ぼくがいないみたいに

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 彼女は口をきいてくれない。  原因はわからない。  「どうしたの」  「聞こえてないの?」  「こっち向いてよ」  どんなに話しかけても全く反応してくれはしない。  一緒に出かけ隣を歩きながら冗談を言ってみても、彼女の好きなカフェを指さしてみても、このネックレス似合うよと言っても、顔の前に手を振りかざしても、彼女は反応してくれない。  それどころか彼女は僕を無視して一人で歩いていったりする。行かないでと言ったって聞く耳を持ってはくれない。  まるで、僕がいないみたいだ。  彼女には僕が見えていないのだろうか。  彼女には僕の声が聞こえていないのだろうか。  彼女は家にいるときよく泣く。  どうして泣いているのか聞いたって、当然聞こえることはない。  でも彼女が泣くとき、決まってその手には僕がプレゼントした二人おそろいの懐中時計が握ってある。  泣いている彼女を見ていると、僕も一緒に泣いてあげたくなるけれど、彼女にとって僕はいない存在なのだからとため息が出てしまう。  そういう日はすぐに布団に入るのがいい。  彼女と僕はいつも一緒に布団に入る。  そうして彼女が僕に寝顔を見せてくれるこの時間だけは、言葉が必要ないこの時間だけは、少しだけ彼女に近づけた気がする。  彼女が僕の前で安らかに眠ってくれる、それが彼女の言葉のように思えてとても愛おしくなる。  僕はそんな彼女の頬に触れようとした。  でも、当然触れることはできなかった。
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