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「え?」
「自殺止めないんですか?」
正直、止めても止めなくてもどちらでも良い。彼女の人生だ、命だ。僕が彼女の人生を左右する権利なんて無いのだ。
「貴方が止めてくれたら私は飛び降りるのをやめます」
女性はようやく僕の方を振り向いて両手でフェンスを握りしめた。やはりこの世界に未練を感じたのだろうか。
「止めないのなら心置きなくここから飛び降ります」
「僕次第ですか?」
「はい」
彼女は必要な事以外多くは語らない。
不思議な賭けに決断を委ねるのだろうか?
相当精神がイカれてしまったのか、赤の他人に命を預けるなんて。
「僕が冷静でまともな大人だったら、
きっと君を止めていたと思う」
不条理で理不尽な世界に精神を病んでいたのは僕も同じだったのかもしれない。
「僕は今、人が死ぬ瞬間をみたいと思っている」
女性は僕の気持ちを見透かしていたかの様に、驚くこともせず柔らかく口元を緩め微笑んだ。
「だから僕は君を止めない」
僕の結論を聞くと、女性はフェンスから両手を離した。
「ありがとう」
長い髪を耳にかけながら女性は僕に礼を告げた。
「皮肉ね。
最期に私が必要とされているようだわ」
僕は女性の身を、行動を、求めている。
「ありがとう」
女性が後ろに倒れたのと月明かりが無くなったのはほぼ同時だった。真夜中の闇が屋上を包んだ。
スローモーションに見えたその瞬間。
金縛りにあったように僕の身体は動かなくなった。再び芽生えた恐怖心と高揚感。
言葉に表すことのできない初めての感覚が身体を蝕んでいく。
数秒後、鈍く重いグロテスクな音が深夜の静寂に響いた。
小さく顔を出した満月の明かりに僕はやっと我に返った。
「……」
その瞬間、恐怖心は快感と興奮に変わった。
ストレスも疲労もすっかり忘れていた。
女性はどんな表情をして死んだのだろうか?
飛び降りの死体はどんな風になっているのだろうか?
もっと、もっと近くで見たい。
好奇心に突き動かされ、僕は無我夢中で階段を下り女性の元へ向かった。
あぁ、明日も会社だ。
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