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「泣くのか、カコ」
迷って、躊躇ってなお、香子はコモリの手にすがる。
この手がなければ、きっと……自分は前に進めない。
好きか嫌いか分からないなんて口にしながら――答えはとっくに出ていたとしても。
泣くな、という言葉は、遠い記憶の柔らかな声音に、ひどく似ていた。
せり上がった涙を、どうにか押しとどめた後、恐る恐るまぶたを開けた。白で覆われた視界。着物の合わせに染みがないかを確かめた。
軽く、コモリが肩を押す。両目は少し高い位置の虚空に向いていた。
「店主、客が来たぞ」
「……あっそう」
「千客万来。まったく――良いことだ」
にやりと笑うコモリを、ちらりと一瞥してから香子は薄くなったスケッチブックから、扉の絵を外した。
リュックサックから、新しい一冊を取りだして、表表紙の裏に、張り付ける。
どんな縁が舞い込むか。
未來は誰もが霧の中。
途絶えたよすがを探すため、うせもの屋は、今日も今日とて開店する。
とん、と鉛筆で紙を叩く小さい音が、ベンチの上に残された。
〈了〉
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