『国体論(白井聡著)』

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白井聡が著した国体論をテキストとして、読んだ感想と私見を以下に述べております. 《国体論:1章の1》 ちょっと引用します. (P16)・・・問題は改憲問題にとどまらない.安倍晋三を首班とする自民党政権およびその周辺は、「戦後レジームからの脱却」を唱え、戦後民主主義体制全般に対する憎悪にも似た感情を露にしてきた・・・ 引用を終わります. テレビや新聞とかで「戦後レジーム」と云う言葉をよく聞くようになりましたが、この言葉を普通の人々はどのように理解しているのでしょうか. 「戦後レジーム」とは何のことであるかと云うと、「日本政府には権威も権力も無く、実質的に日本国民を支配しているのは在日米軍であるが、それを誤魔化すために国民統合の象徴と云う概念を急きょ考え出して、支配者としての米軍の存在を不可視化している国家体制」のことであると、僕は思っています. そうならば、「戦後レジームからの脱却」と云うことは「米軍の実質的支配を終了させて、国民主権の共和制」に移行することであると思います.まあ、そう云う主張であれば、容認できますけどね. しかし現政権が「戦後レジームからの脱却」と言っているのは、単に国民の目をそらす為に唱えているだけで、内実は「米軍の為に自衛隊を自衛軍に改変して、米軍と一緒に海外で行動ができるようにして、米国の兵器産業と日本の防衛企業に税金を湯水の如く注ぎ込める」ようにする、それだけのことだと思います. 現政権のやろうとしている事を「戦後レジームからの脱却」と表現しないで、「米軍に依存する国家体制の強化」とマスメディアが表現すれば、多くの人がスッキリ理解できるようになると思うんですけどねぇ・・・ 《国体論:1章の2、1章の3》 ちょっと引用します. (P38)・・・おそらくわれわれは、世界史上でも稀な、途轍もなく奇妙な敗戦、すなわち、どのような敗北を喫しているのか敗者自身が自覚できないことによってそこから脱出できなくなるような異常な敗北を経験しているのであり、そのことが表面化してきたのである.このような状況下で、「お言葉」は発せられた.敗戦国で「権威ある傀儡」の地位にとどまらざるを得なかった父(昭和天皇)の代に始まった象徴天皇制を、烈しい祈りによって再賦活した今上天皇は、時勢に適合しなくなったその根本構造を乗り越えるために何が必要なのかを国民に考えるように呼び掛けた.もしもこれに誰も応えることができないのであれば、天皇制は終わるだろう・・・ 引用を終わります. 現政権は、全然応える気がないようです.新元号を発表するぐらいのことでお茶を濁したいのでしょう. 尤も、僕的には、共和制へ早く移行したらいいと思っているんですけどねぇ・・・ 《国体論:2章の1》 ちょっと引用します. (P44)・・・ソヴィエト連邦という日米にとっての共通の敵がある限り、アメリカはアジアにおける最重要の同盟者である日本を庇護する具体的な理由があり、したがって日本が対米従属を国家方針の基本とすることにもそれなりの合理性があった.この構造に守られて、日本は対米従属状態にありながら、経済の面ではアメリカにとって脅威となるまでに強大化した.だが、ソ連を首領とする社会主義圏の崩壊は、事情を一変させた.この変化によって、アメリカが日本を庇護しなければならない動機は、基本的に消滅した・・・要するに、アメリカの対日姿勢の基礎が「庇護」から「収奪」へと転換したということである・・・ 引用を終わります. それにも拘らず、現政権は国民の意志を無視した行動を平気でとります. まったくのアメリカの言い成りです. 基地のことでも再稼働のことでも国民のことなど考えていないのでしょう. それでも、かなりの数の国民がそんな政権与党を支持しています. 不思議です.なぜですかねぇ・・・ 《国体論:2章の2、2章の3、2章の4、2章の5》 ちょっと引用します. (P54)・・・象徴天皇を戴く制度が「国体」と呼ばれることは一般になく、それゆえ「国体」という言葉はほぼ死語となった・・・しかし、本当に「国体は死んだ」のか・・・筆者にとって、この問いが鋭く、また今日最重要のものとして突きつけられたのは・・・豊下楢彦の『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交』(1996年)を読んだ時であった・・・昭和天皇が積極的にアメリカを「迎え入れた」最大の動機は、共産主義への恐怖と嫌悪であったと豊下は見る.東西対立が激化する中で、内外からの共産主義の浸透を防ぐ守護神として、昭和天皇はアメリカの軍事的プレゼンスを求めたのである・・・そして、戦後史はさらに奇妙なひねりを帯びることになる.