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「ちょっと待て。落ち着け。いや、落ち着こう。俺もお前も」
言いながら智秋は身体を起こし、ベッド脇の椅子に腰をおろすと、改めてもう一度上から下まで目の前にいる深月にしか見えないその姿を凝視した。
とにかくまずは落ち着け。自分。
無理矢理言い聞かせて智秋は大きく深呼吸した。それに相対している深月のほうはベッドの上で不安げな表情をしている。
やっぱり違う。深月じゃない。そうとしか思えない。
何故なら、智秋は深月のそんな表情を見るのは初めてだったのだから。
というか、やはりこれは深月ではないのだから初めて見る表情なのは当たり前なんだと考えた方がいいのか。
いやいやいや。
智秋はブンブンと大きく首を振った。
まず疑うべきは深月の心理。思ったほど怪我も酷くないようだから、心配している弟をからかおうとしている、とか。いや、どう見積もっても深月はそういうことをする性格ではない。深月はある意味超がつくほど真面目な人間なのだ。
それとも、ふだん真面目な人間ほど頭を打った衝撃で性格が変わることがあったりするというあの現象なのだろうか。だとしてもすべての態度が深月っぽくないのは何故だ。
ちょっと待て。そもそも深月っぽいというのはどんな状態だろうか。それなりに長く一緒に暮らしてはいるが、自分は深月の全部を知っているのか? 否だ。
深月が目を覚ましたら、たとえ夜中であっても必ずナースコールをしてほしいと言われていたが、もうそんなこと出来る状況ではない。智秋は最後にもう一度自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をして、再び目の前の深月に見える少年に相対した。
「正直に答えてくれ。お前は、誰だ?」
ふだんであれば言っててバカバカしくなるような台詞なのに、今はちっとも笑えない。対する深月も困ったように眉をひそめてじっと智秋の顔を見つめ返している。
「もう一度聞く。お前は誰だ」
「僕は……由宇…だよ」
「それは、俺の後ろに寝ている奴の顔を見た後でも言えることか?」
「言えるよ。だって本当のことだ」
「じゃあ、あれを見ても同じように言えるか?」
智秋が指さした先にあったのは鏡だった。
怯えたような目を鏡に向けた深月は、そのままゆっくりと立ち上がり自分の顔が鏡に映る位置へと移動した。
「…………」
ふらりと深月の身体が揺れる。
そのまま倒れてしまうのではないかと思い、智秋は慌てて深月の後ろから抱きすくめるようにして身体を支えてやった。すると深月は驚いたようにそのまま顔だけを智秋のほうへ向けた。
「僕は……誰?」
今にも泣きだしてしまうのではないかと思えるほど不安げな声で深月がつぶやく。
どう見てもこれが智秋をからかう為の演技とは思えない。深月にそんな演技力はない。
抱きすくめた身体は間違いなく深月のものだが、でもこれは深月ではない。絶対に違う。雰囲気なのか気配なのか、とにかく絶対にこれは深月ではないということだけは分かった。
「お前は、由宇だよ」
とうとう智秋はそう言った。
深月、いや、由宇は怯えた表情のまま智秋を見つめる。
「でも、この身体は……」
「身体は深月だ。でも、お前は由宇だ」
「……信じてくれるの?」
「信じてるんじゃない。わかるんだよ。お前は由宇だ。間違いなく由宇だ」
「…………」
「由宇だよ」
幼い子供をあやすように智秋はそう言ってみる。
由宇の身体のほうは、そんな状態に気付くこともなく、まだ昏々と眠り続けていた。
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