかよか。そんときは子分ちゃんたちも出るとね?」
佐々木「いえ、今日は演奏会への参加が決まっただけでまだ予定は未定です。学校や部活もあるでしょうし、たぶん3ヶ月に1回ぐらいのペースでの参加になるんじゃないかと」
あっちゃん「そうやったと?あんたたちも春香ちゃんに負けんごと頑張りいね。応援しちゃあけんくさ」
麻耶「はい、ありがとうございます!」
あっちゃんは虹色メンバーにも声をかけ、麻耶が代表して礼を言った。
あっちゃん「そろそろ戻ろうかいな。長々としゃべくってごめんね」
青木「いえいえ、お好み焼きありがとうございました。これ、お金です」
青木が代金をあっちゃんに渡した。
あっちゃん「うん、寛治ちゃんもたまには店に寄りんしゃいよ」
青木「ありがとうございます」
あっちゃん「はいはい、ならね」
あっちゃんはまた店に戻っていった。
瑠奈「……すごい人でしたね」
青木「やろ?あっちゃんは昔からあげんあるとですよ。俺より年上やけど”年長者”って感じがあまりせんっちゃん」
麻耶「バリバリの博多弁でしたね。ネイティブの私でも聞き取れませんでした」
青木「いや、あれはむしろ雑餉弁やね」
一同はお好み焼きを持ってリビングに戻ってきた。2つのお盆に分けて7つ皿が載っており、割り箸も人数分つけてあった。
芽琉「あれ?青木さん。マヨネーズがかかってないように見えるんですけど昔からそうなんですか?」
芽琉が言った。
理香「あっ、本当だ!」
直径30cmほどの丸皿にようやく収まるかどうかという大きさのお好み焼きはソースが塗られているため色が黒く、かすかに焦げたソースの香りがしていた。
定番のマヨネーズはもちろん、かつお節や青海苔すらかかっていない。
青木「そうなんよ。あっちゃんが言うには『昭和27年の開店以来マヨネーズやら一度も使うたことない』とげな」
里穂「昭和27年!? そんな昔からあるんですね!」
青木「そう。(昭和)34年生まれの俺より歴史が長い」
瑠奈「へえ…」
青木「さてと、食いましょうか」
佐々木「そうですね。ーーーでは」
全員「いただきます」
お好み焼きを一口食べたとたん、焦げた甘酸っぱいソースの香りが口いっぱいに広がった。
里穂「こ…これは!」
麻耶「外はカリカリ、中はふんわり。たくさんのキャベツの自然な甘みと甘酸っぱいソースの香りがいっそう食欲を引き立てますね」
芽琉「マヨネーズなしでここまで美味しいなんてすごい!“お好み焼きにはソースとマヨネーズ”っていう概念が覆りましたよ!!」
青木「気に入ってもらえたようで良かった。これが昔ながらの”雑餉の味”なんよね」
瑠奈「なんだろう、往時の雑餉隈の街が目に浮かぶような気がします」
理香「うんうん、ルナ姉の言ってることが分かるなあ…」
ーーー虹色メンバーは「むぎの」のお好み焼きを通して古きよき時代の雑餉隈に思いを馳せたのだった。
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