当初、共産主義対策を意図した国体護持の手段であったはずの対米従属は、共産主義の脅威が消えてもなお生き延びた、というよりもむしろ強化されることとなった・・・ 引用を終わります. 考えてみれば共産圏が崩壊したのが既に一世代前のことですねぇ、もう君主制と云うような時代じゃないですよねぇ. 本当の意味で「戦後レジームからの脱却」をすればいいと思いますよ、つまり共和制への移行という意味ですけどね. でもそうなると、国民が本当の主権者になってしまうわけだから、それはそれでキャリア官僚が嫌がるだろうなぁ. 彼等は国民の公僕になる気など更々無いのだからねぇ. たとえば基地問題に国民が主権者として口出しでもしようなら、きっと官僚はハラワタが煮えくり返るくらいに腹を立てるだろうねぇ. 東大卒のキャリア官僚が腹の中で考えている事は、戦前の帝大陸大海大卒のエリート官僚が主導するような国家体制を何が何でも維持することだと思います・・・官尊民卑・・・それを保証してくれるのが対米従属でしょう・・・そしてカジノでもダムでもリニアでも原発でも天下り放題の政策を実行するために必要なものが対米従属なのでしょう・・・そんな気がします. 《国体論:3章の1》 ちょっと引用します. (P92)・・・ここで注目すべきは、憲法および議会をセットとして、1890年に教育勅語が発布されたことである・・・天皇の名において出された教育勅語は、このような文脈において、封建時代を生きてきた国民にとって馴染み深い儒教的な通俗道徳を援用することで、権利主張と要求に対してタガをはめるものとして企図された・・・国民の権利主張と要求は、日本が近代国家を名乗る以上公認されるべきものであったが、まさにそれは「国体に抵触しない限りにおいて」公認されるものでなければならず、そのような制約を国民が自発的に内面化するよう導くための装置として、教育勅語は導入された・・・ 引用を終わります. つまり国民は国家に逆らうな、と云うことですね. 政府高官の云う事を唯々諾々と聞く従順な国民を育てるために教育勅語があったということですね. そして呆れることに、現政権は教育勅語を学校教育に導入する隙を狙っているみたいですが、夢よもう一度と云うことでしょうか、どうでしょう、わかりませんが・・・まあ国民主権が癪に障るのでしょうねぇ・・・ 《国体論:3章の2、3章の3》 ちょっと引用します. (P105)・・・昭和ファシズム期においては、明治憲法の立憲主義的解釈は主流の地位を失ったどころか、禁止されるにいたった・・・ 憲法が欽定であったこと、つまり制憲権力を天皇が独占しているという建前で憲法が発布されたこと、そしてそれと軌を一にするかたちで、憲法は天皇の国民に対する約束や誓いというかたちではなく、「天皇が『皇祖皇宗ノ神霊』に許可を求め、続いて国民のほうに向き直って憲法を賦与する形式をとった」こと ――― これらはすべて、権力の正統性の源泉は、天皇にのみあって、国民には存在しないことを物語っていた・・・ 引用を終わります. 戦前において主権は天皇にありました.そして戦後は国民主権に変わりました.そのはずですけどねぇ・・・未だに占領下ですかねぇ. まあそれはそれとして、仮に日本が「戦後レジームからの脱却」をしたら、戦前の体制に戻るといいと思いますか、それとも共和制に移行するといいと思いますか・・・どうなるといいと思います? 《国体論:4章の1、4章の2》 ちょっと引用します. (P130)・・・われわれが何によって支配されているか意識せず、支配されていることを否認し続けるならば、永久に知恵は始まらない・・・被支配とは不自由にほかならず、支配の事実を自覚するところから自由を目指す探究が始まる以上、支配の事実が否認されている限り、自由を獲得したいという希求も永遠にあり得ない・・・こうしたきわめて特殊な外見的民主主義体制の成り立ちを、歴史家のジョン・ダワーは「天皇制民主主義」と呼び、その発明をマッカーサーに帰している・・・しかし、われわれにマッカーサーの見解の「保守性」を批判する資格があるだろうか.実際に、あまりに多くの日本人が、「天皇の命令」で唯々諾々と玉砕し、「天皇の命令」でこれまた唯々諾々と戦闘を止めた.これを見たマッカーサーは、日本への民主主義の導入は「天皇の命令」によるほかないと結論したわけである・・・ 引用を終わります. 戦後と言っても既に二世代三世代が過ぎて、いまや天皇が譲位したいと言ったら、政府が天皇に向かってダメだと言い返すような世の中になりました. そしてそれに対して多くの国民から譲位に問題は無いと云う意見が出てきたら、政府は国民の声に従ってコロッと譲位を決定しました. 随分と世の中は変わりました. 戦前だったら一般国民は尋常高等小学校を卒業するくらいが精一杯だったと思いますが、いまでは大学を卒業しましたと云うのがゴロゴロしています. 官僚も国民も教育水準は同じになりましたし、いつまでも上意下達で済む時代ではないと思いますよ. 