第1章

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 「で、君は考えた。この、善意の天然ボケとこれ以上いっしょにいたら、これからもこういうことが繰り返され、ちくちく蝕まれ続けるって。人は、不幸のどん底にいるときよりも、大きい幸せの中のちっちゃな瑕疵に、不安を多く感じるものだ。君は手にした幸せに耐えきれなくなっちゃった。自尊心と劣等感、罪の意識や相手への思いやりとかがうじゃうじゃわいて、体じゅうに巻きついてたまんなくなっちゃった」  あいかわらず、人の心ならなんでもわかるって思いこんでる。  でも、あたしは「鴎さん、さいしょのさいしょがすごくまちがってるよ」って心の中でいう。  もちろん、そんなこといったら鴎さんはきっと悲しい気持ちになるだろうから、声に出してはいわない。  頭の中の白いきりはもうとてもこくて、横からちょんとつっつかれたら、こっくん、ってねてしまいそうだ。  あたしはただにこにこしながら、に合わないスーツの人を見上げる。  鴎さんは立ちどまり、ポケットからざらざらクスリのつぶを出して、一口でぜんぶ食べちゃう。ばりぼりかんで、今度は茶色の小びんを出してごくごく中身をぜんぶ飲む。  びんから口をはなして、ふう、と一息ついたときには、  「そうすれば、これ以上悲しくならないって思ったんだね。それってあれでしょ、『彼はいつまでもあたしの胸の中で、きれいなまま永遠に生き続けるのよ』って、あれ。そうだ、『ママは、おまえを守るためにお星様になったんだよ』的な……ひひひ」  砂色の目はどろどろとろけて、  「でもソーニャ、そんなら、僕にはどうしてもわからない。だって、君は確かに僕に言ってくれたよね。『ぜったいに死んだらだめだよ』って。『自さつはいけないことだよ、死んだらだめなんだよ』って」  頭も体も、ぐらぐらになっている。  「きみのそのことばを、おれは毎晩考えてきた。どうにかこうにか、まだここに存在してるのもそのせいなんだと思う……きみは、『だれのせいでもないの。この世界はね、自分が思ったことと、したことでできてるんだから』っていった、絶対いったよね。おれ一言一く間違えずに覚えてるっしょ? だっておれしんどうだもんかしこいんだもん、こんなにかしこくてきれいな子は見たことないっていわれたもん、いやいや、そうかそうか、わかったぞ」  首を大きく横にふる。きらっと光ってめがねが落っこちたのに、ひろいもしない。
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