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そして、年が明け新しい年をいつもとは少し違う、一人かけてしまった家族で迎えることとなった。三人での初日の出、三人での初詣、三人でのおせちはなかったがいつもと違う元旦はあっという間に過ぎていった。
僕と兄は初詣の際におみくじを引いた。正直こんなときに引くものではないと思ったが毎年やっていることなので引くことにした。
受験が控えている兄は中吉、僕はというと一番出るべきではない大吉をこのタイミングで引き当てた。これにはさすがに堪えたが父はこれに対してこんな風に言っていた。
「もしかしたら俺たちにとって母さんが死ぬことって良いことなのかもしれないなぁ。別に母さんが俺たちに何かしてたわけじゃないけどさ。そんな風にとらえた方が気楽だろ?」
この父の言葉で僕は今でも前向きに生きられるし、母がいなくなると自然と自由に物事ができた。
母がいなくなったのは悲しんでも悲しみきれない。でも、そうやってとらえてきたお陰で僕はまた新しい人生に踏み出せた気がしている。新しく始めたこともたくさんある。こうやって文字に起こしているのもその一つだと思う。
僕は母から色んなことを教わったし、色んなところで支えてもらった。唯一の心残りは最後の最後まで母のお見舞いに行かなかったことだ。
行きたい気持ちと行きたくない気持ちは最初は半々だったが母に会いたいという気持ちが徐々に押し潰されていき、自分の母親が弱りきっているのを見たくないという気もちが大きくなっていった。最後には父が言った
「母さんもしかしたら見舞いに行っても誰だかわからないかもしれない」
という言葉で僕の気持ちは完全に傾いてしまった。実際、僕も心の奥底では新年早々遠いところまで行くのはめんどくさいと思ってしまっていた。だから父が擁護してくれたときホッとしてしまっていた。
そうして、母は年明けの一月四日の未明に息を引き取った。
母が残した遺言などは僕は直接聞かなかったので分からなかったが、ある時ふと父が話し始めた。
「母さんなぁ、お前のこともっと面倒見てあげれば良かったって言ってたよ、ごめんねって。いつも兄ちゃんの方ばっかりで色々一人にさせちゃってごめんね。って」
その時初めて聞いた母の本心に僕は驚いた。今までだって充分面倒見てもらったし、わがまま聞いてもらったのに何で、何で......。
その話を聞いた僕は静かに頬を濡らした......。
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