官僚は隠さず国民に説明を尽くして政策を行なわなきゃダメですよねぇ、官僚主導で政策を無理矢理押し通すためには天皇の権威が有り難いのでしょうが、もうそんな時代じゃないですよねぇ. それから既に貴族制度は無くなってしまった訳ですし、いつまでも君主制の時代では無いですよ. 貴族がいなくて君主だけでは、制度として続けるのは無理だと思います. もう共和制に移行する時期に来ていると思いますけどねぇ.共和制に移行して何か問題が起きますかねぇ. 在日米軍が文句を言ってくるかも知れませんが、別に気にすることもないと思います. 現政権は「戦後レジームからの脱却」をすると言っているのだから、戦後のレジームである天皇制民主主義から脱却する政策を国会に提出したらいいと思いますよ. ぜひ脱却を進めて頂きたいものです. 《国体論:5章の1~5章の4》 ちょっと引用します. (P162)・・・「国体は護持されたのか否か」という問いの正解は、「そのいずれでもなく、いずれでもある」というものであろう.すなわち、フルモデルチェンジがなされた・・・フルモデルチェンジされた国体は、アメリカ(マッカーサー)を日本の天皇よりも構造的に上位に戴くかたちで形成されたと言える・・・さまざまな意味で、「あの戦争に負けてよかった」とは、多くの場面で語られてきた戦後の日本人の本音であるが、このような本来あり得ない言明が半ば常識化し得たのは、われわれが「新しい国体」を得たことによると考えるならば、合点がいく・・・ 引用を終わります. 戦前の国家体制がどういうものだったかと云うと、元首で大元帥の天皇の下に政府と参謀本部と軍令部が置かれ、その下で国民と陸軍と海軍が統治されると云う体制でした. 75c87b12-d7e0-4372-a6b0-181e4386587e 戦後に国家体制がどのように変ったのかと云うと、米軍の支配下に政府があり、その下で国民が統治されるというように変わりました.ただし、米軍の支配は象徴天皇の影にかくれて国民に気づかれないようになっています. 500b7b0c-cdec-4c84-8a81-f6cf2b61eaea そしてこれから先の未来に於いて、現政権が言うように「戦後レジームからの脱却」をしたら、国民主権の国家体制に移行するはずです.期待しています. a24c62e9-ed8a-4247-a615-7ae7ca58da6f 《国体論:6章の1、6章の2》 丸山眞男や吉本隆明の評論とか安保闘争とか三島由紀夫の決起とか連続企業爆破事件とか、終戦から75年頃までの話を6章の1と2では扱っています. ちょっと引用します. (P190)・・・戦後の対米従属レジームに対する最大の内発的な抵抗が生じたのは、60年安保においてであった・・・1960年の安保改定が実行されるまで、日米安保体制は盤石とは言えなかった.岸の前任者、石橋湛山は、明確に多元外交論者であり・・・首相退任後も岸による安保改定を批判し、さらに後には岸を引き継いだ池田政権の対米姿勢をも批判した・・・岸政権がやろうとしていた安保条約の改定の内容を、反対に立ち上がった群衆はよく理解していなかったと言われる・・・あの時群衆が爆発させた憤りは、条約の改定のあれこれの具体的内容に対してというよりも、岸信介という戦前戦中の軍国主義を想起させるキャラクター、さらにその人物がアメリカとの媒介者となって対米従属体制を強化し、永久化させようとしていることのいかがわしさに対する、ほとんど生理的な嫌悪感に基いていた.この直感は正しかった.今日明らかになった事情、すなわち核兵器持ち込みの事前協議の問題に代表される密約の存在に鑑みれば、表向きの対等化など理解するに値せず、群衆の積極的無理解はむしろ改定の本質を衝いていた.岸に対する嫌悪、安保改定に対する嫌悪はそれぞれ、「戦前の国体」と「戦後の国体」に対する嫌悪だったのである・・・ 引用を終わります. 自民党は政策がいいから政権についているのか、それとも在日米軍の後ろ盾があるから政権についているのか知りませんが、速やかに戦後レジームから脱却して共和制に移行して頂きたいと思う今日この頃です. 《国体論:7章の1~7章の5》 安田善次郎刺殺事件とかコミンテルンとか北一輝とか226事件などを題材にしながら、戦前の国家体制の形成から崩壊していく過程を簡潔に解説しています.意外に面白かったです. ちょっと引用します. (P259)・・・北に言わせれば、明治維新による封建制の廃止から大日本帝国憲法の制定に至る過程を経て、日本の国体は紛れもない「公民国家」となったのであり、万世一系の標語によって、あたかも日本の国土と国民を天皇の所有物であるかのごとくに論じる国体論は、人類の発展史に逆行する「復古的革命主義」なのであった.このような北の明治維新感と社会進化論は、政治的にラディカルな含意を持つ.