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いくら背後から近づいているとはいえ
僕の気配に気づかないはずないのに。
あくまで知らん顔決め込むつもりか。
肩先にふれる距離まで近づいても
征司は振り返る素振りさえ見せない。
仕方なく僕から声をかけた。
「征司……お兄様……」
その声は微かに震えて頼りなく
出来る事ならかき消してやり直したい代物だった。
僕はここでもまた無意識に
情けない被食者に成り下がろうとしていたのかもしれない。
「来たのか?」
少しの驚きもなく言って
磨き上げられた靴先がこちらを向いた。
「来ました」
そこで僕はようやく顔を上げ
惹きつけられるがまま僕を狙う捕食者と視線を重ねた。
天気雨の中。
やがて向き合って立ち尽くすのが僕たちだけになったところで。
「虹が出るかもしれないと思って。もう少し見ていたら――」
この上なく穏やかに笑うと
征司は微かに身体を折って僕と唇を重ねた。
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