真夜中ゼミナール

5/13
前へ
/13ページ
次へ
「じゃあノート開いて」 「はーい」  板書のため、僕は彼女に背を向けた。  カツカツとチョークで黒板にいくつか数式を書いていく。後ろでは何やら結城がゴソゴソと動く気配。どうやらきちんとノートを取っているらしい。感心感心。  するとしばらくして、  ――カラン。  と、背後で物音がした。  結城が何か落としたのか? しかし彼女が拾い上げるような雰囲気は感じない。 「おい。何か落と――」  振り返った先の光景に僕は息を呑む。  無造作に開かれたノート。地面に転がったシャープペン。どちらもついさっきまで彼女が使っていたものだ。  が、肝心の結城凛本人がいない。  確かにそこにあった少女の姿が、まるで白昼夢のように消え失せていた。  カラカラとエアコンの乾いた音が響く。 「……ああ。そうか」  もう、そんな時か。  僕は結城の座っていた椅子に腰を下ろし、ぼんやりと天井を見つめながら魂が抜けてしまうほど大きな息を吐いた。  幽霊の現世への存在期間は有限だ。正確に計ったわけではないが、最長でもだいたい一週間ほど。結城がこの塾を訪れたのが五日前だから……冷静に考えれば何もおかしい話ではない。  これまでもそうだった。  僕が教えてきた幽霊生徒は例外なく、別れの挨拶もなく、夏の通り雨のように唐突に現れては消えていった。  塾講師という存在はとかく別れに強くなければならない。生きた普通の生徒ですらわずか数年間で塾を卒業していくのだから。 「まったく……くだらない」  むしろ余計な仕事が減ってくれたことを喜ぼうではないか。  そう自分自身に言い聞かせ、何気なく結城のノートをパラパラとめくってみる。  女の子らしい丸文字で書かれてあったのは、正負の数・一次方程式などといった中学一年で学習する範囲ばかり。中学三年生にとってはさすがに基礎的すぎる。  けれど、あの子はここまで遡って勉強する必要があった。なにせ彼女はただの一度も中学校に通うことがなかったのだから。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加