すなわち、国家が「公民国家」的状態を成立させ、さらにそれが一層高度化することによって、貧困が撲滅され、社会的平等が実現し、犯罪がなくなるという・・・この発展の大道における画期をなす出来事であるという意味で、北は明治維新を高く評価している.そしてそれと同時に、このような爆発的発展の軌道へと社会が歩みを進め始めたはずが、藩閥権力は政治を壟断し、財閥は私利を貪るのみで社会発展を停滞させ、また御用学者(=国体論者)は時計を反転させるイデオロギーを説くことで自己保身に汲々としているという現状に対して、北は怒髪天を衝く怒りを爆発させているのである・・・ 引用を終わります. いま北一輝が生きていたら、現政権に対しても怒りを爆発させるような気がします、分かりませんけどね. 利権を漁る政府高官と経済団体と御用学者.足りないのは、軍部ですか・・・ 《国体論:8章の1~8章の4》 第8章では、戦後日本が続ける対米隷属について論じています. ちょっと引用します. (P297)・・・日本が巨大な米軍基地を受け入れている理由も、歴史的に二転三転してきた.それは、始まりにおいては敗戦の端的な結果であったのが、「東西対立における日本防衛」へと転じ、日本への直接的な脅威という理由づけの説得力が薄れると「自由世界の防衛」へと転じた.そして、共産圏が消失すると「世界の警察」による「正義」の警察行為のためであるとされ、この「正義」も怪しくなってくると「中国の脅威」、「暴走北朝鮮の脅威」への抑止力であるとされるに至った.これらの二転三転は、これら言われてきたことすべてが真の理由ではないことを物語っている・・・そしてそのただひとつの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意志する持っておらず、かつそのような現状を否認している、という事実である・・・ 引用を終わります. 政府は、戦争の火種を世界中にマッチポンプで撒いて歩いているアメリカから、米朝首脳会談で決めたからIAEA査察の費用を負担しろと言われて、即座に負担することを決めましたけど、まぁ、逆らえるはずもなく、「100%共に」の意味は「100%傀儡で」と云う事だと分かってはいますが、情けないと云うか、しょぼいと云うか・・・日本政府の方から先に言い出して費用の分担について主導権を握っていたのなら、まだマシなんですけど・・・言われてから考えるようじゃあねぇ・・・ 負担する分は、思いやり予算から引くぐらいのことを言う根性を見せて貰いたいものですけどね・・・ 《国体論:終章の1~終章の3》 終章では、戦後日本の国家体制はアメリカの軍事戦略を維持するためにあることを論じています. ちょっと引用します. (P316)・・・戦後に天皇制を語る際に繰り返し参照されてきた、「一木一草に天皇制がある」という中国文学者の竹内好の有名な言葉がある.この言葉は、「天皇制的なるもの」が、天皇と実際に近接・接触している政治機構上部の統治エリートのなかで発生し、社会全体に一方的に押しつけられていったのではなく、日本社会の至る所で「天皇制的なるもの」が形づくられているとの指摘である・・・しかし、「天皇制的なるもの」が仮に空気のように遍在する、すなわち日本社会の在り方を永久に規定する定めにあるのならば、その支配から逃れることをわれわれは諦めるほかないであろう.つまり、天皇制に関する一見「深い」議論は、その克服の不可能性を結論することにしばしば帰着する・・・ 引用を終わります. 本当に御上意識が今でも社会全体に残っていますかねぇ、よく分かりませんが、一般の国民の意識の中にはもう殆ど無いような気がしますけどね・・・ まぁ、それは兎も角として、日本の国家指導層にとって大事なことは、天皇制などではなく、アメリカ政府の意向だと思います. 政治家や官僚はアメリカ政府の意向に従うために汲々としているように見えます. 思いやりがあるから予算を出しますとか、戦闘は戦闘じゃないとか、無茶な理屈を考え出すのに汲々としているように見えます. 米軍基地問題でも、海外派兵でも、オスプレイでも、TPPでも、原発の問題でも、官僚主導の政治のもとでは官僚に付け込まれるだけだと思います. 官僚の後ろにいるのは米政府ですからね、国民は税金だけ払って黙っていろ、使い方は俺たち官僚が自由に決めると云うことです. 国民自身が自分たちの未来を決める権利をアメリカ政府から取り戻して、つまり国家体制を共和制に移行して、国民主権のもとで政治家を、そして官僚をコントロールする本当の民主主義体制に変えて、こう云う問題の解決できる社会にすればいいと思うのですけどね・・・ (了) ―― 奥付 ―― 読書感想文『国体論(白井聡著)』 著者:茜町春彦
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