そのもの、青き淵より

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「”そのもの、青き淵より現れ、人に多くの災いを齎す”メキシコのトルテック技法は、そのように語る。」  超常現象研究家東丈は、PCのワープロモードで、しこしことキーボードを打っていく。カタカタという音が、深夜の事務所兼住まいに響く。  実際には、自宅というか本宅から近い場所に、仕事場としてだけ借りたのだが、徹夜仕事などなかなかに不規則な生活のために、いつのまにか居住兼用になってしまった。といっても、狭いながら、もともと簡単な台所設備とかバストイレ付きなので、使用条件が変わったとしても、まったく困ることはないわけで。そうなると、むしろ安心して姉達に気兼ねすることなく昼夜逆転近い生活を平気で送れるのであった。 「トルテック技法は、必ずしもいわゆるの宗教体系ではない。教祖がいて、愛とか徳目を人々に勧めるものではないのである。それは、7世紀から12世紀までメキシコの地に栄えたとされるトルテカ帝国で生まれ、瞑想技法である。トルテカ宗教はほかにあったとされるが、この技法が珍重普及されるには、それなりの宗教的裏づけがあったのも、事実だろう。時代的には7世紀の帝国となるとなかなかの文明ではないかと思われるかもしれないが、それを形成した人類がいわゆるの人類の展開経路を用いて氷河期のアリューシャン列島を北アメリカに到達してから南下した人々が、隔絶した環境の中で独自に文化を開いたのだとすれば、単純に日本の感覚から500年はずれていたのではないだろうか。」  カタカタとキーボードだけを打つ音が深夜の室内に響いている。お気に入りのジャズやブルースがエンドレスで流れているが、それも、丈は聞いているのか聞いていないのか定かではない。それだけの集中力で、一気に原稿をものにしていくのである。  今回は、いつものオカルト雑誌社からの原稿依頼ではない。一般庶民には区別がつかないが、今回はいわゆるの”精神世界”系の雑誌からの依頼だった。その意味では、いつもの超能力ネタ色を薄めたほうが、読者層としては喜ばれるそうである。他の執筆陣に埋もれないように、独自の解釈をどこかに加えて読者をひきつけるのも、著述家としてのウデの見せ所なのだ。
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