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大体の学生なら思うだろうが正直親が家にいるのはかなり嫌だ。自分の自由にできないし僕の母はあまり言う方ではなかったが勉強を強要される。だから、俺は自分でも不謹慎だとわかっていても母が入院したときに少しだけ、ほんの少しだけ喜びの気持ちが沸き上がった。変に気を使うようなこともなく、食べたいのに食べれない母の目を気にせずに食事もできた。
だからというのもおかしいが母さんの具合が早くよくなってほしいと思っていた。何を思っていてもそれだけは揺るぎない事実だった。
しかし、そんな思いは届くことなく母の手術は腹を切開はしたものの断念せざるを得なかったという。問題の腫瘍は胃の近くを通る血管に接しており現時点では取り除くのは困難だと言うことだった。
手術はしっかり作戦を練り直して後日に延期になった。医者は延期は失敗じゃないから心配ないと言っていたが延期とは同時に手術の困難さを物語っていると言える。
結局そのときの入院は放射線治療と対ガンの薬を投与しただけで退院となった。
十一月の後半から十二月の前半は何事もなく順調に回復しているように見えた。が、十二月の半ばにはまたしても入院することになり、このとき辺りから母は夜にお腹が痛いと言って看病していた父も付きっきりで看ていたためになかなか眠れていないと聞かされていた。多分それが入院する理由だったのだろう。
こんな大変な時期にクリスマスもなにもできずにいた俺に
「ごめんね、クリスマスなのになにもしてあげられなくて」
と、家のベッドの上で横たわりながら力なく言われたのを鮮明に覚えている。
しかし、クリスマスも過ぎた年末の辺りに具合がよくなったから自宅で療養するということが急遽決まった。
この頃は俺は中高一貫の中学に通う中三で、受験はなかったが兄には今後の人生を大きく左右する大学受験を控えていた。忙しいというのもあったが母さんが元気になっていることを心から喜んだ。
兄は知っていたかもしれないが喜んでいたからこそ俺はその『自宅療養』の本当の意味に気づいていなかった。
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